【末摘花 19】正月七日の夜、源氏、末摘花を訪ねる

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朔日《ついたち》のほど過ぎて、今年、男踏歌《おとこたふか》あるべければ、例の所どころ遊びののしりたまふに、もの騒がしけれど、淋しき所のあはれに思せる。七日《なぬか》の日の節会《せちゑ》はてて、夜に入りて御前《ぜん》よりまかでたまひけるを、御宿直《とのゐ》所にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更かしておはしたり。例のありさまよりは、けはひうちそよめき世づいたり。君もすこしたをやぎたまへる気色もてつけたまへり。いかにぞ、あらためてひきかへたらむ時、とぞ思しつづけらるる。日さし出《い》づるほどにやすらひなして、出でたまふ。東《ひむがし》の妻戸押し開けたれば、むかひたる廊の、上もなくあばれたれば、日の脚、ほどなくさし入りて、雪すこし降りたる光に、いとけざやかに見入れらる。御直衣《なほし》など奉るを見出だして、すこしさし出でて、かたはら臥《ふ》したまひつる頭《かしら》つき、こぼれ出でたるほど、いとめでたし。生《お》ひなほりを見出でたらむ時、と思されて、格子《かうし》引き上げたまヘり。

いとほしかりし物懲《ものご》りに、上げもはてたまはで、脇息《けふそく》をおし寄せて、うちかけて、御鬢《び》ぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなう古めきたる鏡台の、唐櫛笥《からくしげ》、掻上《かかげ》の箱など取り出《い》でたり。さすがに、男の御具《ぐ》さへほのぼのあるを、ざれてをかしと見たまふ。女の御装束《さうぞく》、今日は世づきたりと見ゆるは、ありし箱の心ばへをさながらなりけり。さも思しよらず、興《きよう》ある紋《もん》つきてしるき表着《うはぎ》ばかりぞ、あやしと思しける。「今年だに声すこし聞かせたまへかし。待たるるものはさしおかれて、御気色のあらたまらむなむゆかしき」とのたまへば、「さへづる春は」とからうじてわななかしいでたり。「さりや。年経《へ》ぬるしるしよ」と、うち笑ひたまひて、「夢かとぞ見る」とうち誦《ず》じて出でたまふを、見送りて、添ひ臥したまへり。口おほひの側目《そばめ》より、なほ、かの末摘花《すゑつむはな》、いとにほひやかにさし出《い》でたり。見苦しのわざやと思《おぼ》さる。

現代語訳

三が日の頃が過ぎて、今年は男踏歌があることになっているので、いつもの所々で管弦の音がにぎやかにかにされて、なんとなく騒がしいが、源氏の君は、あの寂しい場所(末摘花邸)のことを気の毒に思いやりなさるので、七日の日の節会が終わってから、夜に入って帝の御前から退出なさると、御宿直所にそのままお泊りになるようなふりで、夜遅くに末摘花邸にいらした。

いつもの様子よりは、邸のようすもそわそわして、世間並みである。姫君もすこし物柔らかな雰囲気をお備えになつている。

この姫君が、以前とうってかわったようになった時は、どんなだろうか…と源氏の君は思いつづけられる。

翌朝、日が出る頃に、あえてぐずぐずするふりをして、ご退出になる。

東の妻戸を押し開けると、向かい合っている廊が、屋根もなくむき出しなので、日の脚が、すぐにさし入って、雪がすこし降っている光に、たいそうあざやかに寝殿の中が覗き込まれる。

姫君は、女房たちが御直衣などを差し上げるのを奥から御覧になり、すこしせり出して、横向きに臥している頭の形は、髪の毛がこぼれ出ているようすが、とても見事である。

もし姫君が生まれ変わったようにまったく新しいことになつたのを見出した時は、どうだろうか…と源氏の君は思われて、格子を引き上げなさった。

以前のお気の毒なことさなったのに懲りて、格子を上げきってはしまわれずに、脇息を押し寄せて、ひっかけて、鬢の御毛が乱れたのをおつくろいになる。

ひどく古いめいた鏡台の、唐櫛笥(からくしげ)、掻上(かかげ)の箱などを取り出している。

さすがに男用の御道具さえ少しはあるのを、洒落ていて、おもしろいと源氏の君は御覧になる。

姫君の御装束が、今日は世間なみに見えるのは、先日のご衣装箱の、源氏の君が選んでさしあげなさった衣を、姫君はそのまま着ているのだった。

源氏の君はそうとはお気づきにならず、おもしろい紋がついていて、はっきり印象に残っている表着だけを、「おや」と思われた。

(源氏)「せめて今年は声をすこしはお聞かせくださいよ。鶯の声などはどうでもいいので、貴女のお気持ちがあらたまったのがお聞きしたいのです」とおっしゃると、(末摘花)「さへづる春は」と、かろうじて、ふるえながら口に出した。

(源氏)「それですよ。ずっと通ってきたかいがあるというものです」と、お笑いになって、「夢かとぞ見る」と口ずさんで退出なさるのを、姫君は見送って、物に寄りかかって横になっていらっしゃる。

姫君が口をおおっているのを横目に御覧になると、やはり、あの末摘花が、たいそう赤く色づいて出ている。見苦しいことだと、源氏の君は思われる。

語句

■朔日のほど 月はじめの数日間。ここでは正月三が日。 ■男踏歌 正月十四日に、殿上人や地下の人々が催馬楽を歌い足を踏み鳴らす行事。隔年行事。 ■たをやぎたまへる 「たをやぐ」はもの柔らかで優しいこと。 ■生ひなほり 生まれ変わったようによくなること。 ■いとほしかりし物懲りに 雪の朝に姫君の姿を直視して、そのあまりの醜さに不憫になって懲りたこと。 ■上げもはてたまはで 格子を完全に上げることはせで、脇息を寄せて、ストッパーにして、格子が半端に開いた状態で固定した。明るくなりすぎて姫君の姿がまじまじと見えることを避けた。 ■唐櫛笥 唐風の櫛笥。 櫛笥は櫛や化粧道具を入れる箱。 ■掻上の箱 掻上の笥。髪結いの道具類を入れる小箱。 ■ありし箱 源氏が衣装を選んで姫君に贈ってやった、例の衣装箱。 ■表着ばかり 源氏は自分で選んだ衣装ではあっても、とくに印象に残るもの以外は忘れているらしい。 ■待たるるものは 「あらたまの年たちかへる朝より待たるるものは鶯の声」(拾遺・春 素性法師)。 ■さへづる春は 「百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今・春上 読人しらず)。とくに「我ぞふりゆく」をにおわせる。 ■年経ぬるしるしよ ようやく声を出せるようになったのは年が改まってひとつ歳を取ったおかげですよの意。末摘花のにおわせた「我ぞふりゆく」を受けて。 ■夢かとぞ見る 「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは」(古今・雑下 在原業平/伊勢物語・八十三)。末摘花邸の古びたたずまいに、在原業平が雪の中、主君惟喬親王を訪ねていった情緒を通わせる。

朗読・解説:左大臣光永

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