【末摘花 04】頭中将、源氏の後をつけ、戯れいさめる

寝殿の方に、人のけはひ聞くやうもやと思して、やをら立ちのきたまふ。透垣《すいがい》のただすこし折れ残りたる隠れの方に、立ち寄りたまふに、もとより立てる男ありけり。誰ならむ、心かけたるすき者ありけりと思して、蔭につきてたち隠れたまへば、頭中将《とうのちゆうじやう》なりけり。この夕つ方、内裏《うち》よりもろともにまかでたまひける、やがて大殿にも寄らず、二条院にもあらで、引き別れたまひけるを、いづちならむと、ただならで、我も行く方あれど、あとにつきてうかがひけり。あやしき馬《むま》に、狩衣姿のないがしろにて来ければ、え知りたまはぬに、さすがに、かう異方《ことかた》に入りたまひぬれば、心も得ず思ひけるほどに、物の音《ね》に聞きついて立てるに、帰りや出《い》でたまふと、した待つなりけり。

君は、誰ともえ見分きたまはで、我と知られじと、ぬき足に歩みのきたまふに、ふと寄りて、「ふり捨てさせたまへるつらさに、御送り仕うまつりつるは。

もろともに大内山は出でつれど入る方見せぬいさよひの月

と恨むるも、ねたけれど、この君と見たまに、すこしをかしうなりぬ。「人の思ひよらぬことよ」と憎む憎む、

里分かぬかげをば見れど行く月のいるさの山を誰かたづぬる

「かう慕ひ歩《あり》かば、いかにせさせたまはむ」と聞こえたまふ。「まことは、かやうの御歩《あり》きには、随身《ずいじん》からこそはかばかしきこともあるべけれ、後《おく》らさせたまはでこそあらめ。やつれたる御歩きは、かるがるしきことも出《い》で来《き》なむ」とおし返し諫《いさ》めたてまつる。かうのみ見つけらるるを、ねたしと思せど、かの撫子《なでしこ》はえ尋ね知らぬを、重き功《こう》に、御心の中《うち》に思し出づ。

現代語訳

寝殿の方で、姫君の気配を聞こともあるかとお思いになって、源氏の君は、そっと部屋をお出になる。透垣がほんの少し折れずに残っている物陰の方に立ち寄られると、前からそこに立っていた男があった。

誰だろう、姫君に思いを寄せるすき者があったのだとお思いになって、物陰そっとお隠れになると、頭中将であったのだ。

この夕方、源氏の君と頭中将は、宮中からご一緒に退出された。そのまま左大臣邸にも寄らず、二条院にも帰らず、お別れになったのを、頭中将は、源氏の君はどこへ行かれたのだろうと、じっとしておれず、自分も行く所があるが、後についてうかがっていたのだ。

頭中将は貧相な馬に、狩衣姿の無造作な装いで来たので、源氏の君はお気付にならなかったが、頭中将は、源氏の君がこのように変わった所にお入りになったので、わけがわからず思っていたが、邸内からきこえてきた笛の音をきいて立っているうちに、源氏の君がもどっていらっしゃるだろうと、期待して待っていたのだ。

源氏の君はその男を誰とも見分けることがおできにならず、自分と知らせまいと、ぬき足で歩いてその場を離れさるが、男がすっと寄って、(頭)「私をまいてしまわれたことが恨めしいので、御送り申し上げましたよ」

もろともに…

(ご一緒に内裏を出ましたが、あなたはどこの峰に入ったかもわからない十六夜の月のように姿を消してしまわれましたね)

と恨み言をいうのも、憎らしいが、この君(頭中将)とご覧になると、源氏の君は、すこしおかしくお思いになった。(源氏)「思いもよらぬことをなさいますな」と憎まれ口を叩き叩きなさって、

(源氏)里分かぬ…

(どの里もまんべんなく照らす月の光を見ることはあっても、まさかその月が入っていく山を訪ねていく人があるとはね。後をつけるなんて、君も相当な物好きだな)

(頭)「こうしてつきまとったら、どうなさいますか」と申し上げなさる。(頭)「実際、このような御忍び歩きには、お供によってうまくいくこともあるものですよ、私を置いていかないでお供させてくださいよ。御身をやつしてのお忍び歩きには、軽はずみなことも起こりましょうから」と何度も諌め申し上げる。

源氏の君は、このように頭中将に見つけられてばかりいるのを、恨めしいと思われるが、あの撫子を中将がまだ捜し出せていないので、自分が撫子のゆくえを知っていることは大手柄だと、源氏の君は、御心の中で思い出される。

語句

■透垣 木や竹で間をすこし透かして作った垣根。 ■頭中将 源氏の正妻葵の上の兄。左大臣の長男。 ■ただならで じっとしておれないで。 ■した待つ  期待して待つ。 ■もろともに… 源氏を十六夜の月にたとえた。「大内山」は仁和寺北方の山。現御室大内。「白雲の九重に立つ峰なれば大内山といふにぞありける」(大和物語三十五、兼輔集)をふまえ、内裏をさしていう。 ■里分かぬ 月がどの里もまんべんなく照らすことと、源氏がそこらじゅうの女のところに通っていることを掛ける。「入佐の山」は但馬国にある山。歌枕。現兵庫県豊岡市出石町入佐。 ■撫子 夕顔と頭中将の娘。後の玉鬘。

朗読・解説:左大臣光永

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