【花宴 05】源氏と左大臣、語らう

大殿《おほいどの》には、例の、ふとも対面《たいめん》したまはず。つれづれとよろづ思しめぐらされて、箏《さう》の御琴まさぐりて、「やはらかにぬる夜はなくて」とうたひたまふ。大臣《おとど》渡りたまひて、一日《ひとひ》の興ありしこと聞こえたまふ。「ここらの齢《よはひ》にて、明王《めいわう》の御代、四代《だい》をなん見はべりぬれど、このたびのやうに、文《ふみ》ども警策《きやうざく》に、舞、楽、物の音《ね》ども調《ととの》ほりて、齢《よはひ》延ぶることなむはべらざりつる。道々《みちみち》の物の上手《じやうず》ども多かるころほひ、くはしうしろしめし調へさせたまへるけなり。翁もほとほど舞ひ出でぬべき心地なんしはべりし」と聞こえたまへば、「ことに調へ行ふこともはべらず。ただおほやけごとに、そしうなる物の師どもを、ここかしこに尋ねはべりしなり。よろづのことよりは、柳花苑《りうくわゑん》、まことに後代《こうだい》の例《れい》ともなりぬべく見たまへしに、ましてさかゆく春に立ち出でさせたまへらましかば、世の面目にやはべらまし」と聞こえたまふ。弁、中将など参りあひて、高欄《かうらん》に背中おしつつ、とりどりに物の音《ね》ども調べあはせて遊びたまふ、いとおもしろし。

現代語訳

左大臣邸では、女君(葵の上)は、例によって、すぐには源氏の君と対面なさらない。

源氏の君は所在なく、さまざまなことに自然、思いがめぐらされ、箏の御琴を手すさびにお弾きになって、「やはらかにぬる夜はなくて」とお歌いになる。

父左大臣がおいでになって、昨日の宴の興深かったことを申し上げなさる。

(左大臣)「私は高齢で、聡明な君子の御世を、四代にわたって見ましたが、今回のように、詩文もすぐれ、舞、舞楽、さまざまな楽器の音が調って、歳がのびるような心地がしたことはございませんでした。

さまざまな道に通じた名人たちが多い今の時代に、貴方様がそれらにくわしく通じておいでになって、指図をされたからだと存じます。

この老人も、ほとんど舞い出してしまいそうな心地がいたしました」と申し上げなさると、(源氏)「とくに私が指図したということもございません。ただお役目として、優れた諸道の名人たちを、あちこちで探しだしたのです。万事にまさって、頭中将の舞った柳花苑は、まことに後代の手本ともなるだろうと拝見しましたが、まして栄えゆく御代の春に、義父様(左大臣)が立ち出てお舞いになりましたら、世の面目でございましたでしょうに」と申し上げなさる。

左中弁、頭中将などが集まり参って、高欄に寄りかかりつつ、とりどりに色々な楽器の音を調和させて管弦の遊びをなさるのは、とてもおもしろい。

語句

■やはらかに 「貫河《ぬきがわ》の瀬々の、やはら手枕、やはらかに、ぬる夜はなくて、親さくる夫《つま》」(催馬楽・貫河)。主題は親に反対されている男女の贈答歌。「貫川」は福岡県の地名。 ■ここらの齢 高齢であること。「ここら」は数多いこと。 ■警策 人を驚かせるほどすぐれていること。 ■翁もほとほど 百十三歳の尾張浜主が御前に召されて長寿舞を舞った故事にちなむ。その時の歌が、「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」(続日本後紀・承和十ニ年)。 ■ほとほど 「殆」。ほとんど。すんでのところで。完全にではないが、ほとんどその状態になる。 ■そしうなる 秀でた、優れたの意か? ■弁・中将 「弁」は左中弁。左大臣の息子。「中将」は頭中将。左大臣の長男。

朗読・解説:左大臣光永

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