【若紫 21】源氏、惟光を紫の上邸に遣わし内情をさぐらせる

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原文

君の御もとよりは、惟光を奉れたまへり。「参り来《く》べきを、内裏《うち》より召しあればなむ。心苦しう見たてまつりしも、静心《しづごころ》なく」とて、宿直人《とのゐびと》奉れたまへり。「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ。宮聞こしめしつけば、さぶらふ人々のおろかなるにぞさいなまむ。あなかしこ。もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」など言ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや。少納言は、惟光にあはれなる物語どもして、「あり経《へ》て後《のち》や、さるべき御宿世《すくせ》、のがれきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れはべる。今日も宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕《つか》うまつれ、心幼くもてなしきこゆな』と、のたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御すき事も思ひ出でられはべりつる」など言ひて、この人も事あり顔にや思はむ、など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。大夫《たいふ》も、いかなることにかあらむ、と心得がたう思ふ。

参りてありさまなど聞こえければ、あはれに思《おぼ》しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、かるがるしう、もてひがめたると、人もや漏り聞かむなど、つつましければ、ただ迎へてむと思す。御文《ふみ》はたびたび奉れたまふ。暮るれば、例の大夫をぞ奉れたまふ。源氏「さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。「宮より、明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生《よもぎふ》をかれなむも、さすがに心細く、さぶらふ人々も思ひ乱れて」と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、物縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。

現代語訳

源氏の君の御もとからは、惟光を(紫の上の邸へ)遣わされた。(源氏)「うかがい参るべきでしたが、宮中から召しがあったので…。心苦しく拝見しておりまして、心が静まりませんでした」といって、惟光を宿直人として遣わしになる。

(女房)「あんまりではございませんか。戯れ事にしても、ご縁組のはじめにこの御ことといったら。父宮がお聞きになられたら、お仕えしている人々の粗相としてお叱りになられるでしょう。けしてけして。もののついでに、うっかりと言い漏らして宮に申し上げなさいますな」など言っても、源氏の君は、それを何とも主つていらっしゃらないのは呆れたことよ。

少納言は、惟光にしみじみと情の深い話をあれこれして、(少納言)「月日を経て後に、そうなるべきご宿命が、お逃れ申すことがおできになられないということもあるでしょう。ただ今は、まったく少しも似つかわしくない御ことと拝見します。そんな姫君を、君が、不思議にご執心なさるのも、どんな御心からだろうと、判断がつかず迷っております。今日も父宮がいらっしゃって、『安心できるように姫君にお仕え申し上げよ。分別なく扱い申し上げるな』とおっしゃったのも、たいそう頭の痛いことで、いつもよりも、このような色めいた御ふるまいもつい気になってしまいます」などと言って、この惟光も、何か事があったのではないかと思うのではないか、など、それならばつまらないことになるので、ひどく嘆かしそうにも、あえて言わない。惟光も、どういうことなのだろうと、合点がいかず思う。

惟光が源氏の君のもとに参上して報告申し上げると、源氏の君はしみじみと愛しく思いやられるが、そうかといって紫の上の邸へお通いになるのも、さすがにやりすぎな気持ちがして、軽率だ、ひねくれていると、人が漏れ聞くだろうことなど、はばかられるので、いっそ(二条邸に紫の上を)お迎えしようと思われる。

御文はたびたび差し上げなさる。日が暮れると、いつもの惟光を遣わされる。(源氏)「さまたげになる事がいろいろあって、参上できないのを、粗略だと思われはせぬかと…」などある。

(少納言)「父宮から、明日急にお迎えにとおっしゃってきましたので、あわてております。長年住み慣れた蓬生の宿を離れるのも、さすがに心細く、お仕えする女房たちも心乱れておりまして…」と言葉少なに言って、すこしも取り合わず、縫い物をしたり用意している気配などがはっきりわかったので、惟光は立ち去って源氏の君のもとに参上した。

語句

■宿直人 惟光のこと。 ■もののはじめに 当時、男が女のもとに3日通うと結婚となる。源氏は一日だけ紫の上とすごして、しばらくほっておいた。それが、かりそめの関係にしても、酷いというのである。 ■あなかしこ 感動詞「あな」+形容詞「かしこし」の語幹。けしてけして。禁止。 ■いはけなく 「稚けなし」は子供っぽい、幼いの意だが、ここでは「うっかりして」と取る。 ■何とも思したらぬぞあさましきや この場にいるのは惟光だが、源氏の君の意思について論じられている。紫の上邸への惟光の使いは一度だけでなく継続して何度も行われていることが読み取れる。 ■あり経て 「あり経(ふ)」は月日を経ること。以下の台詞は、源氏が紫の上を妻として迎えることを言う。 ■かけても 下に否定の語をともなって「全く~ない」。 ■ただなるよりは 「ただ」は兵部卿宮が訪れて紫の上を引き取ると言いはじめた、それより以前のこと。 ■この人も 少納言は源氏の君と紫の上の間で間違いが起こったのではないか…と疑っており、自分についでこの惟光もそのことを疑うのではないかと心配している。 ■あいなければ 「あいなし」は興ざめだ。つまらない。少納言は惟光に弱みを見せて疑われまいとして、ポーカーフェースを作っている。 ■もてひがめたる 接頭語「もて」+「ひがむ(ひねくれる)」。 ■蓬生 蓬などの雑草が生い茂った所。自宅を謙譲して言う表現。ここでは故大納言邸。 ■かれなむも 「離れ」と「枯れ」を掛ける。「枯れ」は「蓬生」の縁語。 ■をさをさ 下に打ち消しの語を伴って、少しも、滅多に~ない。

朗読・解説:左大臣光永

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