【若紫 18】源氏、紫の上の邸を訪ねる

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原文

忌みなど過ぎて、京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづからのどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人おそろしからむと見ゆ。例の所に入れたてまつりて、少納言、御ありさまなど、うち泣きつつ聞こえつづくるに、あいなう御袖もただならず。

「宮に渡したてまつらむとはべるめるを、故姫君のいと情なく、うきものに思ひきこえたまへりしに、いとむげに児《ちご》ならぬ齢《よはひ》の、またはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず、中空《なかぞら》なる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや交りたまはんなど、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、しるきこと多くはべるに、かくかたじけなきなげの御言《こと》の葉《は》は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべきをりふしにはべりながら、すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と聞こゆ。「何か、かうくり返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ。その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになり、心ながら思ひ知られける。なほ人づてならで、聞こえ知らせはや。

あしわかの浦にみるめはかたくともこは立ちながらかヘる波かは

めざましからむ」とのたまへば、「げにこそいとかしこけれ」とて、

「寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻《たまも》なびかんほどぞ浮きたる。

わりなきこと」と聞こゆるさまの馴れたるに、すこし罪ゆるされたまふ。「なぞ越えざらん」と、うち誦《ず》じたまへるを、身にしみて若き人々思へり。

君は、上《うへ》を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、「直衣《なほし》着たる人のおはする。宮のおはしますなめり」と聞こゆれば、起き出でたまひて、「少納言よ。直衣着たりつらむは、いづら。宮のおはするか」とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、あしう言ひてけり、と思して、乳母にさし寄りて、「いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、「いまさらに、など忍びたまふらむ。この膝のうへに大殿籠《おほとのごも》れよ。いますこし寄りたまへ」とのたまへば、乳母の、「さればこそ。かう世づかぬ御ほどにてなむ」とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、手をさし入れて探りたまへれば、なよよかなる御衣《ぞ》に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへたまへれば、うたて、例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて、「寝なむといふものを」とて強ひて引き入りたまふにつきて、すべり入りて、「今は、まろぞ思ふべき人。なうとみたまひそ」とのたまふ。乳母、「いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。聞こえさせ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを」とて、苦しげに思ひたれば、「さりとも、かかる御ほどをいかがはあらん。なほ、ただ世に知らぬ心ざしのほどを見はてたまへ」とのたまふ。

霰《あられ》降り荒れて、すごき夜《よ》のさまなり。「いかで、かう人少なに、心細うて過ぐしたまふらむ」とうち泣いたまひて、いと見捨てがたきほどなれば、「御格子《みかうし》まゐりね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人《とのゐびと》にてはべらむ。人々近うさぶらはれよかし」とて、いと馴れ顔に御帳《みちやう》の内に入りたまヘば、あやしう思ひの外《ほか》にも、とあきれて、誰も誰もゐたり。乳母《めのと》は、うしろめたうわりなしと思へど、荒らましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり。若君は、いと恐ろしう、いかならんとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思《おぼ》したるを、らうたくおぼえて、単衣《ひとへ》ばかりを押しくくみて、わが御心地も、かつは、うたておぼえたまヘど、あはれにうち語らひたまひて、「いざたまへよ。をかしき絵など多く、雛《ひひな》遊びなどする所に」と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖《お》ぢず、さすがにむつかしう、寝も入らずおぼえて、身じろき臥したまへり。

夜《よ》ひと夜《よ》風吹き荒るるに、「げにかうおはせざらましかば、いかに心細からまし。同じくはよろしきほどにおはしまさましかば」とささめきあへり。乳母《めのと》は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風すこし吹きやみたるに、夜深《ぶか》う出でたまふも、事あり顔なりや。「いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして片時《かたとき》の間《ま》もおぼつかなかるべし。明け暮れながめはべる所に渡したてまつらむ。かくてのみはいかが。もの怖ぢしたまはざりけり」とのたまへば、「宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日《なななぬか》過ぐしてや、など思うたまふる」と聞こゆれば、「頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ疎《うと》うおぼえたまはめ。今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ」とて、かい撫《な》でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ。

現代語訳

忌みなど過ぎて、京の屋敷に戻られたなどお聞きになると、源氏の君は、しばらくして、みずから用事のない落ち着いた夜に訪ねていかれた。

たいそう殺風景なふうで荒れた所で、人気も少ないので、どれほど幼い人は恐ろしいだろうと思われる。

いつもの御座所に源氏の君をお入れ申し上げて、少納言が、姫君の御ようすなど、泣きながら申し上げつづけると、源氏の君はわけもなく御袖も並々でなくお濡れになる。

(少納言)「この子の父であります宮にお渡し申し上げようといたしましたようですが、亡くなられた姫君がほんとうに情けなく、つらいものと思い申しなさっておられた所に、そうひどく幼い子供というわけではない年齢で、そうはいってもまた、はっきりと人の意向もお見知りにならず、中途半端な御年で、多くの御子たちがいらっしゃる中で、見くびられる存在として周囲とお交わりになられることなど、亡くなられた尼君も、始終思い嘆いていらしたことですし、はっきり継子いじめがあると示す証拠も多くございますので、このようなありがたい、かりそめの御言葉は、後の御気持ちについても気をまわし申すことはいたしませんで、たいそううれし存じ上げるべき時ではございますが、すこしも姫君はふさわしいご様子でもいらっしゃらず、御年よりも子供じみていらっしゃいますので、たいそう間が悪いのでございます」と申し上げる。

(源氏)「どうして、こうして繰り返しお伝え申し上げている心のほどを、遠慮なさるのでしょうか。そのたわいもない御心のありさまが、しみじみと愛しく、親しみ深くお見えになられるのも、前世からの約束が格別なのだと、われながら思い知ったのです。やはり人づてではなく直接、申し上げてお知りいただきたい。

(源氏)あしわかの…

(若い葦の生える和歌の浦に海松布はめったに生えないとしても、この私は寄せてそのまま立ち返っていく波なのでしょうか。いや、それではいけない。波は和歌の浦に打ち寄せて、若いあなたに直接お逢いしなければ…)

あんまりな仕打ちではありませんか」とおっしゃると、(少納言)「まったく、たいそう畏れ多いことで」といって、

(少納言)「寄る波の…

(寄せる波の心も知らないで和歌の浦に玉藻がなびくなら、それは浮ついた浅い気持ちということになります)

無理な仰せです」と申し上げるさまが洗練されているので、源氏の君はすこし救われたお気持ちになった。

(源氏)「なぞ越えざらん」と朗唱なさるのを、身にしみてすばらしいと、若い女房たちは思う。

姫君は、尼上を恋しく思われて泣き伏していらしたところ、遊び相手たちが、「直衣を着た人がいらっしゃいます。父宮がいらっしゃるようです」と申し上げると、起き出しなさって、(紫の上)「少納言や、直衣着ている方というのは、どこですか。父宮がいらっしゃるのですか」といって、寄っていらした御声は、たいそうかわいらしい。

(源氏)「父宮ではありませんが、だからといって他人扱いにはできませんよ。こちらへ」とおっしゃるのを、あの立派でいらした人と、子供ながらも聞いてわきまえて、まずいことを言ったと思われて、乳母にすり寄って、(紫の上)「さあ寝床に行きましょう。眠たいから」とおっしゃると、(源氏)「いまさらに、どうしてお隠れになるのですか。この膝の上に休みなさい。もう少しお寄りなさい」とおっしゃると、乳母が、「だから申し上げたのです。このように世間慣れしないお年頃でいらっしゃいまして」といって、姫君を源氏の君の方に押し寄せ申し上げると、姫君は無心ですわっていらっしゃる。そこへ源氏の君は手をさし入れてお探りになると、柔らかな御召し物の上に、髪がつやつやとかかって、髪の先はふさやかであることが手探りでおわかりになる、たいそう美しいことが想像される。

手をおつかまえになると、気味が悪く、慣れない人が、このよう近づきなさるのは、恐ろしくて、(紫の上)「寝ようというのに」といって強いて奥に引き込みなさるのについて、源氏の君は御簾の中にすべり入って、(源氏)「今は、私があなたを可愛がる者です。嫌がられますな」とおっしゃる。

乳母は、「さあ、なんとまあ困ったこと。とんでもないことでございますよ。お伝え申し上げなさったとしても、まったく何のかいございませんでしょうに」といって、辛そうに思っているので、(源氏)「そうはいっても、このように幼い方を私がどうこうするものですか。やはり、ただこの世にまたとない私の思いの深さを最後までご覧ください」

霰が降って風は荒く、恐ろしい夜のさまである。(源氏)「どうして、このような人気の少ないところに、心細くお過ごしになれましょうか」と源氏の君はお泣きになって、ほんとうに見捨てづらい有様なので、(源氏)「御格子をおろしなさい。なんとなく恐ろしい夜のさまであるようなので、私が宿直人をつとめましょう。みなさん、近くにいらっしゃい」といって、たいそう馴れた顔で御帳の内へお入りになると、とんでもない心外なことと、あきれて、誰もみなそこに控えている。

乳母は、気がかりで困ったことと思うが、事を荒げて何か申し上げ騒ぐべきではないので、ため息をつきながら控えている。

姫君は、ほんとうに恐ろしく、どうなるのだろうと震えがおさえられず、たいそう美しい御肌つきも、なんとなく寒そうに思われているのを、源氏の君はかわいく思われて、単衣だけを包むように着せて、ご自分のお気持ち、一方では異常なことに思われるが、しみじみと情をこめてお語らいになって、(源氏)「さあいらっしゃいな。おもしろい絵など多く、人形遊びなどする所に」と、気に入るだろうことをおっしゃる様子の、たいそう優しそうなのを、姫君は、幼心地にも、たいそうひどくは怖がらず、そうはいってもさすがに気味が悪く、寝入ることもできず思えて、身じろぎして横になっていらっしゃる。

一晩中風が吹き荒れるので、(女房)「まったく、こうして君がいらっしゃらなかったら、どんなに心細かったでしょう。同じことなら、源氏の君と姫君が、釣り合った年頃でいらっしゃったら」と、女房たちはささやきあっている。

乳母は、気がかりなので、たいそう近くに控えている。風がすこし吹きやんだので、夜がまだ深いうちにお帰りになるのも、さもそういう事があったような顔であるよ。

(源氏)「たいそう愛しく拝見する姫君の御様子を、今はまして片時の間も忘れられないに違いありません。私が明け暮れ物思いにふけっている所にお移しいたしましょう。このようにばかりしているのはいかがなものでしょう。よく今まで怖がらなかったものです」とおっしゃると、(少納言)「父宮さまも、御迎えになどと申し上げていらっしゃるようですが、この御四十九を過ぎてから、などと私どもは存じております」と申し上げると、(源氏)「父宮は、頼もしい筋ではありますが、遠くにずっといらしたのでは、私と同じように、姫君は疎遠に思われるでしょう。私は今になって姫宮にお逢い申し上げるのですが、浅くな気持ちは父宮にもまさっています」と、姫宮(紫の上)の髪を撫でつつ、振り返り振り返りご出発された。

語句

■忌み 母方の祖父祖母が亡くなった場合、二十日間の忌み、三ヶ月喪服を着る(『拾芥略要抄』)。 ■あいなう 「あいなし」はわけもなく。 ■ただならず 並々でなく。 ■宮に渡したてまつりて… 以下、少納言の台詞はあまりに冗長で、内容が薄く、くどい。 ■宮 紫の上の父・兵部卿宮。藤壺の兄。 ■故姫君 紫の上の実母。尼君の娘。 ■おもむけ 人の意向。「赴く」からの転。 ■中空なる 中途半端な。 ■あなづらはしき 「あなづらはし」は見くびられる。実子の中だただ一人の継子として、いじめられること。 ■なげの御言の葉 かりそめの御言葉。口先だけの御言葉。 ■なぞらひなるさま ふさわしい様子。 ■ならひたまへれば 「ならふ」は習慣づく。いつもの仕草や生活習慣のこと。 ■あしわかの… 「あしわか」は若い葦の生えた和歌の浦。年若いことから、紫の上をさす。「波」が源氏。「みるめ」は海松布(海藻)と、「見る目」(逢うこと)を掛ける。 ■寄る波の… 「波」は源氏。「玉藻」は紫の上。「玉藻」「なびく」「浮く」が縁語。 ■罪ゆるされたまふ 「罪」は欠点。紫の上に会わせないこと。断われられたが、断り方が洗練されるので、少し救われたということ。 ■なぞ越えざらん 「人知れぬ身はいそげども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰・恋三 藤原伊尹)。人に知られないように一人で急いで通っているが、何年経ってもどうして逢坂の関を超えられないのか。なかなか意中の女に逢えないもどかしさを歌う。 ■御遊びがたき 遊び相手。「かたき」は相手。 ■直衣 貴族の男子の平服。 ■いざかし 「いざたまへかし」の約。 ■さればこそ 紫の上の幼稚な態度を受けて。だから申し上げたとおり、まだまだ幼くてお話にならないんですよ、の意。 ■手をさし入れて 紫の上と源氏を隔てる御簾などの下から手を入れた。源氏は廂の間に、紫の上は母屋の中にいて、両者の間は御簾や几帳で隔てられている。 ■御格子まゐりね 「格子まゐる」は格子を上げる場合も下げる場合も使う。 ■あやしう思ひの外にも 下に「あるかな」などが省略されている。幼女と添い寝することが「あやし」と感じたのである。 ■うしろめたう 「後ろめたし」は気がかりだ。 ■聞こえ騒ぐ 「言い騒ぐ」の謙譲。 ■単衣 肌着。下着。 ■雛遊び 人形遊び。雛は紙でつくった人形。 ■夜ひと夜 一晩中。 ■かくてのみはいかが 人気の無い界隈の、見すぼらしい家にすまっていること。

朗読・解説:左大臣光永

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