【若紫 19】源氏、紫の上邸の帰り道に女を訪ねて逢えず

いみじう霧《き》りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想《けさう》もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひたまふ所の、道なりけるを思し出でて、門うち叩かせたまへど、聞きつくる人なし。かひなくて、御供に声ある人して、うたはせたまふ。

あさぼらけ霧立つそらのまよひにも行き過ぎがたき妹《いも》が門《かど》かな

と二返《ふたかへ》りばかりうたひたるに、よしある下仕《しもづかひ》を出《い》だして、

立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは草のとざしにさはりしもせじ

と言ひかけて入りぬ。また人も出で来《こ》ねば、帰るも情なけれど、明けゆく空もはしたなくて、殿へおはしぬ。

をかしかりつる人のなごり恋しく、ひとり笑みしつつ臥したまへり。日高う大殿籠《おほとのごも》り起きて、文やりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐまへり。をかしき絵などをやりたまふ。

現代語訳

たいそう霧が一面に立ち込めている空も常ならぬ情緒である上に、霜がたいそう白く置いて、これが本当の色恋沙汰ならしみじみ情緒深かったにちがいないのに、そうではないのだから、源氏の君は物足りなく思っていらっしゃる。

たいそう忍んでお通いの場所が、この途中であったのを思い出されて、門を叩かせなさるが、聞きつける人もない。しかたがなくて、御供に声のよい人に命じて、歌わせなさる。

あさぼらけ…

(明け方の空に霧が立ち込めている中迷っていますが、そんな中にも通り過ぎがたいあなたの家の門ですよ)

と二回ほど歌ったところ、心得た下仕を出して、

立ちとまり…

(立ち止まって霧のまがきが過ぎがたいのであれば、草の戸なんて、あなたの行く手をはばむ障害にはなりませんでしょうに。それなのにあなたはたかが草の戸に邪魔されている。あなたのお気持ちも、たいしたことではないということです)

と言いかけて家の内に入ってしまった。それから誰も出てこないので、帰るのも情緒がないが、空が明けていくのもみっともなくて、屋敷(二条院)へ帰られた。

源氏の君は、かわいらしかった人(紫の上)のなごりが恋しく、ひとり笑いしつつ横になっていらっしゃる。日が高くなるまでお休みになっていてから起きて、手紙を送りなさるのに、書くべき言葉もふつうの恋文のようにはいかないので、筆を置き置きして熱心に取り組んでおられる。おもしろい絵などを描き送りなさる。

語句

■まことの懸想 紫の上はまだ幼女だから枕を供にすることはできない。だから「まことの懸想」ではないということ。 ■あさぼらけ… 「妹が門、夫(せな)が門、行き過ぎかねて、や、わが行かば、肱笠の、広笠の、雨もや降らなむ、しでたをさ、雨やどり、笠やどり、宿りてまからむ、しでたをさ」(催馬楽 妹が門)による。「妹が門ゆきすぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ」(万葉集 2685)、「妹が 門行きすぎかねつ肱笠の雨も降らなむあまがくれせむ」(『古今六帖』第一)などの類歌あり。にわか雨にかこつけて女の家に立ち寄ろうという趣向。 ■立ちとまり 「女のもとにまかりたりけるに、門をさして開けざりければ、まかりかへりてあしたにつかはしける 兼輔朝臣/秋の夜の草のとざしのわびしきは明くれどあけぬものにぞありける」。返し「いふからにつらさぞまさる秋の夜の草のとざしにさはるべしやは」(読人しらず)(『後撰集』恋五)。歌の意味は、「秋の夜の草の戸のわびしいことは、夜が明けても戸を開けてくれないことだ」。返し「言うとすぐに辛さがまさる秋の夜に、草の戸に妨げられていてよいものでしょうか」。「さはる」は妨げられる。

朗読・解説:左大臣光永

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