【紅葉賀 07】源氏、紫の上を愛でる

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原文

少納言は、おぼえずをかしき世を見るかな、これも故尼上《あまうえ》の、この御ことを思して、御行ひにも祈りきこえたまひし、仏の御しるしにや、とおぼゆ。大殿《おほとの》、いとやむごとなくておはします、ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことに、大人びたまはむほどは、むつかしきこともや、とおぼえける。されど、かくとりわきたまへる御おぼえのほどは、いと頼もしげなりかし。御服《ぶく》、母方は三月《みつき》こそはとて、晦日《つごもり》には脱がせたてまつりたまふを、また、親もなくて生ひ出でたまひしかば、まばゆき色にはあらで、紅《くれなゐ》、紫、山吹の、地《ぢ》のかぎり織れる御小袿《こうちき》などを着たまへるさま、いみじう今めかしく、をかしげなり。

男君《をとこぎみ》は、朝拝《てうはい》に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。「今日よりは、おとなしくなりたまへりや」とて、うち笑みたまへる、いとめでたう愛敬《あいぎやう》づきたまへり。いつしか、雛《ひひな》をしすゑて、そそきゐたまへる、三尺の御厨子《みづし》一よろひに、品々《しなじな》しつらひすゑて、また小き屋《や》ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。「儺《な》やらふとて、犬君《いぬき》がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」とて、いと大事と思いたり。「げにいと心なき人のしわざにもはべるなるかな。いまつくろはせはべらむ。今日は言忌《こといみ》して、な泣いたまひそ」とて、出でたまふ気色ところせきを、人々端《はし》に出でて見たてまつれば、姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛《ひひな》の中の源氏の君つくろひ立てて、内裏《うち》に参らせなどしたまふ。「今年だにすこし大人びさせたまへ。十《とを》にあまりぬる人は、雛《ひひな》遊びは忌みはべるものを、かく御男《をとこ》などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見えたてまつらせたまはめ。御髪《ぐし》まゐるほどをだに、ものうくせさせたまふ」など、少納言聞こゆ。御遊びにのみ心入れたまへれば、恥づかしと思はせたてまつらむ、とて言へば、心の中に、我はさは男まうけてけり、この人々の男とてあるは、みにくくこそあれ、我はかくをかしげに若き人をも持たりけるかな、と、今ぞ思《おも》ほし知りける。さはいへど、御年の数添ふしるしなめりかし。かく幼き御けはひの、事にふれてしるければ、殿の内の人々も、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御添臥《そひぶし》ならむとは思はざりけり。

現代語訳

少納言は、思いもよらず姫君がこのような関係になったことを見るものだ、これも故尼上が、この姫君の御事をご案じになって、朝夕のお勤めの時にも祈り申し上げなさった、仏の御功徳だろうか、と思う。

左大臣家の姫君(葵の上)は、たいそうしっかりした筋の御方でいらっしゃるし、源氏の君はあちこちで多くの女性と関係を持たれているので、まったく、姫君が成長なさった時には、難しい問題も出てくるだろうと思った。

しかし、このように源氏の君が姫君に格別に打ち込んでいらっしゃることは、たいそう行く末頼もしい感じがするのだ。

服喪の期間は、母方は三ヶ月ということで、月末には喪服をお脱がせ申し上げなさるのを、尼君の他には親もなくお育ちなったので、派手な色ではなくて、紅、紫、山吹の、無地の御小袿などをお召しになっているようすは、たいそう新鮮で、美しい。

男君(源氏の君)は、朝拝に参上なさるということで、お覗きになった。

(源氏)「今日からは、大人びていらっしゃるでしょうかな」といって、ほほ笑んでいらっしゃるさまは、たいそうご立派で、情愛深くいらっしゃる。

姫君(紫の上)は、いつの間にか、人形を広げて、忙しくしていらっしゃる。

三尺の御厨子一そろえに、さまざまな品を飾りならべて、また小さい家をいくつか作り集めてさしあげられたのを、部屋じゅうに広げて遊んでいらっしゃる。

(紫の上)「追儺をやろうといって、犬君がこれを壊してしまったので、直しているのですよ」といって、たいそうそれが重大ごとのように思っていらっしゃる。

(源氏)「ほんとうにひどく情けない人のしわざでございますな。いま直させましょう。しかし今日は言忌して、お泣きになりますな」といって、お出でになられるご様子は、周囲が圧倒されるほど立派なのを、女房たちが端に出て拝見しているので、姫君も立ち出でて拝見なさって、雛人形の中の源氏の君をつくろい立てて、参内させなどなさっている。

(少納言)「せめて今年は少し大人らしくなさってください。十歳もすぎた方は、雛遊びはいけませんのに、こうして夫などを迎えられたのですから、奥方としてふさわしいように、おしとやかになさって、夫に御覧に入れなさるのがよいのです。もう御髪をお直し差し上げる時さえ、いやがりなさるのですから」など、少納言は申し上げる。

御遊びにばかり熱中されているので、恥ずかしいと思わせ申し上げよう、と思って言ったので、姫君は、心の中で、私はそれでは夫を迎えているのだ、この人々の夫といってあるのは、醜い男たちだが、私はこのように美しく若い人をも夫として持ったものだなと、この時、姫君は、思い知りなさった。

いくら御遊びにばかり夢中でいらっしゃるといっても、そんなふうに夫を意識するのは、やはり御年の数を加えた証拠なのだろう。

このように幼い御ようすが、なにかにつけて目立つので、邸の中の人々も、不審に思ったが、ここまでひどく世間離れしたお添い臥し(妻)であろうとは思いもよらなかった。

語句

■大殿 左大臣家の姫君。葵の上。 ■御服 喪服を着る期間。母方の肉親が亡くなつた時は三ヶ月と『喪葬令』服紀条に定められている。 ■男君 源氏の君のこと。男女関係をとくに強調した言い方。 ■朝拝 元旦に役人たちが天皇に拝賀する儀式。はじめ大極殿で行われ、後に略式になり清涼殿東庭で行われるようになった。文中の「朝拝」は後者。 ■そそきゐたまへる 「そそく」は忙しくする。紫の上が雛遊びに熱中しているさま。 ■儺 追儺式。「鬼やらひ」とも。大晦日に悪鬼を祓うための儀式。宮中で、四つ目の仮面をかぶった方相氏《ほうそうし》が、童子を従えて、舎人の紛争をした鬼を追い立ててまわる。 ■犬君 紫の上の遊び相手の名。 ■言忌 不吉な言動を慎むこと。 ■ところせき 源氏の君が供の者を大勢従えて堂々と退出される様子が、周囲は気圧されるほどであるということ。 ■御男 夫のこと。 ■あるべかしう 「あるべかり」の語幹に接尾語「し」がついて形容詞になったもの。そうあるのが適切である。 ■見えたてまつらせたまはめ 夫(源氏)に御覧に入れるようになさいませ。「こそ…め」は勧誘。 ■御髪まゐる 御髪をお整え申し上げる。姫君は侍女が御髪をお整え申し上げるのさえ嫌がられるほどの年になったのですから、まして人形遊びのような子供っぽいことは卒業しなくてはなりません、の意。 ■添臥 寄り添って寝る人。妻。

朗読・解説:左大臣光永

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