【紅葉賀 15】源氏と源内典の逢瀬に頭中将が乱入

この君も、人よりはいとことなるを、かのつれなき人の御慰めに、と思ひつれど、見まほしきは限りありけるをとや。うたての好みや。いたう忍ぶれば、源氏の君はえ知りたまはず。見つけきこえては、まづ恨みきこゆるを、齢《よはひ》のほどいとほしければ、慰めむと思せど、かなはぬものうさに、いと久しくなりにけるを、夕立して、なごり涼しき宵《よひ》のまぎれに、温明殿《うんめいでん》のわたりをたたずみ歩きたまへば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾きゐたり。御前《おまへ》などにても、男方の御遊びにまじりなどして、ことにまさる人なき上手なれば、もの恨めしうおぼえけるをりから、いとあはれに聞こゆ。「瓜《うり》作りになりやしなまし」と、声はいとをかしうて謡ふぞ、すこし心づきなぎ。鄂州《がくしゅう》にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむと、耳とまりて聞きたまふ。弾きやみて、いといたう思ひ乱れたるけはひなり。君、東屋《あづまや》を忍びやかに謡ひて、寄りたまへるに、「おし開いて来ませ」と、うち添へたるも、例に違《たが》ひたる心地ぞする。

立ち濡るる人しもあらじ東屋《あづまや》にうたてもかかる雨《あま》そそきかな

とうち嘆くを、われひとりしも聞きおふまじけれど、うとましや、何ごとをかくまでは、とおぼゆ。

人妻はあなわづらはし東屋の真屋《まや》のあまりも馴れじとぞ思ふ

とてうち過ぎなまほしけれど、あまりはしたなくや、と思ひかへして、人に従へば、すこしはやりかなる戯れ言など言ひかはして、これもめづらしき心地ぞしたまふ。

頭中将は、この君の、いたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふがねたきを、つれなくて、うちうち忍びたまふ方々多かめるを、いかで見あらはさむとのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地、いとうれし。かかるをりに、すこしおどしきこえて、御心まどはして、「懲りぬや」と言はむと思ひて、たゆめきこゆ。

風冷やかにうち吹きて、やや更けゆくほどに、すこしまどろむにやと見ゆる気色なれば、やをら入りくるに、君はとけてしも寝たまはぬ心なればふと聞きつけて、この中将とは思ひよらず、なほ忘れがたくすなる修理大夫《すりのかみ》にこそあらめと思すに、おとなおとなしき人に、かく似げなきふるまひをして、見つけられんことは恥づかしければ、「あな、わづらはし。出でなむよ。蜘蛛《くも》のふるまひはしるかりつらむものを。心うくすかしたまひけるよ」とて、直衣《なほし》ばかりを取りて、屏風《びやうぶ》の後《うしろ》に入りたまひぬ。中将をかしきを念じて、引きたてたまへる屏風のもとに寄りて、こぼこぼと畳み寄せて、おどろおどろしく騒がすに、内侍は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人の、さきざきもかやうにて心動かすをりをりありければ、ならひて、いみじく心あわたたしきにも、この君をいかにしきこえぬるかと、わびしさにふるふふるふ、つと控へたり。誰《たれ》と知られで出でなばやと思せど、しどけなき姿にて、冠《かうぶり》などうちゆがめて走らむ後手思ふに、いとをこなるべしと思しやすらふ。中将、いかで我と知られきこえじ、と思ひて、ものも言はず、ただいみじう怒れる気色にもてなして、太刀《たち》を引き抜けば、女、「あが君、あが君」と向ひて手をするに、ほとほど笑ひぬべし。好ましう若やぎてもてなしたるうはべこそさてもありけれ、五十七八の人の、うちとけてもの思ひ騒げるけはひ、えならぬ二十《はたち》の若人《わかうど》たちの御中《なか》にて物怖《お》ぢしたるいとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、恐ろしげなる気色を見すれど、なかなかしるく見つけたまひて、我と知りてことさらにするなりけりと、をこになりぬ。「その人なめり、と見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたる腕《かひな》をとらへていといたうつみたまへれば、ねたきものから、えたへで笑ひぬ。「まことはうつし心かとよ。戯《たはぶ》れにくしや。いでこの直衣《なほし》着む」とのたまへど、つととらへてさらにゆるしきこえず。「さらばもろともにこそ」とて、中将の帯をひき解きて脱がせたまへば、脱がじとすまふを、とかくひきしろふほどに、綻《ほころ》びはほろほろと絶えぬ。中将、

「つつむめる名やもり出でん引きかはしかくほころぶる中《なか》の衣《ころも》に

上に取り着ば、しるからん」といふ。君、

かくれなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る。

と言ひかはして、うらやみなきしどけな姿に引きなされて、みな出でたまひぬ。

現代語訳

この中将の君(頭中将)も、並の人よりもずっとすぐれているので、源典侍は、あのつれない人(源氏の君)と逢えないことの御慰めとして(この中将と付き合おう)、と思ったが、やはり逢いたいのは源氏の君に限ったことらしいのだ。こまった好みである。

たいそう忍んでの源典侍と頭中将の逢瀬なので、源氏の君はお知りにならない。

源典侍は源氏の君を見つけ申し上げると、まず恨み言を申し上げるので、源氏の君は、典侍のご高齢を思うとお気の毒なので、お慰めしようとお思いになるが、それもできないほど気が進まないので、たいそう長くご無沙汰していたのを、ある日、夕立があって、その後が涼しくなった宵のまぎれに、源氏の君が、温明殿《うんめいでん》のあたりをぶらぶらとお歩きになっていると、この内侍が、琵琶をたいそう見事に弾いていた。

帝の御前などでも、男方の御遊にまじりなどして、ことにまさる人なき上手であるので、ちょうど源氏の君との関係で恨めしく思っていた折でもあり、たいそうしみじみと情がこもって聞こえる。

(源典侍)「瓜作りになりやしなまし(なろうかしら)」

と、声はたいそう情緒深く歌うのが、源氏の君は少々気に入らない。

あの白楽天が感動した鄂州にいたという昔の人も、このように情緒深く琵琶を弾いたのだろうかと耳をとめてお聞きになる。

弾き終わって、たいそうひどく思い悩んでいるようすである。源氏の君は、催馬楽の「東屋《あづまや》」を低く謡って、典侍にお近づきになると、(源典侍)「おし開いて来ませ」と、源典侍が歌い添えるのも、並の女とは違っているという感じがする。

(典侍)立ち濡るる…

立ち寄って濡れてくれる人などいないだろう東屋に、恨めしいことに雨だれが降り掛かっていることですよ。

と嘆くのを、源氏の君は、私一人が老人の嘆きをきいてやることもないだろうに、嫌なことだ、何事をここまで言うのだ、と思われる。

(源氏)人妻は…

(人妻は、ああ面倒だ。東屋の、真屋の軒端に立つようには、あまり慣れ親しまないようにしよう)

といって、そのまま立ち去ってしまいたかったが、それはあまりに無愛想かと思い直して、女の言うことにあわせて、すこしはずんだ冗談など言い合って、こうしたこともたまには一興だというご気分でいらっしゃる。

頭中将は、この源氏の君が、ひどくまじめくさって、いつも自分を非難なさるのが恨めしいので、何食わぬ顔で、内々に忍び通っていらっしゃる方々が多いようなのを、どうやってはっきり見てやろうとばかり思い続けていたところ、これを見つけた気持ちは、とてもうれしい。

頭中将は、この機会に、源氏の君を少しおどし申し上げて、御心をまどわして、「懲りましたか」と言おうと思って、油断させ申し上げている。

風が冷ややかに吹いて、しだいに夜が更けていく頃、二人はすこしまどろんだだろうかと見える様子なので、頭中将がそっと入ってくると、源氏の君は、くつろいでお休みにはなれないご気分だったで、ふと人が入ってきた音を聞きつけて、それが頭中将とは思いもよらず、今もやはり源典侍を忘れられないであるという修理大夫《すりのかみ》だろうと思われて、そういう老人に、このような似つかわしくないふるまいに及んだところを見つけられることはきまりが悪いので、(源氏)「ああ面倒な。私はお暇するよ。蜘蛛のふるまいで、今夜恋人が訪ねてくることはあらかじめわかっていただろうに。情けなくもお騙しになったことですよ」といって、直衣だけを取って、屏風の後ろにお入りになった。

中将はおかしいのを我慢して、源氏の君がお引き立てになる屏風のそばに近寄って、それをばたばたと畳み寄せて、おおげさに騒ぐと、内侍は、年は取っているが、風流心があり色めいた人で、前々もこのように動揺する折々があったので、なれていて、ひどく慌てる中にも、乱入してきた男が、源氏の君にどのような危害を加え申すかと、心細さに震え震え、そっと控えていた。

源氏の君は、自分を誰と知られぬままお暇しようとお思いになるが、乱れた姿で、冠などもゆがめて走っていく、その後ろ姿を想像すると、ひどくまぬけに見えるに違いないと思って、ためらわれる。

頭中将は、どうにかして自分と気づかせまいと思って、ものも言わず、ただたいそう怒っているようにふるまって、太刀を引き抜けば、女は、「わが君、わが君」と向かって手をすり合わせると、頭中将は、すんでのところで吹き出しそうになる。

好色に、若作りしてふるまっている、そのうわべはともかくして、五十七八の人が、本気で心配し慌てているようすは、しかも、えもいわれぬ二十歳の若者たちの御中でおどおどしているのは、まったくふさわしくない。

頭中将はこのように別人のようにふるまって、恐ろしげな様子を見せるが、源氏の君はかえってはっきりとお気づきになって、私が光源氏であると知って、わざとこんなふざけたことをするのだなと、ばからしくなった。

頭中将だろうと御覧になるにつけて、ひどくおかしかったので、太刀を抜いた腕をつかんでたいそう強くおつねりになったので、頭中将は、忌々しくはあるが、我慢できずに吹き出してしまった。

(源氏)「まったく君は正気かね。うかうか戯れ事もできやしない。さあこの直衣を着るとしよう」とおっしゃるが、頭中将は源氏の君のその直衣をすっとつかんで、まったくお離し申し上げない。

(源氏)「ならば一緒に」といって、中将の帯をひき解いてお脱がせになると、脱ぐまいとしてもみあうのを、あれこれ引っ張り合ううちに、綻びははらはらと破れてしまつた。中将、

「つつむめる…

(包み隠していらっしゃる浮名も、漏れ出してしまうでしょう。ひっぱりあって、こうしてほころんでしまった我々二人の中の衣によって)

これを上に着たら、目立つでしょうね」と言う。源氏の君は、

かくれなき…

(薄い夏衣ではその下の衣の色を隠せないとわかっていながら、君がその夏衣を着ているのは薄情だと思う。そしてここに君が来たことも、薄情だと思う)

とお互いに言い合って、恨みっこなしのしどけない姿にされてしまって、二人して帰っていかれた。

語句

■温明殿 宣陽門内の殿舎。神鏡(八咫鏡)を安置する内侍所《ないしどころ》=賢所《かしこどころ》がある。 ■もの恨めしうおぼえけるをりから 元来の芸のうまさに、片思いの辛さという実体験が加わって、いよいよ情味がましているのである。 ■瓜作りになりやしなまし 「山城の、狛の渡りの瓜作、瓜作り、われをほしと言ふ、いかにせむ、なりやしなまし、瓜たつまでに、瓜たつま、瓜たつまでに」(催馬楽・山城)」。「狛」は山城国相良郡の瓜の産地。「瓜立つ」は瓜が熟す。いっそ身分低い瓜作りと一緒になって、高貴な源氏の君を諦めてしまおうかの意。 ■鄂州にありけむ昔の人 白楽天の詩「夜聞歌者」(白氏文集十)による。白楽天が鄂州(湖北省武昌市)の南西鸚鵡州に泊まった時、隣の船から女の歌声がきこえてきた。見事な歌声に聞き入っていると、やがて声はすすり泣きに変わった。これと、同じく白楽天「琵琶行」の状況をあわせて引用しているらしい。 ■東屋 「東屋の、真屋《まや》のあまりの、その、雨《あま》そそぎ、我立ちぬれぬ、殿戸開かせ/かすがひも、戸ざしもあればこそ、その殿戸、我ささめ、おし開いて来ませ、我や人妻」(催馬楽・東屋)。男女の掛け合いからなる。源氏はこの前半を謡い、源典侍は後半で答えた。 ■立ち濡るる… やはり「東屋」をふまえる。「雨そそぎ」は雨だれ。年取って誰からも相手にされないと、すねている歌。 ■人妻は… これも「東屋」をふまえる。「真屋《まや》」は前後二方向に軒をおろした建物。「あまり」は軒端。むやみにの意を掛ける。源氏と源典侍のやり取りは催馬楽や古歌をふまえて優雅のきわみである。滑稽なかんじで登場した源典侍のちがう一面を、作者は切り取って見せる。 ■たゆめ聞こゆ 「たゆむ」は気をゆるめさせる。油断させる。 ■蜘蛛のふるまひ 「わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」(古今・恋四・墨滅歌 衣通姫)。今夜は恋人が訪ねてくるにちがいない。蜘蛛が巣を張ったことによって、あらかじめわかってるのだの意。「ささがにの」は蜘蛛にかかる枕詞。恋人が訪ねてくるときは蜘蛛が巣をはるという俗信による歌。 ■こぼこぼと 「こぼこぼ」は擬音。源氏が障子を引き立てるそばから、頭中将がそれを畳んでいく滑稽な場面。 ■ほとほど 殆・幾。完全にではないが、ほとんどその状態に近くなること。すんでのところで。 ■つきなし 「付きなし」は不似合いだ。ふさわしくない。 ■綻び 直衣の袖の下の縫い合わせていない部分。 ■つつむめる… 「つつむ」は衣を包むと、秘密にするの意を掛ける。「中の衣」は直衣の下、単衣の上の着物。「中」「に源氏と頭中将の「仲」をかける。「つつむ」「ほころぶ」「衣」は縁語。 ■上に取り着ば 「紅《くれなひ》の濃染《こぞめ》の衣下に着て上に取り着ばしるからむかも」(古今六帖五)。紅の濃い衣を下に着てその上に重ね着したら、上着の下の紅がはっきり見えるでしょう。押し隠した恋心も、あまりに気持ちが強くて隠すことができないというたとえ? ■かくれなき… 「きたる」は「来たる」と「着たる」を掛ける。「うすき」は衣が薄いのと心が薄いのを掛ける。

朗読・解説:左大臣光永

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