【末摘花 20】源氏、二条院で紫の上と睦びあう
二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生《かたお》ひにて、紅《くれなゐ》はかうなつかしきもありけりと見ゆるに、無紋《むもん》の桜の細長《ほそなが》なよらかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代《こだい》の祖母君《おばぎみ》の御なごりにて、歯ぐろめもまだしかりけるを、ひきつくろはせたまへれば、眉のけざやかになりたるもうつくしうきよらなり。心から、などかかううき世を見あつかふらむ、かく心苦しきものをも見てゐたらで、と思しつつ、例の、もろともに雛遊《ひひなあそ》びしたまふ。
絵など描きて、色どりたまふ。よろづにをかしうすさび散らしたまひけり。我も描き添へたまふ。髪いと長き女を描きたまひて、鼻に紅《べに》をつけて見たまふに、形《かた》に描きても見まうきさましたり。わが御影の鏡台にうつれるが、いときよらなるを見たまひて、手づからこの紅花《あかはな》を描きつけ、にほはしてみたまふに、かくよき顔だに、さてまじれらむは見苦しかるべかりけり。姫君見て、いみじく笑ひたまふ。「まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」とのたまへば、「うたてこそあらめ」とて、さもや染みつかむと、あやふく思ひたまへり。そら拭《のご》ひをして、「さらにこそ白まね。用なきすさびわざなりや。内裏《うち》にいかにのたまはむとすらむ」と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしと思して、寄りて拭《のご》ひたまへば、「平中《へいちゆう》がやうに色どり添へたまふな。赤からむはあへなむ」と戯《たはぶ》れたまふさま、いとをかしき妹背《いもせ》と見えたまへり。日のいとうららかなるに、いつしかと、霞みわたれる梢どもの、心もとなき中にも、梅は気色ばみほほ笑みわたれる、とり分きて見ゆ。階隠《はしがくし》のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。
「紅《くれなゐ》の花ぞあやなくうとまるる梅の立ち枝《え》はなつかしけれど、
いでや」と、あいなくうちうめかれたまふ。
かかる人々の末々《すゑずゑ》いかなりけむ。
現代語訳
二条院にお戻りになると、紫の上が、たいそう可愛らしく未成熟であるのを、源氏の君は、同じ紅の花でも、こんなにも親しみ深いものもあるのだと思われるにつけ、無地の桜襲の細長をたおやかにあえて着て、無心でいらっしゃるさまは、たいそう可愛らしい。
昔かたぎの祖母君の御躾のなごりで、お歯黒もまだしていなかったのを、手入れをおさせになると、眉がはっきりとなったのも可愛らしく美しい。
「どうして私は、自ら求めて、こうも酷い縁に苦労するのだろうか。こんなに愛しい存在と、ずっと一緒にいることもしないで…」と思われつつ、いつもの人形遊びをなさる。
紫の上は絵など描いて、色をおつけになる。さまざまに面白く気の向くままにお描き散らしになる。源氏の君もそれに描き添えなさる。
髪がとても長い女を描かれて、鼻に紅をつけて御覧になるにつけ、絵に描いたものでも、見るのもいやなさまをしている。
源氏の君は、ご自分の御姿が鏡台に映っているのが、たいそう美しげなのを御覧になって、手づからこの紅を鼻に塗りつけて、赤く色づかせてみられると、こんないい顔でさえ、そうして赤色のまじっているのは、見苦しいのは当然であった。
姫君が御覧になって、たいそうお笑いになる。(源氏)「私が、こんなふうに普通でなくなった時は、どうなるだろう」とおっしゃると、(紫)「いやだわ」と、本当にそうやって鼻に赤色が染み付くのではないかと、ご心配される。
源氏の君は拭き取るまねをして、(源氏)「まったく白くならないね。つまらないことをしたものだよ。帝になんと申し上げればよいだろう」と、ひどくまじめにおっしゃるのを、姫君(紫の上)は、たいそう愛しいとお思いになって、源氏の君のおそばに寄って、拭き取りなさると、(源氏)「平中のように別の色どりをお添えになりますな。赤いのならまだ我慢できますが…」とお戯れになるありさまは、たいそう仲のいい兄妹のようにお見えになる。
日がたいそううららかであるが、そこら一面に霞んでいる木々の梢が、いつ花が咲くのかと待ち遠しい中にも、梅はみな蕾がふくらんで、花開きそうになっているのが、とりわけ目立つ。
橋隠の下の紅梅は、たいそう早く咲く花で、もう色づいている。
「紅の花ぞあやなく…
(紅の花が、わけもなく疎まれる。梅の立ち枝は親しみ深いのだけれど)
はてさて」と、源氏の君は、どうしようもなくうめき声がお漏れになる。
こうした人々のそれぞれの行く末は、どうなったことだろうか。
語句
■片生ひ 未成熟なこと。 ■紅はかうなつかしきもありけりと 末摘花と比較していっている。「なつかしき色ともなしに…」(【末摘花 16】)を受ける。 ■無紋 模様のないこと。 ■桜 桜襲。表白、裏赤または蘇芳など。 ■細長 衣装の種類。未詳。 ■心から… 紫の上という素晴らしい存在がありながら、どうして私は他の女(末摘花や空蝉、夕顔、六条御息所など)との関係にのめりこんでいくのだろうという述懐。 ■かく心苦しきもの このように私の心をとらえて離さない存在。紫の上のこと。 ■形 絵。 ■紅花 紅花からとった染料。 ■まじれらむまじっているの。動詞「まじる」の已然形+存続の助動詞「り」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形。 ■かたは 半端で、不具であること。普通でないこと。 ■平中 平貞文。色好みとして知られる人物。平中は女を訪れる時、硯に水を張って、その水で目を濡らして泣いているふりをした。女がそれに気づいて硯に墨をすって入れておいたので平中の顔が真っ黒になったという(古本説話集、河海抄)。 ■あへなむ 「敢ふ」は我慢する。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は推量の助動詞の終止形。 ■妹背 この時、源氏19歳、紫の上11歳。 ■橋隠 建物の正面の階段の上の屋根。 ■紅の花 末摘花の赤い鼻を思い出すから、紅の花がわけもなく疎まれるのである。戯れの歌。 ■かかる人々の… 物語作者からの呼びかけ。過去に実際に起こった出来事を、語り手が語っているという趣向。