【若紫 24】源氏、紫の上に手習いを教える

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原文

君は二三日《ふつかみか》内裏《うち》へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて本《ほん》にと思すにや、手習《てならひ》絵などさまざまにかきつつ見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげにかき集めたまへり。「武蔵野といへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる、墨つきのいとことなるを取りて見ゐたまへり。すこし小さくて、

ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを

とあり。「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教へきこえむかし」とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。「書きそこなひつ」と恥じて隠したまふを、せめて見たまへば、

かこつべきゆゑを知らねばねぼつかないかなる草のゆかりなるらん

と、いと若けれど、生《お》ひ先見えて、ふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。今めかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむ、と見たまふ。雛《ひひな》など、わざと屋《や》ども作りつづけて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひのまぎらはしなり。

現代語訳

源氏の君は、二三日宮中にも参上なさらないで、この人(紫の上)をなつかせようとお話をし相手をしておあげになる。

そのまま手本にと思われるのだろうか、手習いや絵など、さまざまにかいては、お見せ申し上げなさる。たいそう見事に、たくさんおかきになった。

その中に、「武蔵野といへばかこたれぬ(武蔵野といえば恨み言がこみあげます)」と紫の紙にお書きになった、そのご筆跡がたいそう格別に見事なのを、姫君はお手に取ってご覧になっていらっしゃる。その脇にすこし小さい字で、

(源氏)ねは見ねど…

(まだ枕をともにしたことはないが、とてもかわいく思う。武蔵野の露をわけてあぐねるように、逢いかねている紫草のゆかりである貴女を)

とある。(源氏)「さあ貴女もお書きなさい」とおっしゃると、(紫)「まだよくは書かかない」といって源氏の君をお見上げなさるのが、無心で可愛らしいので、源氏の君はほほ笑まれて、「よくはなくても、まったく書かないのが悪いのですよ。お教えしましょう」とおっしゃると、横を向いてお書きになる手つき、筆をおとりになる様子の幼いのも、ひたすら可愛く思われるので、わが心ながら不思議だと思われる。(紫)「書きそこなっちゃった」と恥ずかしがってお隠しになるのを、源氏の君は無理にご覧になると、

(紫)かこつべき…

(「かこつ(結びつける)」理由がわからないので、気になります。私はどんな草のゆかりなのかしら)

と、たいそう幼いけれど、成長したその先が見えて、ふくらかな筆跡でお書きになっている。故尼君の筆跡と似ているのである。今風の手本を習えば、たいそう上手にお書きになるだろう、と源氏の君はご覧になる。人形など、わざわざ家をたくさん作りつづけて、ご一緒に遊び遊びして、源氏の君にとっては、格別にもの思いをまぎらわされることである。

語句

■武蔵野といへばかこたれぬ 「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」(古今六帖五)。知らない土地ながら武蔵野といえば恨み言を言ってしまう。それは紫草のせいだ。紫の上が藤壺の姪なので、藤壺への恋慕についてつい恨み言を言いたくなるの意を匂わせる。しかしこの言葉の真意は紫の上には伝わらない。 ■もは見ねど… 「武蔵野の露わけわぶる草」が藤壺。その「ゆかり」が紫の上。「根」に「寝」を掛ける。「露わけわぶる」は露がびっしりと置いているのでそれをかき分けて進むことが難しい=藤壺になかなか逢えないもどかしさを言う。 ■かこつべき 源氏の言葉を受けて「かこたれぬ」の意味がわからない、わけがわからないと歌う。「かこつ」は源氏の言葉は「恨み言を言う」の意だが、紫の上の歌では「関係ないことを無理に結びつける」の意になっている。「おぼつかな」は「おぼつかなし」の語幹で詠嘆の意をこめる。 ■こよなき物思い 藤壺への恋慕による物思い。

朗読・解説:左大臣光永

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