【若紫 16】源氏、ふたたび尼君を見舞い、紫の上を想う

原文

またの日もいとまめやかにとぶらひきこえたまふ。例の小さくて、

いはけなき鶴《たづ》の一声《ひとこゑ》聞きしより葦間《あしま》になづむ舟ぞえならぬ

同じ人にや」と、ことさら幼く書きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、やがて御手本に、と人々聞こゆ。少納言ぞ聞こえたる。「訪《と》はせたまへるは、今日をも過ぐしがたげなるさまにて、山寺にまかり渡るほどにて。かう訪《と》はせたまへるかしこまりは、この世ならでも聞こえさせむ」とあり。いとあはれと思す。

秋の夕《ゆふべ》は、まして、心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなる、ゆかりもたづねまほしき心もまさりたまふなるべし。「消えんそらなき」とありしタ《ゆふべ》、思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむ、とさすがに危《あやふ》し。

手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺《のべ》の若草

現代語訳

翌日もたいそう懇ろにお見舞い申し上げる。いつものように小さい結び文に、

(源氏)「いはけなき…

(幼い鶴の一声を聞いてからというもの、私は葦の間を進みあぐねている舟のように、言うに言われぬ思いです)

『同じ人にや』と古歌にあるとおりです」と、ことさら幼くあえて書いていらっしゃるのも、たいそう味わい深そうなので、このままお手本にと人々は申し上げる。少納言から源氏の君に御返事申し上げる。

(少納言)「お訪ねくださいました尼君は、今日をも超えづらそうなようすで、これから山寺に引き移るころでございまして。このようにお見舞いいただきました御礼は、あの世からでも申し上げましょう」とある。源氏の君は、たいそう悲しく思われる。無理やりに、縁のある人も訪ねたくなるような心もおつのりになるのだろう。「消えん空なき」と尼君がお詠みになった先日の夕べのことが、思い出されなさって、恋しくも、また、逢ってみたら見劣りがするのではないか、というお気持ちもさすがに出てきて危ぶまれる。

(源氏)手に摘みて…

(手に摘んで、なんとか早く見たいものだ。紫草(=藤壺)の根とつながっていた野辺の若草(=紫の上)を)

秋の夕べはただでさえ物思いの季節であるのに、まして、心の休まるひまなく思い乱れていらっしゃる方の御事に心をかけて、

語句

■例の いつものように、尼君当ての書簡に紫の上当ての結び文を同梱してある。 ■いはけなき… 「鶴」が紫の上を、「舟」が源氏をさす。「えならぬ」は言うに言われぬ。その「え」に「江」を掛け、引歌の「堀江」につなげる。「なづむ」はなかなか進めないこと。ここでは舟が。「鶴」「葦間」「なづむ舟」「江」が縁語。 ■同じ人にや 引歌「堀江漕ぐ棚なし小舟漕ぎかへり同じ人にや恋ひわたりなむ」(古今・恋四 読人しらず)。難波の堀江を漕ぎゆく棚なし小舟のように、何度も漕ぎ返しては同じ人を恋しく思いつづけるのだろうか。棚無し小舟は船棚のない小さな舟。 ■山寺 北山の僧都の坊。 ■あながちなる 「強ち」は無理やりなさま。 ■ゆかり 紫の上は藤壺宮の姪。 ■消えんそらなき 尼君の歌(【若紫 04】)。 ■見ば劣りやせむ 紫の上に実際に逢ってみたら、藤壺宮の代わりがつとまるほどではなく失望するのではないかと、源氏はそれを危ぶんでいる。 ■手に摘みて… 紫は紫草。根を染料にした。藤壺をさす。野辺の若草は紫の上をさす。藤壺と紫の上が叔母・姪の縁故関係であることをふまえる。「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今・雑上 読人しらず)をふまえる。紫草一本のために武蔵野の草がみな愛しく見えるの意。

朗読・解説:左大臣光永

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