【紅葉賀 03】朱雀院行幸当日、源氏、青海波を舞う

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原文

行幸《ぎやうがう》には、親王《みこ》たちなど、世に残る人なく仕うまつりたまへり。春宮《とうぐう》もおはします。例の楽《がく》の船ども漕ぎめぐりて、唐士《もろこし》、高麗《こま》と尽くしたる舞ども、くさ多かり。楽の声、鼓の音《おと》、世をひびかす。一日《ひとひ》の源氏の御夕影《ゆふかげ》、ゆゆしう思されて、御誦経《みずきやう》など所どころにせさせたまふを、聞く人もことわりとあはれがりきこゆるに、春宮の女御は、「あながちなり」と憎みきこえたまふ。垣代《かいしろ》など、殿上人《てんじやうびと》地下《じげ》も、心ことなりと世人《よひと》に思はれたる、有職《いうそく》のかぎりととのへさせたまへり。宰相二人、左衛門督《さゑもんのかみ》、右衛門督《うえもんのかみ》、左右《ひだりみぎ》の楽《がく》のこと行ふ。舞の師どもなど、世になべてならぬをとりつつ、おのおの籠りゐてなむ習ひける。

木《こ》高き紅葉《もみぢ》の蔭に、四十人の垣代、いひ知らず吹き立てたる物の音《ね》どもにあひたる松風、まことの深山《みやま》おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散りかふ木の葉の中より、青海波《せいがいは》のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔のにほひにけおされたる心地すれば、御前《おまへ》なる菊を折りて、左大将《さだいしやう》さしかへたまふ。日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々うつろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる、入《い》り綾《あや》のほど、そぞろ寒く、この世の事ともおぼえず。もの見知るまじき下人《しもびと》などの、木《こ》のもと岩がくれ、山の木の葉に埋《うづ》もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落しけり。

承香殿《しようきやうでん》の御腹の四の皇子《みこ》、まだ童にて、秋風楽《しうふうらく》舞ひたまへるなむ、さしつぎの見物《みもの》なりける。これらにおもしろさの尽きにければ、こと事《ごと》に目も移らず、かへりてはことざましにやありけむ。その夜《よ》、源氏の中将正三位《じやうさむゐ》したまふ。頭中将正下《じやうげ》の加階《かかい》したまふ。上達部《かむだちめ》は、みなさるべきかぎりよろこびしたまふも、この君にひかれたまへるなれば、人の目をも驚かし、心をもよろこばせたまふ、昔の世ゆかしげなり。

現代語訳

行幸当日には、親王たちなど、世に残る人なくご奉仕に上がった。東宮もお出ましである。

例によって龍頭鷁首《りゅうとうげきしゅ》の楽の船どもが池を漕ぎめぐって、唐土《もろこし》、高麗《こま》と数を尽くしたさまざまなの舞が、種類も多く披露された。

管弦の声や鼓の音が、四方に響き渡る。先日の試楽の時、夕日に映えた源氏の君の御姿が、あまりにも素晴らしいので帝は不吉に思われて、御誦経などをあちこちでおさせになる。それを聞く人も無理もないとしみじみ感心申し上げるが、春宮の女御は、「度が過ぎています」と憎み言を申し上げる。

垣代などは、殿上人も地下人も、格別であると世間に思われている、道に通じた者だけを集めてお揃えになった。

宰相二人、左衛門督、右衛門督が、左と右の楽の行事をつとめる。舞の師たちなども、世間に並外れてすぐれた人を迎えては、それぞれ自邸に籠もったまま練習してきたのだった。

木高い紅葉の蔭に、四十人の垣代が、なんとも知れず吹き立てる多くの楽器の音に和した松風は、深山おろしのように聞こえて吹き乱れ、色々に散りかかりあう木の葉の中から、源氏の君の青海波の舞がかがやかしく舞い出したさまは、たいそう恐ろしいまでに美しく見える。

かざしの紅葉がほとんど散ってしまって、源氏の君の顔の美しさにけおされている心地がするので、御前にある菊を折って、左大将がおさしかえになる。

日が暮れかかる頃、ほんの少し時雨がぱらつき、空のけしきまでも今日のこの素晴らしい行幸のようすを見知っているようである。

そこへ源氏の君が、そのような見事な姿で、菊がさまざまな色あいに移ろい、なんともいえない風情であるのをかざして、今日はまたとない妙技を尽くした。

その入り綾(アンコール)の時は、ぞくっと寒気を感じるほどで、この世の事とも思えない。

物の風情を見知るはずもない下人などの、木の下や岩にかくれ、山の木の葉に埋もれているような者でさえ、すこし物の心を知る者は涙を流した。

承香殿の女御を母とする第四皇子が、まだ童であるが、秋風楽を舞われたのが、青海波に次いで、見ものとしては次点であった。

これら二つの舞に面白さは尽きたので、他の催しは目も移らず、かえって興ざめであったかもしれない。

その夜、源氏の中将は正三位に叙せられなさる。頭中将は正四位下に昇進なさる。上達部は、みなしかるべき者たちは昇進のよろこびに浴せられるのも、この源氏の君に引かれなさってのことなので、人の目をも驚かし、心をも喜ばせなさる、この君の前世はどんなであったか、人々はいかにも知りたそうにしている。

語句

■垣代 青海波の舞楽で笛を吹き拍子を取る楽人。四十人いて、垣根のような円陣をつくるため垣代という。 ■有職 ここでは、舞楽の道に精通した者。 ■宰相 参議の唐名。参議は太政官において大納言・中納言につぐ。四位以上の者が任じられる。 ■左右の楽 左の楽しは唐楽。右の楽は高麗楽。 ■かざしの 髪や冠に挿す。 ■左大将 左近衛大将。ここにのみ登場する人物で詳細不明。 ■入り綾 舞楽が終わって舞人が退場する前に、もう一度綾をなして舞うこと。アンコール。 ■承香殿の御腹の四の皇子 承香殿にすまう女御を母とする第四皇子。ここにのみ登場。詳細不明。承香殿は内裏の殿舎の一。仁寿殿の北、常寧殿の南。

朗読・解説:左大臣光永

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