【紅葉賀 02】試楽の翌日、源氏と藤壺、歌を贈答する
つとめて中将の君、「いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱り心地ながらこそ。
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや
あなかしこ」とある御返り、目もあやなりし御さま容貌《かたち》に、見たまひ忍ばれずやありけむ、
「から人の袖ふることは遠けれど立ちゐにつけてあはれとは見き
おほかたには」とあるを、限りなうめづらしう、かやうの方さへたどたどしからず、他の朝廷まで思ほしやれる、御后言葉のかねても、とほほ笑まれて、持経《ぢきやう》のやうにひきひろげて見ゐたまへり。
現代語訳
早朝、中将の君(源氏の君)が、「いかに御覧になりましたか私の舞を。こんな切ない思いが世にあるのかという、乱れた気持ちのまま舞ったのですが。
(源氏)もの思ふに…
(物思いのあまりに立ち舞うことなどできるはずもない私ですが、それでもあなたに御覧に入れるため、袖をうち振り舞ったのです。この気持ちをお察しくださいましたか)
ひどく畏れ多いことです」とある御返りに、藤壺宮は、目にもあざやかであった源氏の君の御ようす、お姿を思うと、あれを覧になってそしらぬふりでいることもおできにならなかったのだろうか。
(藤壺)「から人の…
(唐土の人が袖を振って舞ったという故事には疎いのですが、貴方の立ち居を、しみじみと素晴らしいものと見ました)
並大抵のことではありませんでしたよ」とあるのを、源氏の君は無上にすばらしいことと思われて、あの方はこのような舞楽の方面にさえも造詣がおありになり、異国の朝廷のことまで考えをおよぼしておられる、御后としての言葉遣いが、すでにあらわれていらっしゃることよと、源氏の君は微笑なさって、いつも身辺に置いておくありがたい持経のように、ひろげてじっと見入っておられた。
語句
■あなかしこ ああ畏れ多いことだ。慣用句。 ■から人の… 青海波はもとは唐の楽。「ふること」に「振ること」と「古事」を掛ける。 ■おほかたには 感動が大方でないという説、逆に感動が大方である=そこそこの興ではありました説、「もえわたるなげきは春のさがなればおほかたにこそあはれとも見れ」(後撰・春中 読人しらず)をふまえる説もある。 ■御后言葉 后としての言葉づかい。藤壺はまだ立后していないが、すでに歌の中に后らしい言葉づかいがあらわれているの意。 ■持経 常に身辺に置いている経文。多くは『法華経』。