> 【源氏物語】【末摘花 12】源氏、雪の夜に常陸宮邸を訪れ、女房たちの貧しき姿を見る【原文・現代語訳・朗読】

【末摘花 12】源氏、雪の夜に常陸宮邸を訪れ、女房たちの貧しき姿を見る

かの紫のゆかりたづねとりたまひて、そのうつくしみに心入りたまひて、六条わたりにだに、離《か》れまさりたまふめれば、まして荒れたる宿は、あはれに思しおこたらずながら、ものうきぞわりなかりける。ところせき御もの恥を見あらはさむの御心もことになうて過ぎゆくを、うち返し、見まさりするやうもありかし、手探りのたどたどしきに、あやしう心得ぬこともあるにや、見てしがな、と思ほせど、けざやかにとりなさむもまばゆし、うちとけたる宵居《よいゐ》のほど、やをら入りたまひて、格子のはさまより見たまひけり。されど、みづからは見えたまふべくもあらず。几帳など、いたくそこなはれたるものから、年経にける立処《たちど》変らず、おしやりなど乱れねば、心もとなくて、御達《ごたち》四五人ゐたり。御台《だい》、秘色《ひそく》やうの唐土《もろこし》のものなれど、人わろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、まかでて人々食ふ。隅の間《ま》ばかりにぞ、いと寒げなる女ばら、白き衣《きぬ》のいしらず煤《すす》けたるに、きたなげなる褶《しびら》ひき結《ゆ》ひつけたる腰つき、かたくなしげなり。さすがに櫛おしたれてさしたる額《ひたひ》つき、内教坊《ないけうぼう》、内侍所《ないしどころ》のほどに、かかる者どもあるはやと、をかし。かけても、人のあたりに近うふるまふ者とも知りたまはざりけり。「あはれ、さも寒き年かな。命長ければ、かかる世にも逢ふものなりけり」とて、うち泣くもあり。「故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」とて、飛び立ちぬべくふるふもあり。さまざまに人わろき事どもを愁へあへるを、聞きたまふもかたはらいたければ、たちのきて、ただ今おはするやうにてうち叩きたまふ。「そそや」など言ひて、灯《ひ》とりなほし、格子放ちて入れたてまつる。

現代語訳

あの藤壺と血縁関係にある人を見つけ出して引き取られてから、源氏の君は姫君(紫の上)を可愛がることに夢中になられて、六条あたりの通い人の所にさえ、以前よりさらに足が遠のくご様子であるようなので、まして、あの荒れた宿(常陸宮邸=末摘花邸)は、不憫に思われるお気持ちは持ち続けておられたが、気がすすまないのはどうしようもないことであった。あのうんざりするまでの姫君のはにかみぶり、見極めようという御心もとくになくて日が過ぎゆくが、「もう一度見たら、以前とは打って変わって、よく見えることもあるだろう、手探りではたどたどしかったので、妙に腑に落ちないこともあったのかもしれない。もう一度姫君を見てやろう、と思われるが、かといって、はっきりと姫君の姿をご覧になるべく段取りするのも気が引ける。

それで、女房たちがくつろいでいる宵の時間に、そっと邸内にお入りになって、格子の間からご覧になった。しかし、姫君ご自身は拝見できるわけがない。

几帳など、ひどく損なわれているが、年が経っても立っている場所が変わらず、位置を変えたりなどして乱れていないので、姫君の姿は見えそうにもなく、女房たちが四五人座っている。

御膳は、青磁ふうの唐来のものであるが、見苦しく、これといった食べ物もなく見すぼらしいのを、女房たちが御前を退出して食べている。

隅の間あたりに、たいそう寒そうにしている女たちが、白い衣のなんともいえず煤けているのに、汚らしい褶(しびら)をひき結んだ腰つきは、見苦しい。

そうはいっても、女房たちが櫛が落ちかかるように挿している額のようすは、内教坊や内侍所のあたりに、このような者どもがおるなと、面白く思われる。

源氏の君は、姫君のおそばでこのような者たちがお勤めしていたとはまったく思いよりもなさらなかったのだ。

(女房)「ああひどい、なんと寒い年でしょうか。長生きすると、このような世にも逢うものですねえ」といって、泣き出す者もある。

(女房)「故宮がご存命の頃を、どうして辛いと思ったのかしら。こんなに頼みがなくても暮らしていけるものだったのね」といって、飛んでいってしまうほど震えている者もある。

さまざまに外聞の悪い事を嘆きあっているのを、源氏の君は、お聞きになるのもいたたまれないので、立ち退いて、たった今いらっしゃったように門をお叩きになる。

(女房)「さあさあ」など言って、灯をつけ直し、格子を開け放して源氏の君をお入れ申し上げる。

語句

■うち返し 前とは反対に。逆に。 ■けざやかに ありありと。はっきりと。灯火などで顔を照らして見ること。 ■まばゆし 気が引ける。 ■立処 立っている場所。几帳の立て位置はかんたんに変えられるが、それがずっと動かさずに定位置にあるのは、この邸のぞんざいなさまを示す。 ■御台 御前。 ■秘色 翡翠色の磁気。翡翠色は家臣が使うことを禁じられていたために秘色という。 ■人わろきに 「人わろし」は見苦しい。 ■くさはひ 種(クサワイ)。材料。種。ここでは食べ物。 ■褶 しびら。腰につける略式の裳。 ■かたくなしげなり 「頑ななし」は融通がきかず頑固である。強情だ。転じて、見苦しい、みっともない。 ■内教坊 宮中で、舞姫を教練する役所。 ■内侍所 神鏡(八咫鏡)を安置する場所。宮中の温明殿(うんめいでん)にある。または神鏡そのもの。 ■かけても 下に否定の語をともない「まったく~ない」。 ■故宮 末摘花の父、常陸宮。 ■頼み 生活の面倒を見てくれる後見人。 ■飛び立ちぬべく 「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(万葉集893 山上憶良)。「冬の池のつかへはぬをしはさ夜中にとびたちぬべき声聞こゆなり」(和泉式部集)。 ■そそや 突然のことにびっくりした声。

朗読・解説:左大臣光永

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