【紅葉賀 08】源氏と葵の上のすれ違い 左大臣の気遣い 翌朝、新年の参賀に藤壺の三条宮へ

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原文

内裏《うち》より、大殿にまかでたまへれば、例のうるはしうよそほしき御さまにて、心うつくしき御気色《けしき》もなく、苦しければ、「今年よりだに、すこし世づきてあらためたまふ御心見えば、いかにうれしからむ」など聞こえたまへど、わざと人すゑてかしづきたまふ、と聞きたまひしよりは、やむごとなく思し定めたることにこそはと、心のみおかれて、いとどうとく恥づかしく思《おぼ》さるべし。しひて見知らぬやうにもてなして、乱れたる御けはひには、えしも心強からず、御答《いら》へなどうち聞こえたまへるは、なほ人よりはいとことなり。四年《よとせ》ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、恥づかしげに、さかりにととのほりて見えたまふ。何ごとかはこの人のあかぬところはものしたまふ、わが心のあまりけしからぬすさびに、かく恨みられたてまつるぞかし、と思《おぼ》し知らる。同じ大臣《おとど》と聞こゆる中《なか》にも、おぼえやむごとなくおはするが、宮腹《みやばら》にひとりいつきかしづきたまふ御心おごり、いとこよなくて、すこしもおろかなるをば、めざましと思ひきこえたまへるを、男君は、などかいとさしも、と馴らはいたまふ、御心の隔てともなるべし。

大臣《おとど》も、かく頼もしげなき御心を、つらしと思ひきこえたまひながら、見たてまつりたまふ時は、恨みも忘れて、かしづきいとなみきこえたまふ。つとめて、出でたまふところに、さしのぞきたまひて、御装束《さうぞく》したまふに、名高き御帯《おび》、御手づから持たせて、渡りたまひて、御衣《ぞ》の後《うしろ》ひきつくろひなど、御沓《くつ》を取らぬばかりにしたまふ、いとあはれなり。「これは、内宴《ないえん》などいふこともはべるなるを、さやうのをりにこそ」など聞こえたまへば、「それはまされるもはべり。これはただ目馴《な》れぬさまなればなむ」とて、しひてささせたてまつりたまふ。げによろづにかしづき立てて見たてまつりたまふに、生けるかひあり、たまさかにても、かからん人を出だし入れて見んにますことあらじ、と見えたまふ。

参座《ざんざ》しにとても、あまた所も歩《あり》きたまはず。内裏《うち》、春宮《とうぐう》、一院《いちのゐん》ばかり、さては藤壺の三条宮《さんじやうのみや》にぞ参りたまへる。「今日はまたことにも見えたまふかな。ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ御ありさまかな」と、人々めできこゆるを、宮、几帳《きちやう》の隙《ひま》より、ほの見たまふにつけても、思ほすことしげかりけり。

現代語訳

源氏の君は、宮中から左大臣邸へお下がりになると、姫君(葵の上)は、例によって、きちんとしているが厳しい御ようすで、素直なご様子もなく、源氏の君はそれが心苦しいので、(源氏)「せめて今年からは、すこし世間並みの夫婦のようにお改めくださる御心が見えるなら、どんなに嬉しいでしょう」など申し上げなさるが、姫君(葵の上)は、源氏の君が、とりわけ二条院に人をかこって大切にしていらっしゃる、とお聞きになってからは、きっとその御方を大事に思い定めていらっしゃるのだろうと、気がおかれてばかりで、たいそう疎遠に、恥ずかしく思っていらっしゃるようだ。

姫君(葵の上)は、強いて何も知らないようにふるまい、源氏の君がお戯れになるご様子に対しては、強く出ることもなさらず、御答えなど申し上げるのは、やはり他の女性とは違っている。

四歳ほど年上でいらっしゃるので、落ち着いていらっしゃり、恥ずかしそうに、年の盛りで、整ってお見えになる。この人にどんな欠点があるというのだろう、源氏の君は、ご自分のあまりにけしからぬ浮気心のため、このように恨まれ申すのだと、自然と、思い知らされる。

同じ大臣と申し上げる中にも、父左大臣殿は帝のおぼえも並々でなくいらっしゃるが、その父左大臣殿が皇女である北の方との間にひとりお生まれになった姫君なので、父左大臣殿は大切にお育てになった。

そのことに姫君(葵の上)が御心おごりすることは大変なもので、すこしでも粗略に扱われると、失礼なと思い申し上げなさるのを、男君(源氏の君)は、なにもそこまでと、いつもそういう態度でいらっしゃるので、それが、ご夫婦の御心の隔てともなるのだろう。

左大臣も、このように頼もしげない源氏の君の御心を、ひどいと思い申し上げながら、拝見なさる時は、恨みも忘れて、大切にもてなしあれこれ世話をお焼きになる。

翌朝、源氏の君がご出発なさるところに、お覗きになって、御装束をお召になっているところに、名高い御帯を、左大臣ご自身で持たせて、ご参上になり、源氏の君の御衣の後ろをひきつくろいなどして、御沓を取らんばかりになさるのが、たいそう気の毒なほどである。

(源氏)「この帯は、内宴などいうこともあるとうかがってございますので、そのような折に用いさせていただきます」など申し上げなさると、(大臣)「それには、もっといいものがございます。これはただ珍しいというだけのものでして」といって、強いてお着せ申し上げなさる。

いかにも、源氏の君にあれこれお世話申して御覧になることに、生きがいもあり、たまにでも、このような人が左大臣邸に婿として出入りしてそれを拝見することが最上のことだろうと思われるほど、それほど源氏の君のお姿はすばらしくお見えになるのだ。

新年の参賀しにといっても、源氏の君は多くの所に行かれるわけではない。内裏、春宮、一院ぐらいで、そのほかは藤壺の三条宮に参られる。

「源氏の君は、今日はまた格別美しくにお見えになりますね。お年を重ねられるにつれて、恐ろしいまで立派におなりになる御ようすですこと」と、女房たちがお褒め申し上げるのを、藤壺宮は、几帳の隙間から、ほんの少し御覧になるにつけても、あれこれ思いめぐらすことが多いのだった。

語句

■やむごとなく 大事な人として。 ■このかみ 「子の上」で兄または姉。または年上であること。 ■うちすぐし 「うちすぐす」は年齢にふさわしい落ち着きがあること。 ■宮腹にひとり 葵の上の母は桐壺帝の妹。 ■帯 ここでは石帯。束帯において、袍《ほう》の上につける。黒漆塗りの牛皮でつくった帯。見かけは今日のベルトによく似ている。 ■内宴 宮中の仁寿殿で正月二十一日、または二十一日、二十ニ日、二十三日のうちの子の日に行われる宴会。天皇がご出席し、臣下が詩を作ったりする。嵯峨天皇のときはじまった。 ■参座 新年の参賀。 ■一院 先々代の帝。先帝はすでに崩御しているが、先々代は健在らしい。ここにのみ記述があり詳細不明。桐壺帝の父か祖父か兄?上皇が複数いる場合、先に上皇となったほうを「一院」、次に上皇になったほうを「新院」という。

朗読・解説:左大臣光永

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