【若紫 11】源氏と葵の上の冷めた関係

君はまづ内裏《うち》に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。いといたう衰へにけりとて、ゆゆしと思しめしたり。聖《ひじり》の尊《たふと》かりけることなど問はせたまふ。詳しう奏したまへば、「阿闍梨《あざり》などにもなるべきものにこそあなれ。行ひの労は積もりて、おほやけにしろしめされざりけること」と、らうたがりのたまはせけり。

大殿参りあひたまひて、「御迎へにもと思ひたまへつれど、忍びたる御歩《あり》きに、いかがと、思ひ憚りてなむ。のどやかに一二日《ひとひふつか》うち休みたまへ」とて、「やがて御送り仕うまつらむ」と申したまへば、さしも思さねど、ひかされてまかでたまふ。わが御車に乗せたてまつりたまうて、みづからはひき入りて奉れり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。

殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉の台《うてな》に磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。女君、例の、はひ隠れてとみにも出でたまはぬを、大臣《おとど》せちに聞こえたまひて、からうじて渡りたまへり。ただ絵に描《か》きたるものの姫君のやうに、しすゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまヘば、思ふこともうちかすめ、山路《みち》の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしう答《いら》へたまはばこそあはれならめ、世には心もとけず、うとく恥づかしきものに思して、年の重なるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに、「時々は世の常なる御気色を見ばや。たへがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」と聞こえたまふ。からうじて、「問はぬはつらきものにやあらん」と、後目《しりめ》に見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌《かたち》なり。「まれまれは、あさましの御言《こと》や。問はぬなどいふ際《きは》は、ことにこそはべるなれ。心うくものたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし思しなほるをりもやと、とざまかうざまに試みきこゆるほど、いとど思ほしうとむなめりかし。よしや、命だに」とて、夜の御座《おまし》に入《い》りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず。聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり。

この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、似げないほどと思へりしもことわりぞかし、言ひよりがたきことにもあるかな、いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見ん、兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》は、いとあてになまめいたまへれど、にほひやかになどもあらぬを、いかでかの一族《いちぞう》におぼりえたまふらむ、ひとつ后腹《きさきばら》なればにゃ、など思す。ゆかりいと睦ましきに、いかでか、というおぼゆ。

現代語訳

源氏の君は都にもどるとまず宮中に参内なさって、ここ最近の御物語などを帝にお話し申し上げなさる。たいそうひどく衰えたといって、帝は気の毒とお思いになる。聖の、いかに尊かったかということなどご質問になられる。

源氏の君が詳しく奏上なさると、(帝)「阿闍梨などにもなるに違いない方ぶあるのに。修行の労はそれほど積もっているのに、朝廷には聞こえていなかったことよ」と、いたわっておっしゃられた。

左大臣殿が源氏の君とご一緒に参内なさって、(左大臣殿)「御迎えにうかがおうと存じましておりましたが、忍んでの御外出に、どうだろうと思って遠慮しておりました。ゆっくりニ三日お休みください」といって、(左大臣殿)「すぐに御送りいたしましょう」と申されるので、源氏の君は、まったく気がすすまなく思われるが、左大臣殿のお気持ちにほだされてご退出になる。

左大臣殿はご自分の御車に源氏の君をお載せ申し上げなさって、みずからは奥の座にひきさがってお乗りになる。

おもてなしくださる左大臣殿の御心のさまのしみじみと深いことを、源氏の君はなんといってもやはり、おいたわしく思われる。

左大臣邸にも、源氏の君がいらっしゃると心遣いなさって、久しく源氏の君が御覧になっていない間に、たいそう玉の宮殿のように磨き調え、万事、調えなさっていた。

女君(葵の前)は、いつものように、そっと隠れてすぐにもお出でにならないのを、左大臣殿が熱心に申し上げて、かろうじて部屋から源氏の君の前にお渡りになる。

女君(葵の前)は、ただ絵に描いた物語の姫君のように、ちゃんと座らせられて、みじろぎなさることも難しく、お行儀よくしていらっしゃるので、源氏の君は、心に思うことをちょっと口に出したり、山路での話を申し上げようにも、話しがいがあるように、おもしろくお答えになればこそ情もわこうが、まったく打ち解けない心で、女君は、源氏の君を、よそよそしく、ばつが悪い方と思われていて、年の重なるにつれて、御心のへだても大きくなっていくのを、源氏の君は、ひどく苦しく、心外で、(源氏)「時々は世間のふつうの夫婦のような御ようすを拝見したいものです。私が耐え難く患ってございましたことも、いかがですか、とさえおききにならないのは、貴女には珍しくもないことですが、やはり恨めしくて」と申し上げなさる。かろうじて、(葵)「問はぬはつらきもの、なのでしょうか」と、流し目にこちらを御覧になる目線は、たいそうこちらがばつが悪くなるほど、気高く美しい御姿である。

「まれに何かおっしゃったかと思えば、あきれた御言葉であることですね。「問はぬは…」などという程度の仲は、私たちの間に縁がないのでございますよ。情けなくもあえておっしゃったものですよ。いつもいつも気後れするようなお仕打ちを、もし貴女が考え直される時もあるだろうかと、あのように、このように、試み申し上げているうちに、私をいっそう疎ましく思われるようになったようですね。まあそれもよろしいでしょう。せめて『命だに』私の命さえ思い通りになるなら…」とおっしゃって、夜の御寝所にお入りになった。

女君(葵の上)は、すぐに後についてお入りにはならない。源氏の君は、お誘いづらく思われて、ため息をついて横になられるにつけても、なんとなくお気がすすまれないのだろう、眠たそうなふりをなさって、あれこれ夫婦仲を思って心乱されることが多かった。

源氏の君は、この若草(紫の上)が成長する時がやはり知りたいのだが、尼君たちが、まだ結婚にはふさわしくない年齢だと思われたのも道理だ、言いよりづらいことであるよ、どうにか手立てを講じて、あっさり迎え取って、明け暮れの慰めにしたい、兵部卿宮は、たいそう品があり優美でいらっしゃるが、美しく艶のある感じでもないのに、どうしてあの一族に似ていらっしゃるのだろう。父宮(兵部卿宮)と藤壺宮が、ひとつの后腹からお生まれだからだろうか、など思われる。そうした縁続きであることが、たいそう慕わしいので、どうにかして(妻として迎えしたい)と、、深く思われる。

語句

■おほやけ 帝。朝廷。帝自身による自敬表現。 ■らうたがり 「らうたがる」は、いたわる。 ■もてかしづききこえたまへる御心ばへの… 妻葵の上との不仲もあり、源氏にとって左大臣邸は居心地の悪い場所である。できれば行きたくない。そうはいっても、左大臣殿がここまで心をつくしてもてなしてくださることは、やはりありがたく、そのご好意には報いなければならない、という複雑な感情。 ■絵に描きたるものの姫君のように。 「もの」はここでは物語。主体的な意思をもたない、葵の上の人形のようなありさまがよく描き出されており印象深い。 ■しすゑられて ちゃんと座らせられて。 ■問はぬはつらきものにやあらん 「君をいかで思はむ人に忘らせて問はぬはつらきものと知らせむ」(源氏釈)。あなたのことをどうかしてあなたの恋人に忘れさせて、尋ねてこないのはつらいもだのとあなたに実感させたい。源氏の女歩きをとがめる内容。あるいは「言(こと)も尽き程はなけれど片時も問はぬはつらきものにぞありける」(古今六帖)を出典に当てる。言葉は尽きて時間はないが、それでもほんの少しでも尋ねてもらえないのはつらいものだ。葵の上は源氏に対して素直に自分の心をのべる言葉を持たない。そこで古歌を引用して源氏への非難をにおわせる。 ■後目に 流し目に。 ■よしや まあそれもよいと一応肯定する。 ■命だに 解釈未詳。「命だに心にかなふものならば何かは人を恨みしもみむ」(奥入)を引くか。せめて自分の命が心にかなうなら、どうしてあの人を怨んでみるだろうか。 ■嘆く ため息をつく。 ■なま心づきなき 何となく気に入らない。「なま」は何となく。中途半端な。 ■おぼえたまふらむ 「おぼゆ」は、似る。紫の上が藤壺に似ていることをいう。紫の上の父・兵部卿宮は、藤壺の兄。だから藤壺と紫の上は、叔母と姪の関係になる。

朗読・解説:左大臣光永

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