【末摘花 16】末摘花、源氏に正月の御衣を贈る

原文

年も暮れぬ。内裏《うち》の宿直所《とのゐどころ》におはしますに、大輔命婦《たいふのみやうぶ》参れり。御梳櫛《けづりぐし》などには、懸想《けさう》だつ筋なく、心やすきものの、さすがにのたまひ戯《たはぶ》れなどして、使ひ馴らしたまへれば、召しなき時も、聞こゆべきことあるをりは参《ま》う上《のぼ》りけり。「あやしきことのはべるを、聞こえさせざらむも、ひがひがしう思ひたまヘわづらひて」と、ほほ笑みて聞こえやらぬを、「何ざまのことぞ。我にはつつむことあらじとなむ思ふ」とのたまへば、「いかがは。みづからの愁へは、かしこくともまづこそは。これはいと聞こえさせにくくなむ」と、いたう言籠《ことこ》めたれば、「例の艶《えん》なる」と憎みたまふ。「かの宮よりはべる御文」とて取り出でたり。「ましてこれは、とり隠すべきことかは」とて、取りたまふも胸つぶる。みちのくに紙の厚肥《あつご》えたるに、匂《にほ》ひばかりは深らしめたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、

からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ

心得ず、うちかたぶきたまへるに、つつみに衣箱《ころもばこ》の重りかに古代なる、うち置きておし出でたり。「これを、いかでかはかたはらいたく思ひたまヘざらむ。されど、朔日《ついたち》の御よそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうはえ返しはべらず。ひとり引き籠《こ》めはべらむも人の御心違《たが》ひはべるべければ、御覧ぜさせてこそは」と聞こゆれば、「引き籠められなむは、からかりなまし。袖まきほさむ人もなき身に、いとうれしき心ざしにこそは」とのたまひて、ことにもの言はれたまはず。さても、あさましの口つきや。これこそは手づからの御事の限りなめれ。侍従こそ取り直すべかめれ、また筆のしりとる博士《はかせ》ぞなかべきと、言ふかひなく思す。心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに、いともかしこき方《かた》とは、これをも言ふべかりけりと、ほほ笑みて見たまふを、命婦おもて赤みて見たてまつる。今様色《いまやういろ》の、えゆるすまじくつやなう古めきたる、直衣《なほし》の裏表《うらうへ》ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ見えたる。あさましと思すに、この文をひろげながら、端《はし》に手習すさびたまふを、側目《そばめ》に見れば、

「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ

色こき花と見しかども」など、書きけがしたまふ。花の咎《とが》めを、なほあるやうあらむと、思ひあはするをりをりの月影などを、いとはしきものから、をかしう思ひなりぬ。

「紅《くれなゐ》のひとはな衣薄くともひたすらくたす名をしたてずは

心苦しの世や」と、いといたう馴れて独りごつを、よきにはあらねど、かうやうのかいなでにだにあらましかばと、かヘすがへす口惜し。人のほどの心苦しきに、名の朽ちなむはさすがなり。人々参れば、「取り隠さむや。かかるわざは人のするものにやあらむ」とうちうめきたまふ。何に御覧ぜさせつらむ。我さへ心なきやうにと、いと恥づかしくてやをらおりぬ。

現代語訳

年も暮れた。源氏の君が宮中の宿直所にいらっしゃると、大輔命婦が参上した。

御髪の手入れなどには、命婦は色恋の関係抜きで気軽ではあったが、そうはいってもやはり源氏の君は命婦に戯れ事をおっしゃったりして、いつも使い馴れていらっしゃる。それで、命婦はお召しがない時も、申し上げるべきことがある時は源氏の君のもとに参上するのだった。

(命婦)「妙なことがございますが、それを申し上げませんのもひねくれているようで、どうしたものかと思いまして」と、微笑して申し上げかねているので、(源氏)「どういう方面のことだ。私には遠慮することなどないと思うが」とおっしゃるので、(命婦)「どうして遠慮などいたしましょう。私自身のお願い事なら、畏れ多くもまっさきに申し上げます。ですがこれはちょっと申し上げにくいことでして…」と、たいそう言いあぐねているので、(源氏)「例によって艶っぽいことよ」と憎まれ口をお叩きになる。

(命婦)「あちらの宮さまよりございました御文です」といつて取り出した。

(源氏)「ましてやこれを、隠してよいものかね」と、御文をお取りになるにつけても源氏の君は胸がつぶれる思いでいらっしゃる。

陸奥原産の厚ぼったい紙に、香の匂いだけは深く焚き染めなさっている。文は、あの姫君にしては、とてもよく書きおおせている。歌も、

(末摘花)からころも

(あなた様の心が冷たいので、私の衣の袂はこんなに濡れてばかりいます)

意味がわからず、源氏の君が首をかしげなさっていると、命婦は包み布の上に、衣箱の重々しく古めかしいのを置いて押し出した。

(命婦)「これを、どうしてはた目にも決まり悪く思わずにいられましょう。しかし、元旦の御晴れ着として、わざわざ姫君がご用意さないましたようですので、姫君がばつの悪い思いをされますので、お返しすることもできかねます。私一人でしまっておきますのも、姫君の御心に違えることになりましょうから、ご覧に入れた上で…」と申し上げると、(源氏)「しまい込まれたら、それこそ辛かろうよ。「袖まきほさむ人」…涙に濡れた袖をともにしいて共寝をしてくれる人もない私の身にとって、とてもうれしい御心ざしなのだ」とおっしゃって、それ以上はなにもおっしゃらない。

それにしても、呆れた歌の読みぶりだ。これこそはご自力での限界なのだろう。いつもは侍従が手直しをしているのだろう、他に筆の指導をする物知りもないのだろうと、あれこれ言っても仕方ないと源氏の君は思われる。

あの姫君が、心を尽くして詠み出しなさったようすを想像されると、たいそう畏れ多いこととは、これを言うべきだったのだと、源氏の君がほほ笑んで御覧になるのを、命婦は赤面して拝見している。

今風の色の、とても我慢できないほど艶が落ちて古ぼけた衣の、直衣の裏も表も同じように色が濃いのが、まったく引き立たず、衣の端々が見えている。

呆れたものだと思われるにつけて、源氏の君はこの文をひろげながら、文の端にしきりにいたずら書きをなさるのを、命婦が横目に見れば、

(源氏)「なつかしき…

(親しみ深い色というわけでもないのに、どうしてこの末摘花に袖を触れてしまったのだろう=どうしてこの姫君と契ってしまったのだろう)

色濃い花とは見たけれど…」など、書きよごしなさる。命婦は、源氏の君が花の悪口を言われるのはやはりわけがあるのだろうと、折々の月影のもと姫君の御顔を拝見したことを思い出して、お気の毒ではあるが、おかしくも思った。

(命婦)「紅の…

(薄紅の一度染めの衣のように、君の愛情は浅いといっても、姫君の御名をひどく貶めるようなことにならなければよいのですが)

心配なご関係ですこと」と。とてもよく世慣れている感じで独り言を言うのを、源氏の君は、命婦のこの歌もよくはないが、姫君の歌もせめてこのように一応形になっている程度であったらと、返す返すも残念に思われる。

そうはいっても姫君の境遇がお気の毒なので、名を汚すことはやはりはばかられる。

人々が参内してくるので、(源氏)「隠しておこうよ。このようなことは人のすることかね」と呻くようにおっしゃる。

命婦は、「どうして御覧に入れたのだろうか。自分までもが人でなしのように思える」と、たいそう恥ずかしくて、そっと退出した。

語句

■御梳櫛 櫛で髪をとくこと。命婦が、源氏の髪を、色恋の関係抜きにしてとくのである。 ■ましてこれは 他の女の文でも隠すのは悪いが、まして滅多に文をくれない姫君の文だから、なおさら隠すのはよくないの意。 ■みちのくに紙 みちのく原産の厚手の紙。恋文には適さない。恋文は薄手の紙で送るもの。 ■からころも… 「からころも」は「着る」に掛かる枕詞。しかしここでは無理に「き」に掛ける。つまり枕詞の用をなしていない。「たもと」は「からころも」の縁語。末摘花は後にも「からころも」の語を乱用して源氏にからかわれる。 ■御覧ぜさせてこそは 下に「いかようにもいたさめ」などが省略されている。とにかく一度源氏の君に御覧いただいて、その上で、処分するなり、しまうなりしてくださいの意。 ■袖まきほさむ 「沫雪は今日はなふりそ白妙の袖まき干さむ人もあらなくに」(万葉1321、古今六帖一)。「袖まき干さむ人」は涙に濡れた袖をともにしいて共寝をしてくれる人。姫君の「たもとはかくぞそぼちつつのみ」を受けた。 ■筆のしりとる 筆の上部を取って、字の指導をすること。 ■博士 物知り。ここでは戯れに言ったもの。 ■今様色 流行色。後の歌より、紅色とわかる。 ■手習すさびたまふ 「手習ふ」は思うままに書くこと。「すさぶ」は心のままに行うこと。 ■色濃き花 花に鼻をかける。 ■末摘花 紅花。姫君の鼻が赤いことを掛ける。この姫君を末摘花とよぶのはこの歌による。 ■ひとはな衣 一花衣。衣を染料に一度ひたしただけの、色の薄い衣。源氏の薄い姫君への愛情をさす。「花」に「鼻」をかける。 ■くたす名 姫君の名を貶めること。源氏にすぐに捨てられたという評判によって。 ■かいなで 「掻き撫で」の音便。いちおうは形になっていること。

朗読・解説:左大臣光永

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