【若紫 25】父兵部卿宮と女房たち、紫の上が行方不明で呆然とする

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原文

かのとまりにし人々、宮渡りたまひて尋ねきこえたまひけるに、聞こえやる方なくてぞわびあへりける。「しばし人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思うことなれば、せちに口がためやりたり。ただ、「行く方も知らず、少納言が率《ゐ》て隠しきこえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、故尼君もかしこに渡りたまはむことを、いとものしと思したりしことなれば、乳母のいとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに、渡さむを便《びん》なしなどは言はで、心にまかせて、率《ゐ》てはふらかしつるなめり、と泣く泣く帰りたまひぬ。「もし聞き出でたてまつらば告げよ」とのたまふもわづらはしく。僧都の御もとにも尋ねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌《かたち》など恋しくかなし、と思す。北の方も、母君を憎しと思ひきこえたまひける心もうせて、わが心にまかせつべう思しけるに違《たが》ひぬるは、口惜しうおぼしけり。

現代語訳

あの屋敷(紫の上邸)に留まった女房たちは、父宮がいらっしゃってお尋ねになると、申し上げようがなくて一同困ってしまった。「しばらく人に知らせないように」と源氏の君もおっしゃり、少納言もそう思っていることなので、固く口止めしてやっていた。ただ、「行方も知らず、少納言が連れて隠し申したのです」とだけ申し上げると、父宮も言っても仕方なく思われて、故尼君もあちら(兵部卿宮邸)に姫君(紫の上)がお移りになることを、ひどく嫌だと思われていたことなので、乳母がたいそう行き過ぎた考えのあまり、素直に姫君を渡すことを嫌だなどとは言わずに、心にまかせて、連れ出して放り出したのだなと、泣く泣くお帰りになった。(宮)「もし聞き出し申したら教えなさい」とおっしゃるのも女房たちには困ったことである。

父宮は僧都(紫の上の祖父)の御もとにも尋ね申し上げなさるが、跡形もなくて、もったいないほどであったご器量などを恋しく愛しいと思われる。

北の方も、母君を憎いと思い申し上げなさった心も消えて、姫君が自分の心のままになるだろうと思っていたのに当てが外れたのは、残念に思われた。

語句

■おいらかに 「おいらかなり」は素直。穏やか。 ■はふらかし 「はふらかす」は放り出す。うち捨てる。 ■あたらしかりし 「あらたし」は惜しい。もったいない。 ■北の方 兵部卿宮の北の方。 ■母君 紫の上の実母。按察使大納言の娘。 ■ものし 不快だ。厭わしい。

朗読・解説:左大臣光永

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