【紅葉賀 17】藤壺の立后 弘徽殿女御の動揺 若宮の成長

七月《ふみづき》にぞ后《きさき》ゐたまふめりし。源氏の君、宰相《さいしやう》になりたまひぬ。帝《みかど》おりゐさせたまはむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と思ひきこえさせたまふに、御後見《うしろみ》したまふべき人おはせず。御母方の、みな親王《みこ》たちにて、源氏の公事《おほやけごと》知りたまふ筋ならねば、母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて、つよりにと思すになむありける。弘徽殿《こうきでん》、いとど御心動きたまふ、ことわりなり。されど、「春宮《とうぐう》の御世、いと近うなりぬれば、疑ひなき御位なり。思ほしのどめよ」とぞ聞こえさせたまひける。げに、春宮《とうぐう》の御母にて二十余年になりたまへる女御をおきたてまつりては、引き越したてまつりたまひがたきことなりかしと、例の、安からず世人《よひと》も聞こえけり。

参りたまふ夜の御供に、宰相《さいしやう》の君も仕うまつりたまふ。同じ宮と聞こゆる中にも、后腹《きさいばら》の皇女《みこ》、玉光りかかやきて、たぐひなき御おぼえにさへものしたまへば、人もいとことに思ひかしづききこえたり。まして、わりなき御心には、御輿《みこし》のうちも思ひやられて、いとど及びなき心地したまふに、すずろはしきまでなむ。

尽きもせぬ心のやみにくるるかな雲ゐに人を見るにつけても

とのみ、独りごたれつつ、ものいとあはれなり。

皇子《みこ》は、およすけたまふ月日に従ひて、いと見たてまつり分きがたげなるを、宮いと苦しと思せど、思ひよる人なきなめりかし。げにいかさまに作りかへてかは、劣らぬ御ありさまは、世に出でものしたまはまし。月日の光の空に通ひたるやうにぞ、世人も思へる。

現代語訳

7月に藤壺宮は后に立たれた。源氏の君は、宰相になられた。帝がご譲位あそばす御心構えが近くなって、この若宮を東宮にとおぼしめされるが、御後見をなさるべき方がいらっしゃらない。

御母方は、みな親王であって、皇族が政を執られる筋ではないので、せめて母宮(藤壺宮)だけでもしっかりした地位におつけ申して、若宮のお力にと、帝はお思いになっていた。

弘徽殿の女御がひどく動揺なさるのは、当然だ。しかし、(帝)「東宮の御世がたいそう近くなったのですから、貴女が皇太后の御位につかれることは疑いないことです。そう思ってあせらずにいらっしゃい」と、帝は藤壺宮に申し上げあそばされた。

なるほど、東宮の御母として二十余年におなりの女御(弘徽殿女御)をさしおき申して、飛び越えて、他の方を中宮にお立て申し上げあそばすことはやりにくいことだろうなと、例によって、穏やかならず、世間の人も申し上げていた。

藤壺宮の后としての初参内の夜の御供に、宰相の君(源氏の君)もお仕え申し上げなさる。

同じ宮と申し上げる中にも、先帝の后腹の皇女たるこの藤壺宮は、玉のようり光り輝いて、その上比類ない帝の御おぼえでいらっしゃるので、人もたいそう特別に思いお仕え申し上げている。

まして、源氏の君の抑えようのない藤壺宮への御心には、御輿の内も思いやられて、藤壺宮がいよいよ手の届かない所に行ってしまう気持ちがなさるにつけ、そわそわと落ち着かないお気持ちである。

尽きもせぬ…

(尽きることのない心の闇で目の前が真っ暗になってしまいしたよ。はるかの雲居に貴女を見るにつけても)

とだけ、独りで口ずさみつつ、しみじみと哀れが身にしみるのだ。

若宮は成長なさる月日に従って、たいう源氏の君とお見分け申し上げがたいようにおなりなのを、藤壺宮はたいそう苦しく思われるが、それと思いよる方もいないようである。

まったく、どんなふうに源氏の君の美しさを作り変えれば、それに劣らぬ御方が、世に生まれでてこられるというのだろうか。

源氏の君と若宮とが同じ時代にお生まれになったのは、月と太陽の光が空に並んで輝いているようなものだと、世間の人も思っているのだ。

月日の

語句

■たまふめりし 公式に重要な事柄なので、婉曲で書く。藤壺は桐壺帝の唯一の后として立った。 ■若宮 公式には桐壺帝と藤壺宮の皇子。実は源氏と藤壺宮の御子。後の冷泉帝。 ■御母方 若宮の母、藤壺の兄弟はすべて親王。 ■源氏 元皇族が臣籍降下して源姓を名乗るものをいうが、ここでは皇族一般をいうか。 ■つより 「強る」の名詞化。心を強く引き立てる。気を張る。 ■后腹の皇女 先帝の后腹の皇女=藤壺宮。 ■わりなき御心 自分ではどうにも制御できない源氏の藤壺に対する思い。このあたり、『伊勢物語』の在原業平と藤原高子の影が感じられる。「思ふにはしのぶることぞまけにけるあふにしかへばさもあらばあれ」など(『伊勢物語』六十五段)。 ■すずろはしき そわそわと落ち着かないようす。 ■尽きもせぬ… 「心のやみ」は藤壺への恋慕ゆえに心が真っ暗になっているようす。『伊勢物語』六十九段に「かきくらす心の闇にまどひにき」。

朗読・解説:左大臣光永

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