【若紫 13】藤壺、宮中を退出 源氏、藤壺と密会
藤壺の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと、心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにも参うでたまはず、内裏《うち》にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば、王命婦《わうみやうぶ》を責め歩《あり》きたまふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現《うつつ》とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむ、という思したるに、いとうくて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむ、と、つらうさヘぞ思さるる。
何ごとをかは聞こえつくしたまはむ。くらぶの山に宿《やどり》も取らまほしげなれど、あやにくなる短夜《みじかよ》にて、あさましうなかなかなり。
見てもまたあふよまれなる夢の中《うち》にやがてまぎるるわが身ともがな
とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、
世がたりに人や伝へんたぐひなくうき身を醒めぬ夢になしても
思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣《なほし》などは、かき集めもて来たる。
現代語訳
藤壺の宮は、病にかかられることがあって、宮中を退出された。帝が、心細く思われ、嘆き申し上げなさるご様子も、源氏の君は、たいそう不憫に拝見しながら、このような機会にこそと、心も上の空に迷い、どちらにも、どちらにも参上なさらず、宮中でも、里でも、昼はぼんやりと物思いにふけってすごし、日が暮れると、王命婦を追い回して、藤壺宮に自分の気持ちを伝えてほしいとお責めになる。
どう段取りをつけたものだろう、ひどく無理な算段の末にお逢いした、その逢瀬の間さえも、現実とは思われないことがつらいことだ。
藤壺宮も、呆れることだった以前の逢瀬を思い出すだけでも、不断の物思いの種であるのに、せめてそれだけで終わりにしようと深く思われていたのに、こうなってしまったのが、実に情けなくて、耐えられないご様子ではありながら、源氏の君は、親しく愛らしく、そうかといって馴れ馴れしいということはなく、心深く気後れするような御ふるまいなどが、やはり人とは違っていらっしゃるのを、どうしてありふれた欠点の一つも、この御方は混じっていらっしゃらないのだろうかと、それがかえって辛くさえ思われる。
源氏の君は、藤壺宮へのさまざまな思いを、どうして申し上げ尽くすことができよう。一晩中夜が明けないという暗部の山に宿をとりたそうであるが、あいにくの短夜で、嘆かわしくて、かえって逢わないほうがよかったほどである。
(源氏)見てもまた…
(夢の中に貴女を見ても、またいつの夜逢えるか、おぼつかないのですから、私の身はこのまま夢の中にまぎれこんでしまいたいです。)
とむせ返りなさるさまも、やはり意地らしいので、
世がたりに…
(世の語り草として、人が噂しますよ。たぐいもなく辛い私の身を、醒めない夢とみなしたとしても)
(藤壺宮が)思い乱れていらっしゃるさまも、たいそう道理で、畏れ多い。命婦の君が、源氏の君の御直衣などは、集めて持ってきている。
語句
■いといとほしう見たてまつりながら 源氏の行為だが敬語がない。より高位の帝・藤壺との比較上、敬語をはぶいたもの。 ■あくがれ 「あくがる」は、魂が身から離れる。上の空になる。 ■王命婦 藤壺つきの女房。命婦は中臈の女房の呼称。 ■宮もあさましかりしを思し出づるだに… この文脈からは、藤壺宮は前に一度、源氏と逢瀬を持ったことになるが、そのことは物語中には書かれていない。そこで事実があったのか、ただ源氏に言い寄られただけかは不明。 ■世とともの 世にある限り心にまとわりつくということで、不断の。 ■くらぶの山 鞍馬山の古名とも、近江国甲賀郡蔵部にある山とも。 ■見てもまた 「あふよ」に「逢ふ夜」と夢が現実になるという意味の「合う世」を掛ける。「見る」「あふ」「夢」が縁語。 ■世がたりに… 「世がたり」は世間の語り草。このくだりには、『伊勢物語』六十九段「狩の使い」の影響がみられる。