【若紫 02】源氏の供人、なにがし僧都の僧坊に少女らを見る

すこし立ち出《い》でつつ見わたしたまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる。ただこのつづら折《をり》の下《しも》に、同じ小柴《こしば》なれど、うるはしくしわたして、きよげなる屋廊《やらう》などつづけて、木立《こだち》いとよしあるは、「何人《なにびと》の住むにか」と問ひたまへば、御供なる人、「これなん、なにがし僧都《そうず》の、この二年《ふたとせ》籠《こも》りはべる方《かた》にはべるなる」、「心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などのたまふ。きよげなる童《わらは》などあまた出で来て、關伽《あか》奉り、花折りなどするもあらはに見ゆ。「かしこに女こそありけれ」「僧都は、よもさやうにはするたまはじを」「いかなる人ならむ」と口々言ふ。下《お》りてのぞくもあり。「をかしげなる女子《をんなご》ども、若き人、童べなん見ゆる」と言ふ。

現代語訳

源氏の君がすこし外に出て見渡されると、高い所であるから、あちこちに、多くの僧坊が、隠れることなく見おろされる。

すぐこのつづら折の道の下に、同じ小柴垣であるが、美しくすっかり整えてあって、さっぱりした家屋や廊舎などを建て並べて、木立がたいそう風情あるようすなのは、(源氏)「どなたが住んでいるのか」とご質問になると、御供である人が、「これこそ、なにがし僧都が、この二年間、籠もってございます方だそうでございます」

(源氏)「気後れするほど立派な人が住んでいるという所であるな。私はみっともなく、あまりにも見すぼらしい姿をしていることよ。私のことを聞きつけでもされたら、大変だ」などおっしゃる。

こぎれいな女の子などがたくさん出てきて、仏前に水を供え、花を折ったりするのもすっかり見える。

(供人)「あそこに女がいますよ」(供人)「僧都はまさかそのように女を住まわせたりはなさらないだろうに」(供人)「どういう女だろう」と口々に言う。

山を下りてのぞく者もいる。(供人)「美しい姿の娘たちや、若い女房、女の子が見えます」と言う。

語句

■つづら折  つづらのように折れ曲がった坂道。鞍馬の「九十九折」は『枕草子』に「近うて遠きもの」としるされて有名だが、ここでいう「つづら折」が具体的に鞍馬のそれをさすのかは不明。 ■なにがし僧都 前述の「聖」とは別人。後に登場する紫の上の祖母の兄にあたる人。語り口から、源氏とは顔見知りで、堅苦しい人物と知れる。 ■心恥づかしき 「恥づかし」はこちらが気後れするほど立派だ。 ■閼伽 仏前に供える水。

朗読・解説:左大臣光永

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