【若紫 15】源氏、尼君を見舞い、紫の上の声を聞く
かの山寺の人は、よろしくなりて出でたまひにけり。京の御住み処《か》尋ねて、時々の御消息《せうそこ》などあり。同じさまにのみあるもことわりなるうちに、この月ごろは、ありしにまさるもの思ひに、ことごとなくて過ぎゆく。
秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひたちたまへるを、時雨《しぐれ》めいてうちそそく。おはする所は六条京極《ろくでうきやうごく》わたりにて、内裏《うち》よりなれば、すこしほど遠き心地するに、荒れたる家の、木立《こだち》いとものふりて、木暗《こぐら》く見えたるあり。例の御供に離れぬ惟光なむ、「故按察大納言《こあぜちのだいなごん》の家にはべりて、もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何ごともおぼえず、となむ申してはべりし」と聞こゆれば、「あはれのことや。とぶらふべかりけるを。などかさなむとものせざりし。入りて消息《せうそこ》せよ」とのたまへば、人入れて案内《あない》せさす。わざとかう立ち寄りたまへること、と言はせたれば、入りて、「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、「いとかたはらいたきことかな、この日ごろ、むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ」と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、南の廂ひきつくろひて入れたてまつる。
「いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて。ゆくりなく、もの深き御座所《おましどころ》になむ」と聞こゆ。げにかかる所は、例に違《たが》ひて思さる。「常に思ひたまへたちながら、かひなきさまにのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ。なやませたまふこと重くともうけたまはらざりけるおぼつかなさ」など聞こえたまふ。「乱り心地は、いつともなくのみはべるが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思しめしかはらぬやうはべらば、かくわりなき齢《よはひ》過ぎはべりて、かならずかずまヘさせたまへ。いみじう心細げに見たまへおくなん、願ひはベる道のほだしに、思ひたまへられぬべき」など聞こえたまヘり。
いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、「いとかたじけなきわざにもはべるかな。この君だに、かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかば」とのたまふ。あはれに聞きたまひて、「何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かうすきずきしきさまを見えたてまつらむ。いかなる契りにか、見たてまつりそめしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまで、この世の事にはおぼえはべらぬ」などのたまひて、「かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声《ひとこゑ》、いかで」とのたまへば、「いでや、よろづもの思し知らぬさまに、大殿籠《おほとのごも》り入りて」など聞こゆるをりしも、あなたより来る音して、「上《うへ》こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ」とのたまふを、人々いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。「いさ、見しかば心地のあしさ慰みき、とのたまひしかばぞかし」と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。いとをかしと聞いたまへど、人々の苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえおきたまひて帰りたまひぬ。げに言ふかひなのけはひや、さりとも、いとよう教えてむ、と思す。
現代語訳
あの山寺の人(尼君)は、いくらか病状がよくなって山をお出になった。源氏の君は、尼君の京の御住処を尋ねて、時々の御消息など送られる。
同じようにばかり返事があることも道理である中に、ここ何ヶ月かは、以前にもまさるもの思いに、他のことを考える余裕もなく過ぎてゆく。
秋の末ごろ、源氏の君は何となく心細くてたまらず、ため息をつかれる。月の美しい夜、忍んでお通いの所に、なんとか思い立ってご出発されたが、時雨めいて、雨が降りそそぐ。赴かれる所は六条京極あたりで、宮中から行かれるので、すこし道のりが遠いかんじがするが、荒れた家の、木立がたいそう古びていて、木々の梢がうっそうと暗く見えている家がある。
いつもの御供に漏れたことのない惟光が、(惟光)「故按察使大納言の家に尼君はいらして、なにかのついでに訪ねて見ましたところ、あの尼上は、たいそうお弱りになっていましたので、どうしてよいかわからないと、申してございました」と申し上げると、(源氏)「不憫なことよ。お見舞いにうかがうべきだったのに。どうして、そうと教えてくれなかったのだ。入って連絡せよ」とおっしゃるので、惟光は人を入れて取次を請わせる。
わざわざこうして源氏の君がお立ち寄りなさること、と言わせたところ、供人が家の中に入って、「このように源氏の君がご訪問になられました」と言うと、家の内ではおどろいて、(女房たち)「ひどく困ったことですよ。ここ数日、尼君は、まったくたいそうお弱りですので、ご対面などもできないでしょう」と言うが、源氏の君をお帰し申し上げるのも畏れ多いということで、南の廂をかたづけてお入れする。
(女房)「ひどくむさ苦しい所のありさまではございますが、せめてお見舞いのお礼だけでもと存じまして、急なご訪問で、うっとうしい御座所ですが」と申し上げる。まったくこのようなところは、源氏の君は、普段と違って思われる。
(源氏)「いつもお見舞いせねばと、その気になってはおりましたものの、そのかいのないようにばかりもてなされなさるので、遠慮いたしておりました。患っていらっしゃる、そのご病状が重くなっていることもうかがっておりませんでした。そのもどかしさと申しましたら…」など申し上げなさる。
(尼君)「患っておりますことは、いつということもなく、いつものことでございますが、(いよいよ)最期のようになりまして、たいそう畏れ多いことにお立ち寄りいただきましたのに、自ら挨拶も申し上げられませんで。おっしゃっていますあの件は、万が一にもお心が変わらずいらっしゃるようでございましたら、このような、お話にならない年齢を過ぎましてから、かならず大切にお迎えになってください。たいそう心細いように見えるまま、あの子をこの世に残し置きますことが、願っております往生の道のさまたげとなるように思わずにはいられないのでございます」など申し上げなさる。
尼君の部屋はたいそう近いので、心細そうな御声が絶え絶えに聞こえて、(尼君)「たいそう畏れ多いことでございますよ。この君さえ、お礼も申し上げられなさるほどの年齢でございましたら」とおっしゃる。
源氏の君はしみじみと悲しくお聞きになって、(源氏)「どうして、浅い思いで、こんな好色めいたさまをお見せいたしましょう。どんな前世からの契りでしょうか、はじめて拝見してから、愛しく思い申し上げているのも、不思議なまでに、この世だけの縁とは思えません」などとおっしゃって、(源氏)「こうして参りましてもかいのない気持ちばかりがしますが、あの幼くものをおっしゃる御一声を、なんとか」とおっしゃると、(女房)「さあどうでしょう。万事、物を知らないようすで、お休みになっております」など申し上げるちょうどその時、あちらから来る音がして、(紫の上)「おばあさま。あの寺にいらした源氏の君がいらっしゃったのですって。どうして拝見しないのですか」とおっしゃるのを、人々はたいそう間が悪いと思って、「しっ、静かに」と申し上げる。(紫の上)「さあどうかしら、源氏の君にお逢いしたら気分の悪いのがよくなった、とおっしゃったからですよ」と、ご自分ではいいことを申したと思って、おっしゃる。
源氏の君はたいそうおもしろいとお聞きになるが、女房たちがつらく思っているので、聞いていないふりをして、懇ろなお見舞いの言葉を申し置かれて、お帰りになった。
「ほんとうに、お話にならないような幼い様子であることよ、けれど、あの子を、ぜひうまく育て上げたいものだ」と、源氏の君は思われる。
語句
■よろしくなりて 「よろし」は「よし」よりもやや程度が低いプラスの状態。 ■うちに そのうえに。さらにもうひとつの重い条件が加わる。 ■ありしにまさるもの思ひ 藤壺の懐妊。 ■六条京極わたり 六条御息所かとも思われるが、身分が高くはなく源氏の愛情は薄く、後の六条御息所とはやや人物設定が異なる。 ■物深き 源氏の通された部屋は建物の外よりの廂の間なのになぜ「深き」か不審。鬱陶しいことをさすか。 ■乱り心地は… 以下、取次の女房による伝言。 ■限りのさま いまわのきわ。尼君は自身の死を予感している。 ■のたまはすることの筋 源氏が紫の上を所望している件。 ■たまさかにも 万が一にも。 ■かくわりなき齢 紫の上がまだ子供すぎることを言っている。 ■かずまへ 「かずまふ」は、人並に扱う。 ■願いはべる道 肉親の情に引っ張られなど、現世に執着を残すと往生できないとされていた。 ■ほだし 馬の足をつなぐ綱。転じて、さまたげとなるもの。支障。 ■いと近ければ 源氏のいる御座所と尼君の寝ている寝室が近いのである。尼君はもはや自力で起きられないので、病床から侍女に取次を頼んで源氏と会話している。 ■たまつべき 「たまひつべき」の約。 ■いかで 願望。下に「聞かまし」などが省略されている。 ■上こそ 「こそ」は呼びかけの間投詞。 ■おはしたなれ 「なり」は伝聞。紫の上は女房たちが話しているのを聞いて、間接的に、源氏の君が訪問していることを知った。