【紅葉賀 01】源氏、朱雀院行幸の試楽として、御前で青海波を舞う

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朱雀院《すざくゐん》の行幸《ぎやうがう》は神無月《かんなづき》の十日あまりなり。世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、御方々《かたがた》、物見たまはぬことを口惜しがりたまふ。上も、藤壺の見たまはざらむを、あかず思さるれば、試楽《しがく》を御前《おまへ》にてさせたまふ。

源氏の中将は、青海波《せいがいは》をぞ舞ひたりける。片手には大殿《おほとの》の頭中将《とうのちゆうじやう》、容貌《かたち》用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木《みやまぎ》なり。入《い》り方《がた》の日影さやかにさしたるに、楽《がく》の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏《あしぶみ》面持《おももち》、世に見えぬさまなり。詠《えい》などしたまへるは、これや仏の御迦陵頻伽《かりようびんが》の声ならむと聞こゆ。おもしろくあはれなるに、帝《みかど》涙をのごひたまひ、上達部《かんだちめ》親子《みこ》たちも、みな泣きたまひぬ。詠はてて、袖うちなほしたまへるに、待ちとりたる楽《がく》のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見えたまふ。春宮《とうぐう》の女御《にようご》、かくめでたきにつけても、ただならず思《おぼ》して、「神など、空にめでつべき容貌《かたち》かな。うたてゆゆし」とのたまふを、若き女房などは、心うし、と耳とどめけり。

藤壺は、おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えまし、と思すに、夢の心地なむしたまひける。宮は、やがて御宿直《とのゐ》なりける。「今日の試楽《しがく》は、青海波《せいがいは》に事みな尽きぬな。いかが見たまひつる」と聞こえたまへば、あいなう、御答《いら》へ聞こえにくくて、「ことにはべりつ」とばかり聞こえたまふ。「片手もけしうはあらずこそ見えつれ。舞のさま手づかひなむ、家の子はことなる。この世に名を得たる舞の男《をのこ》どもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋を、えなむ見せぬ。試みの日かく尽くしつれば、さうざうしくと思へど、見せたてまつらんの心にて、用意せさせつる」など聞こえたまふ。

現代語訳

朱雀院の行幸は神無月の十日すぎである。今回はいつもの世間並みのこととは違い、興深くなるに違いないので、後宮の御方々は、見物なさらぬことを残念がられる。帝も、藤壺が御覧にならないのを、残念に思われて、試楽を御前にておさせになる。

源氏の中将は、青海波を舞われた。相方には左大臣家の頭中将、容姿も心遣いも、並の人よりすぐれているが、源氏の君と立ち並んでは、やはり花のかたわらの深山木である。

夕方の日の光があざやかにさしている頃から、楽の音はいっそう美しく響いて、興もたけなわの頃、同じ舞でも、源氏の君の足踏、面持ちは世にたぐいないものである。

朗詠などなさるさまは、これや仏の迦陵頻伽(かりようびんが)の御声だろうかと聞こえる。

興深く、しみじみと味わいがあり、帝は涙をお拭いになり、上達部や親王たちも、みなお泣きになった。

朗詠が終わって、源氏の君が袖をとり直しなさると、それを待って演奏をはじめた楽のにぎわわしさに、お顔の色がいっそう映えて、いつもよりもさらに光るようにお見えになる。

春宮の女御は、このようにめでたいことにつけても、穏やかならず思われて、

「神などが、空から魅入りそうな容貌ですこと。不吉で、嫌な感じです」とおっしゃるのを、若い女房などは、情けないこととして、耳にとどめた。

藤壺宮は、畏れ多い心のわだかまりさえなかったら、この舞がいっそうすばらしく見えたろうと思われるにつけても、夢のような気持ちでいらっしゃる。

藤壺宮は、そのまま御宿直された。(帝)「今日の試楽は、すべて青海波に尽きたな。いかが御覧になられたか」とお尋ねになると、藤壺宮は心ならずも、御答えをなかなか申し上げられず、(藤壺)「格別でございました」とだけ申し上げなさる。

(帝)「相方も、悪くはないと見えた。舞のさまや手さばきは、やはり良家の子は他と違っている。世間に評判の舞人たちも、なるほどたしかに上手ではあるが、初々しさや、素直な新鮮味を、見せることができぬ。試楽の日にこれほど上手を尽くしてしまったから、当日の紅葉の蔭の舞楽は物足りなく思えるかもしれないが、貴女にも御覧にいれたい思いで、用意させたのだ」など申し上げなさる。

語句

■朱雀院の行幸 朱雀院におすまいの先帝(一院。桐壺帝の兄か父。続柄は物語中明かされない)の御賀のための行幸。これまで何度か前フリがあった(【若紫 17】【末摘花 11】)。朱雀院は三条の南、朱雀の西に実在した上皇御所。延喜・天暦の頃、よく利用された。京都市中京区壬生花井町、NISSHA京都本社の敷地内に碑が立つ。 ■御方々 女御・更衣など後宮の女官たち。宮中でない外の行事には参加できない。 ■試楽 舞楽の予行演習。 ■青海波 舞楽の曲名。海の波を模して舞う二人用の舞。 ■詠 舞楽の途中に曲がやみ、詩句を演奏なしで唱えること。いわば朗詠ソロパート。『青海波』では小野篁作とされる「桂殿初歳ヲ迎ヘ 桐楼早年ニ媚ブ 花を剪ル梅樹ノ下 蝶燕画梁ノ辺」。 ■御迦陵頻伽 極楽浄土にすむという鳥。声が最高にすぐれているとされる。 ■常よりも光ると いつも「光る源氏」とよばれいるが、今回はいつもにもまして、いっそう光っているの意。 ■春宮の女御 弘徽殿女御。春宮の母君。源氏が大嫌い。 ■神など 醍醐天皇の猶子、雅明親王(宇多天皇皇子)の舞う姿があまりに素晴らしいので、山の神に見入られたという話(大鏡)などをふまえるか。 ■おほけなき心 「おほけなし」は分不相応な。畏れ多い。天皇の女御でありながら源氏と密通したことをさす。 ■やがて御宿直 清涼殿から藤壺に下がらずに、そのまま清涼殿の上御局(うえのみつぼね)に控えて、夜は帝のおそばに侍した。 ■あいなう 心ならずも。藤壺は源氏と密通し、その上不義の子を宿しているという罪悪感があり、気が気でない。 ■ここしなう 「ここしう」は初心なさま。初々しさ。 ■なまめいたる筋 素直な新鮮味。 ■紅葉の蔭 行幸当日に、紅葉の蔭で行われる本番の舞楽。

朗読・解説:左大臣光永

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