【若紫 17】朱雀院の行幸準備、尼君の死去、源氏、弔う

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原文

十月《かんなづき》に朱雀院《すざくゐん》の行幸《ぎやうごう》あるべし。舞人《まひびと》など、やむごとなき家の子ども、上達部《かむだちめ》殿上人《てんじやうびと》どもなども、その方につきづきしきは、みな選《え》らせたまへれば、親王《みこ》たち大臣よりはじめて、とりどりの才《ざえ》ども習ひたまふ。いとまなし。

山里人にも、久しくおとづれたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣《つか》はしたりければ、僧都《そうづ》の返りごとのみあり。「たちぬる月の二十日《はつか》のほどになむ、つひにむなしく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ、幼きほどに恋ひやすらむ、故御息所《みやすどころ》に後れたてまつりしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。

現代語訳

十月に帝の朱雀院への行幸があることになっている。舞人など、身分ある家の子息たち、上達部、殿上人の方々なども、その方面にふさわしい者は、みな選ばれていらっしゃるので、親王たちや大臣からはじめて、さまざまの才芸を練習なさる。忙しくて暇もない。

源氏の君は、山里の人にも久しく訪れていらっしゃらなかったのを、思い出されて、わざわざ人を遣わしたところ、僧都の返事のみがあった。

(僧都)「先月の二十日あたりに、ついに亡くなられまして、世間の道理ではありますが、悲しみ嘆いております」などあるをご覧になると、源氏の君は、世の中のはかなさもしみじみと悲しく、尼君が気がかりに思っていた人もどうしているだろう、幼い年齢なので亡くなった尼君のことを恋い慕っているのではないかと、故御息所(桐壺更衣)に生き別れなさったことなど、はっきりとではないが思い出されて、浅くない心で訪問なさる。少納言が、心得あるご返事など申し上げた。

語句

■朱雀院 三条の南、朱雀の西にある後院。嵯峨天皇の造営。京都市中京区壬生花井町に朱雀院跡の碑。 ■ふりはへ わざわざ。ことさら。 ■故御息所 源氏は三歳で母桐壺更衣と死別した(【桐壺 04】)。

朗読・解説:左大臣光永

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