【末摘花 08】源氏、末摘花と逢う

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原文

八月二十余日《はづきにじふよにち》、宵《よひ》過ぐるまで待たるる月の心もとなきに、星の光ばかりさやけく、松の梢吹く風の音心細くて、いにしへのこと語り出でて、うち泣きなどしたまふ。いとよきをりかなと思ひて、御消息《せうそこ》や聞こえつらむ、例のいと忍びておはしたり。

月やうやう出でて、荒れたる籬《まがき》のはどうとましく、うちながめたまふに、琴《きん》そそのかされて、ほのかに掻き鳴らしたまふほど、けしうはあらず。すこしけ近う、今めきたるけをつけばとぞ、乱れたる心には心もとなく思ひゐたる。人目しなき所なれば、心やすく入りたまふ。命婦を呼ばせたまふ。今しも驚き顔に、「いとかたはらいたきわざかな。しかじかこそおはしましたなれ。常にかう恨みきこえたまふを、心にかなはぬよしをのみ、いなびきこえはべれば、『みづからことわりも聞こえ知らせむ』とのたまひわたるなり。いかが聞こえかへさむ。並々のたはやすき御ふるまひならねば、心苦しきを、物越しにて、聞こえたまはむこと聞こしめせ」と言へば、いと恥づかしと思ひて、「人にもの聞こえむやうも知らぬを」とて奥さまへゐざり入りたまふさま、いとうひうひしげなり。うち笑ひて、「いと若々しうおはしますこそ心苦しけれ。限りなき人も、親などおはしてあつかひ後見《うしろみ》きこえたまふほどこそ、若びたまふもことわりなれ、かばかり心細き御ありさまに、なほ世を尽きせず思し憚るは、つきなうこそ」と教へきこゆ。さすがに、人の言ふことは強うもいなびぬ御心にて、「答《いら》へきこえで、ただ聞けとあらば、格子など鎖してはありなむ」とのたまふ。「簀子《すのこ》などは便《びん》なうはべりなむ。おしたちて、あはあはしき御心などは、よも」など、いとよく言ひなして、二間《ふたま》の際《きは》なる障子《さうじ》、手づからいと強く鎖《さ》して、御褥《しとね》うち置きひきつくろふ。

いとつつましげに思したれど、かやうの人にもの言ふらむ心ばへなども、ゆめに知りたまはざりければ、命婦のかう言ふを、あるやうこそはと思ひてものしたまふ。乳母《めのと》だつ老人《おいびと》などは、曹司《ぞうし》に入り臥《ふ》して、夕まどひしたるほどなり。若き人二三人あるは、世にめでられたまふ御ありさまを、ゆかしきものに思ひきこえて、心げさうしあへり。よろしき御衣《ぞ》奉りかへ、つくろひきこゆれば、正身《さうじみ》は、何の心げさうもなくておはす。男は、いと尽きせぬ御さまを、うち忍び用意したまへる御けはひ、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、はえあるまじきわたりを。あないとほし」と、命婦は思へど、ただおほどかにものしたまふをぞ、うしろやすうさし過ぎたることは見えたてまつりたまはじと思ひける。わが常に責められたてまつる罪避りごとに、心苦しき人の御もの思ひや出で来むなど、やすからず思ひゐたり。

君は人の御ほどを思せば、ざれくつがへる、今様のよしばみよりは、こよなう奥ゆかしうと思さるるに、いたうそそのかされて、ゐざり寄りたまへるけはひ、しのびやかに、えひの香《か》いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、さればよと思す。年ごろ思ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして近き御答へは絶えてなし。わりなのわざやと、うち嘆きたまふ。

「いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

のたまひも棄《す》ててよかし。玉だすき苦し」とのたまふ。女君の御乳母子《めのとご》、侍従《じじゆう》とて、はやりかなる若人《わかうど》、いと心もとなう、かたはらいたしと思ひて、さし寄りて聞こゆ。

鐘つきてとぢめむことはさすがにてこたへまうきぞかつはあやなき

いと若びたる声の、ことにおもりかならぬを、人づてにはあらぬやうに聞こえなせば、ほどよりはあまえてと聞きたまヘと、「めづらしきが、なかなか口ふたがるわざかな。

いはぬをもいふにまさると知りながらおしこめたるは苦しかりけり」

何やかやとはかなきことなれど、をかしきさまにも、まめやかにも、のたまへど、何のかひなし。

いとかかるも、さま変り、思ふ方ことにものしたまふ人にやと、ねたくて、やをら押し開けて入りたまひにけり。命婦、あなうたて、たゆめたまへる、といとほしければ、知らず顔にてわが方へ往《い》にけり。この若人《わかうど》ども、はた世にたぐひなき御ありさまの音聞きに、罪ゆるしきこえて、おどろおどろしうも嘆かれず、ただ思ひもよらずにはかにて、さる御心もなきをぞ思ひける。正身《さうじみ》は、ただ我にもあらず、恥づかしくつつましきよりほかのことまたなければ、今はかかるぞあはれなるかし、まだ世馴れぬ人のうちかしづかれたると、見ゆるしたまふものから、心得ずなまいとほしとおぼゆる御さまなり。何ごとにつけてかは御心のとまらむ、うちうめかれて、夜深う出でたまひぬ。命婦は、いかならむと目覚めて聞き臥せりけれど、知り顔ならじとて、御送りにとも声《こわ》づくらず。君も、やをら忍びて出でたまひにけり。

現代語訳

八月二十余日、宵すぎまで待っても月があらわれずいつ出るかわからない頃、星の光だけがはっきりと、松の梢吹く風の音が心細くて、姫君は昔のことを語り出して、泣いたりなどなさる。

とてもいい機会だと命婦は思って、源氏の君にご案内申し上げたのだろうか、源氏の君は、いつものようにお忍びでいらっしゃった。

月がだんだん出てきて、荒れた籬のようすが気味悪い。源氏の君がそれをご覧になっておられると、姫君が命婦に琴をすすめられてかすかにかき鳴らされるのは、悪くはない。命婦は、すこし親しみやすく今風の風味を加えたらと、浮いた心中に、もどかしく思っている。

人目のない所なので、源氏の君はかんたんに邸内にお入りになる。命婦をお呼びになる。命婦は、さも今はじめて知ったというような驚いた顔で、(命婦)「とてもきまりの悪いことですよ。これこれの方がいらしたようです。いつもこうしてお手紙で恨み事を申していらっしゃいますのを、私の一存ではどうにもなりませんとだけ、お断り申し上げてございますので、(源氏)『私自身で姫君に物の道理を教え聞かせよう』とずっとおっしゃっていたようです。どうお返事申し上げましょうか。並大抵の方の、うちとけたお訪ねではございませんので、まったく会わないのはお気の毒ですから、物越しに、源氏の君がおっしゃることをお聞きになってください」と言えば、姫君は、とても恥ずかしいと思って、(姫君)「人にどうものを申し上げるのかもわからないのに」といって奥のほうへ座ったまま引き入りなさるようすは、たいそう子供っぽい。

命婦は笑って、(命婦)「ほんとうに幼くいらっしゃるので心配ですね。高貴な方も、親御さまが存命していらしてお世話し申し上げていらっしゃる間こそ、子供っぽいことも道理ですが、これほど心細いありさまで、なお男女の仲をどこまでも嫌がるのは、似つかわしくもないことですよ」と教え申し上げる。

姫君は、会いたくはないが、それでも人の言うことには強くはむかわない御気性なので、(姫君)「返事を申し上げず、ただ聞けというなら、格子などを閉ざしてうかがいましょう」とおっしゃる。

(命婦)「簀子の間などは不都合でございますよ。廂の間にお通ししても、君は、無理やりに、軽はずみなことなど、まさかなさいますまい」など、たいそううまいぐあいに言い繕って、二間との境にある襖を、みずからとても強く錠をおろして、源氏の君をお迎えするための敷物を置いて、お席を設ける。

姫君はまったく気がすすまないが、このように男の人にものを言う場合の心構えなども、まったくご存知なかったので、命婦がこう言うのを、なにかそういう作法でもあるのだろうと思っていらっしゃる。

乳母めいた古女房などは、部屋に入って横になって、早寝している時間である。

若い女房がニ三人いるのは、世間で絶賛されていらっしゃる源氏の君の御ようすを、拝見したいと思い申して、皆で改まった気持ちでいる。

ややましな御衣に姫君をお召し替えさせて、身なりをつくろい申し上げると、本人は、何の改まった気持ちもなくいらっしゃる。

男君(源氏の君)は、たいそう限りなく美しい御さまを、人目にたたぬよう気をつけていらっしゃるご様子は、たいそう艶っぽいので、(命婦)「物の良し悪しのわかる人にこそ源氏の君のお姿を見せたいものだ。見栄えもしないこんな所では、源氏の君がたいそうお気の毒だ」と、命婦は思うけれど、姫君がただおっとりしていらっしゃるので、心配はいらない。源氏の君は、出過ぎたことはなさらないだろうと思った。自分がいつも源氏の君から取次をしないと責められ申していることの罪滅ぼしに、こうして取次をするのだが、姫君の、お気の毒な物思いが生まれて来ないだろうかなど、命婦は不安に思っている。

源氏の君は姫君のご身分を思えば、やたらと風流ぶって、今風の趣味ありげに見せる女よりは、たいそう奥ゆかしいと思われるので、姫君が、しきりに女房たちにすすめられて、座ったままこちらに近寄ってこられるようすが、ひっそりとして、衣にたきしめた香料の香りがたいそう趣深く薫り出して、おっとりしているのを、やはり思った通りだと思う。

源氏の君は、長年姫君を思い続けてきたことなど、たいそう熱心におっしゃり続けるが、手紙でも返事がないくらいだから、まして間近では答えはまったく無い。道理にあわないことだと、源氏の君はため息をつかれる。

(源氏)いくそたび…

(何度貴女の沈黙に負けてしまったことでしょう。それでも貴女が私に物を言うなとまではおっしゃらないことに、せめての期待をかけてまいりましたが…)

だめならだめとおっしゃってください。どっちつかずは苦しいですよ」とおっしゃる。

女君の御乳母子で、侍従といって、軽率な若女房が、たいそういたたまれず、決まりが悪いと思って、近寄って申し上げる。

(侍従)鐘つきて…

(鐘をついて読経を終わるように、貴方様とのことを終わりにすることはやはりできませんが、かといってまた一方では答えずらい。わけのわからないことです)

たいそう少女じみた声で、あまり落ち着いていない声を、人づてではないようにつくろって申し上げると、ご身分のわりには馴れ馴れしいと源氏の君はお聞きになるが、(源氏)「めずらしくお言葉をいただきましたが、かえって物が言えなくなることです」

いはぬをも…

(口に出して言わないことが、言うよりも勝っていると、それはわかっていますが、それでもやはり、言いたいことを押さえて黙っているのは苦しいことですよ)

何だかんだとたわいもないことではあるが、風流なかんじにも、まじめなふうにも源氏の君はおっしゃるが、まったく取り付くしまがない。

このような姫君のご様子も、変わっており、他に意中の男でもいらっしゃる方なのだろうかと、いまいましいので、そっと襖を押し開けてお入りになった。

命婦は、まあひどい、源氏の君は油断をおさせになったのだと、姫君が気の毒で、知らぬ顔で自分の部屋に引き上げてしまった。

この若女房たちは、源氏の君が、世間に比類のない素晴らしい御姿という評判を聞いているので、お咎め申し上げもせず、ひどく嘆く気にもならず、ただ思いもよらず突然なことで、姫君には、そのような男女の仲についての御心構えもないことを心配した。

姫君本人は、ただ自分が自分でないようで、恥ずかしく気が引けるよりほかのことはまったく無いので、源氏の君は、「今はこのようであるのが可愛いのだ。まだ世間慣れせずに大切に可愛がられていた人だから」と、このような引っ込み思案すぎるところも仕方ないと源氏の君は思われるが、それでも納得いかず、なんとなく愛しいと思われる姫君の御ようすである。こういう姫君の態度のどこに、心惹かれるのだろうかと、源氏の君は、深いため息をついて、まだ夜が深いうちにご出発された。

命婦は、どうなるだろうと目が覚めて横になったまま聞いていたが、知り顔をしてはまずいということで、「御送りに」と女房たちに合図もしない。

源氏の君も、そっと忍んでご退出された。

語句

■いにしへの事 父常陸宮が存命であった頃。 ■今しも驚き顔 命婦はあらかじめ源氏と打ち合わせしておいたが、姫君にそれをさとらせないように、とぼけて今知ったように言ったのである。 ■いなび 「いなぶ」は拒否する。否定する。 ■ゐざり 膝をついて座ったまま移動すること。 ■つきなうこそ 「つきなし」は似つかわしくない。 ■便なう 「便なし」は不都合だ。 ■おしたちて 「おしたつ」は無理にする。源氏が姫君を無理に手篭めにすることを言う。 ■あはあはしき 「あはあはし」は軽率な、浮ついた。 ■ニ間 柱と柱の間がニつある部屋。 ■褥 今で言う座布団。源氏の君をお迎えするための敷物。 ■あるやうこそは 下に「あらめ」を省略。 ■夕まどひ 早寝すること。 ■心げさうしあへり 「心げさうす」は改まった気持ちでいること。 ■正身 姫君本人。 ■人の御ほど ご身分。 ■ざれくつがへる 「くつがへる」はむやみに~する。 ■よしばみ 「よしばむ」は趣味ありげに見せること。 ■えひの香 %#x88db;衣の香 衣や巻物に炊きしく香料。 ■わりなのわざや 「わりなし」の語幹に「の」がつく。道理にあわないことだ。 ■玉だすき 「玉」は美称。「たすき」は両肩にかけることから、どっちつかずの状態。「ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世の中の玉だすきなる」(古今・雑 読人知らず)。同じことなら、どうしてもう私を思っていないと言い切ってくれないのだろう。どうして男女の仲は玉襷のように食い違うのかなの意。 ■はやりかなる 「逸りかなり」は軽率な。 ■鐘つきて… 「鐘つく」は読経の終わりに鐘をついてシメとすることを言うか?「とじむ」は物を終わらせる意に、口を閉じるを掛ける。 ■おもりかならぬ 「重りか」は落ち着いたさま。 ■言はぬをも 「心にはしたゆく水のわきかへり言はで思ふぞいふにまされる」(古今六帖五)。「おし」は「押し」と「唖」を掛ける。 ■やをら押し開けて 前に命婦が錠をおろしているはずだが…。 ■たゆめたまへる 「たゆむ」は油断させる。 ■見ゆるしたまふ 姫君のあまりに人見知りする、引っ込み思案なところを見て、それなりに事情があることだからと、源氏は許した。 ■夜深う 本来なら夜が明けるころに出発するもの。それをまだ夜深いうちに出発したのは、おもしろくない情事であったことをしめす。

朗読・解説:左大臣光永

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