【紅葉賀 10】若宮参内 源氏と藤壺の苦悩

原文

四月《うづき》に内裏《うち》へ参りたまふ。ほどよりは大きにおよすけたまひて、やうやう起きかへりなどしたまふ。あさましきまで、紛れどころなき御顔つきを、思しよらぬことにしあれば、また並びなきどちは、げに通ひたまへるにこそは、と思ほしけり。いみじう思ほしかしづくこと限りなし。源氏の君を限りなきものに思しめしながら、世の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、坊《ばう》にも据《す》ゑたてまつらずなりにしを、あかず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御ありさま容貌《かたち》にねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しく思しめすを、かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば、瑾《きず》なき玉と思しかしづくに、宮はいかなるにつけても、胸の隙《ひま》なく、やすからずものを思ほす。

例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱《いだ》き出でたてまつらせたまひて、「皇子《みこ》たちあまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。中将の君、面《おもて》の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。物語などして、うち笑みたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながらこれに似たらむは、いみじういたはしうおぼえたまふぞあながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の乱るやうなれば、まかでたまひぬ。

現代語訳

若宮は四月に宮中に参内なさる。普通よりは大きくおなり遊ばして、だんだん寝返りなどされるようになられている。

呆れるほど源氏の君と似通っていらっしゃる御顔つきを、帝は思い寄られぬことであるので、無類に優れている者どうしは、なるほど似通っていらっしゃるのだと思われるのだった。

帝は若宮をたいそう大切にしてお世話なさることは限りない。

帝は源氏の君を限りなく大切なものと思われるものの、世間の人がおゆるし申し上げそうもなかったので、春宮にもお立て申し上げなさらなかったことを、どこまでも残念に思われていた。

それで、源氏の君が、臣下の身分にはもったいないほどの立派な御ようす、御器量になっていかれるのを御覧になるにつけても、心苦しく思われていたのだが、このような高貴な御方(藤壺)の御腹に、源氏の君と同じ光に輝いて若宮がお生まれになったので、帝は若宮を傷なき玉とお思いになり大切になさるのに、藤壺宮は何事につけても、胸の晴れる暇がなく、心穏やかでなく思われる。

いつものように、中将の君(源氏の君)が、藤壺の御方で管弦の遊びなどをなさっていると、帝が、若宮をお抱き申してお出ましになり、「皇子たちはたくさんいるが、この若宮ぐらいの幼い頃から明け暮れに私が見たのはそなただけだ。それで、自然とその頃が連想されるからだろうか、この若宮は、たいそうよくそなたに似ていると思うぞ。ごく小さい時は、みなこのようであるのだろうか」といって、たいそうかわいいと思い申していらっしゃる。

中将の君(源氏の君)は、顔色が変わる気持ちがして、恐ろしくも、畏れ多くも、うれしくも、しみじみと情け深くも、さまざまな感情が移り変わる気持ちがして、涙がこぼれ落ちそうである。

若宮が、なにか片言でおっしゃって、微笑んでいらっしゃるのが、たいそう際立って可愛らしいので、源氏の君は、わが身のことながら、自分がこの若宮に似ているとしたら、自分はたいそう大切なものとお思いになるが、それは身勝手な考えであろう。

藤壺宮は、どうしようもなく居心地が悪いので、汗も流れていらっしゃる。源氏の中将は、若宮に会いたいと思っていたがいざ会ってみるとかえって気持ちが乱れるようなので、宮中をご退出なさった。

語句

■思しよらぬこと 帝は若宮がまさか源氏の子とは思いもよらない。 ■こちら 藤壺の御方。 ■面の色かはる心地 帝に「若宮はそなたによく似ている」と指摘されて、源氏はどきりとした。■いたはしう 「いたはし」は大切に思う。 ■あながちなるや 「あながちなり」は身勝手だ。

朗読・解説:左大臣光永

■【古典・歴史】メールマガジン
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル