【紅葉賀 09】皇子ご誕生 源氏と藤壺の苦悩
この御事の、十二月《しはす》も過ぎにしが心もとなきに、この月はさりとも、と宮人も待ちきこえ、内裏《うち》にもさる御心まうけどもあり。つれなくてたちぬ。御物の怪にや、と世人《よひと》も聞こえ騒ぐを、宮いとわびしう、このことにより、身のいたづらになりぬべきこと、と思《おぼ》し嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみたまふ。中将の君は、いとど思ひあはせて、御修法《みずほふ》など、さとはなくて所どころにせさせたまふ。世の中の定めなきにつけても、かくはかなくてややみなむと、取り集めて嘆きたまふに、二月十余日《きさらぎじふよにち》のほどに、男皇子《をとこみこ》生まれたまひぬれば、なごりなく、内裏《うち》にも宮人もよろこびきこえたまふ。命長くも、と思ほすは心うけれど、弘徽殿《こうきでん》などの、うけはしげにのたまふと聞きしを、空しく聞きなしたまはましかば人笑はれにや、と思《おぼ》しつよりてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。
上《うへ》の、いつしかとゆかしげに思しめしたること限りなし。かの人知れぬ御心に、いみじう心もとなくて、人間《ひとま》に参りたまひて、「上のおぼつかながりきこえさせたまふを、まづ見たてまつりて奏《そう》しはべらむ」と聞こえたまへど、「むつかしげなるほどなれば」とて、見せたてまつりたまはぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取りたまへるさま、違《たが》ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、人の見たてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人の思ひ咎《とが》めじや、さらぬはかなきことをだに、疵《きず》を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか、と思《おぼ》しつづくるに、身のみぞいと心うき。
命婦《みやうぶ》の君に、たまさかに逢ひたまひて、いみじき言《こと》どもを尽くしたまへど、何のかひあるべきにもあらず。若宮の御事を、わりなくおぼつかながりきこえたまへば、「など、かうしもあながちにのたまはすらむ。いま、おのづから見たてまつらせたまひてむ」と聞こえながら、思へる気色《けしき》かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、「いかならむ世に、人づてならで聞こえさせむ」とて、泣いたまふさまぞ心苦しき。
「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかる中のへだてぞ
かかることこそ心得がたけれ」とのたまふ。命婦も、宮の思ほしたるさまなどを見たてまつるに、えはしたなうもさし放ちきこえず。
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇
あはれに心ゆるびなき御事どもかな」と、忍びて聞こえけり。かくのみ言ひやる方なくて帰りたまふものから、人のもの言ひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせ思《おぼ》して、命婦をも、昔思《おぼ》いたりしやうにも、うちとけ睦《むつ》びたまはず。人目立つまじく、なだらかにもてなしたまふものから、心づきなしと思す時もあるべきを、いとわびしく思ひの外《ほか》になる心地すべし。
現代語訳
ご出産は、十二月も過ぎてしまったのが見通しが立たず不安だが、この正月こそはと、藤壺宮にお仕えする人々もお待ち申し上げ、帝もしかるべきご準備をされていた。
しかしご出産のきざしもないまま月日は過ぎた。御物の怪のしわざだろうか、と世間の人も噂申し上げて騒ぐので、藤壺宮はたいそうわびしく、このことによって、身の破滅になるだろうことを思い嘆かれて、ご気分もたいそう苦しく、お体もおわずらいになる。
中将の君(源氏の君)は、いよいよそれとお悟りになって、御修法など、それとなくあちこちで行わせなさる。
世の無常であることにつけても、このように二人の関係はしまいに駄目になってしまうのではないかと、あれこれさまざまにお嘆きになっていたところ、二月十日すぎあたりに、男皇子がお生まれになったので、今までの心配もすっかり消えて、宮中の人々も、藤壺宮にお仕えする人々も、お喜び申し上げなさる。
藤壺宮は、長生きすることは辛いことと思われるが、弘徽殿の女御などが、今回の出産について呪うようなことをおっしゃったと聞いたのを、もし自分が死んだと聞き及ばれたなら、さぞ人の笑い草になっていただろうとお思いになったので、かえって気を強くお持ちになり、次第に少しずつ快方に向かわれた。
帝が、いつ若宮を見られるかと心待ちにされることは限りもない。
源氏の君の、人知れずお悩みの御心としても、たいそう気がかりで、人目のない時に三条宮に参られて、(源氏)「帝が、待ち遠しく思っておいであそばすので、まず私が若宮を拝見して奏上いたしましょう」と申し上げるが、(藤壺)「まだ見苦しい様子の時ですから」といって、若宮をお見せ申し上げなさらないのも、無理もないことだった。
実は、たいそう呆れることだが、異常なほど、若宮が源氏の君に生き写しでいらっしゃるさまは、見紛うはずもない。
藤壺宮は、御心の鬼(罪悪感)にひどくお苦しみになって、誰かが、この若宮を拝見するにつけても、自分でもわけがわからなかったほどの過ちを、絶対に人が怪しまないということがあろうか、大したことのない小さなことさえ、他人の過ちをあげつらう世間であるのに、どんな評判が最後には漏れ出すのだろうかと思い続けなさるにつけ、わが身ばかりたいそう辛く思われる。
源氏の君は、命婦の君に、まれにお逢いになって、思いの限りをお言葉に尽くされるが、何のかいがあるはずもない。
源氏の君が、若宮の御事を、無性に御覧になりたいとおっしゃると、(命婦)「どうして、こんなむやみに、おっしゃるのでしょう。今に、自然と御覧になられますでしょう」と申し上げながら、源氏も、命婦も、お互いに物思いしているようすは、ただごとではない。
人目を避けることであるので、源氏の君は、はっきりともおっしゃることがおできにならず、(源氏)「どんな機会に、人づてでなく直接申し上げられるだろう」といって、お泣きになるさまは心苦しい。
(源氏)「いかさまに…
(「どんな前世で結んだ縁によって、この世でこんなにも二人の仲が隔てられてしまったのだろうか)
このようなことは納得できない」とおっしゃる。命婦も、藤壺宮が物思いしていらっしゃるご様子などを拝見するにつけ、そっけなくお断り申し上げることもできない。
(命婦)「見ても思ふ…
(「若宮を御覧になった藤壺宮も物思いに暮れていらっしゃるし、若宮を御覧になられない源氏の君もまた、どんなにかお嘆きでしょう。これこそ、世の人が迷うという子を思う心の闇というものでしょう)
お気の毒に、お二人とも、御心の休まる御暇のないことですね」と、ひそかに申し上げるのだった。
源氏の君はこのようにおっしゃるだけで、藤壺宮に言いやるすべもなくてお帰りになるが、藤壺宮は、世間の人があれこれ言うのもわずらわしいので、苦しいことにおっしゃり、思われて、命婦すら、昔親しく思われたようにも、うちとけて親しく召使いにならない。
藤壺宮は、命婦のことを、人目にはそれとわからぬように、穏やかにあしらってはいらっしゃるが、お気に召さないとお思いになる時もあるようなのを、命婦はひどく辛くて心外な気持ちがするに違いない。
語句
■この御事 ご出産の事。 ■宮人 三条邸で藤壺宮にお仕えする人々。 ■御心まうけ 「心まうけ」は準備。 ■思ひあはせて 妊娠の時期から見て、自分の子にちがいないと悟った。 ■男皇子 後に朱雀帝の春宮となり、冷泉帝として即位する。 ■うけはしげに 「うけふ」は神に祈って呪う。藤壺の出産について、呪うようなことを言った。 ■空しく 「むなしくなる」は死ぬこと。 ■つよりて 「強る」は気を強く持つ。 ■さはやい 「さはやぐ」は気分がよくなる。「さはやい」はその音便形。 ■心もとなくて 源氏ははやく自分の子か、そうでないのか確かめたくて、気が気でないのである。 ■むつかしげなるほどなれば 藤壺は男皇子が生まれたばかりで見苦しい姿であることを言い訳にするが、実は皇子が源氏と生き写しであることを知られたくない。 ■御心の鬼 罪悪感。罪の意識。 ■いかさまに… 「この世」に「子(若宮)の世」を掛けるという説も。 ■はしたなうも 「はしたなし」はどっちつかずだ。無愛想。 ■見ても思ふ… 「こや」に「子や」を掛ける。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔。)。 ■心ゆるびなき 心の休まる暇のない。