【花宴 06】源氏、右大臣家の藤の宴に招かれ、朧月夜の君と再会

かの有明《ありあけ》の君は、はかなかりし夢を思し出でて、いともの嘆かしうながめたまふ。春宮《とうぐう》には、卯月《うづき》ばかりと思し定めたれば、いとわりなう思し乱れたるを、男も、尋ねたまはむにあとはかなくはあらねど、いづれとも知らで、ことにゆるしたまはぬあたりにかかづらはむも、人わるく、思ひわづらひたまふに、三月《やよひ》の二十余日《にじふよにち》、右大殿《みぎのおほひどの》の弓の結《けち》に、上達部《かんだちめ》 親王《みこ》たち多くつどへたまひて、やがて藤の宴したまふ。花ざかりは過ぎにたるを、「ほかの散りなむ」とやをしへられたりけむ、おくれて咲く桜二木《ふたき》ぞいとおもしろき。新しう造りたまへる殿《との》を、宮たちの御裳着《もぎ》の日、磨きしつらはれたり。はなばなとものしたまふ殿のやうにて、なにごとも今めかしうもてなしたまへり。

源氏の君にも、一日《ひとひ》内裏《うち》にて、御対面のついでに聞こえたまひしかど、おはせねば、口惜しう、ものの栄《はえ》なし、と思して、御子の四位少将《しゐのせうしやう》を奉りたまふ。

わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし

内裏《うち》におはするほどにて、上《うへ》に奏したまふ。「したり顔なりや」と笑はせたまひて、「わざとあめるを、早うものせよかし。女御子《をむなみこ》たちなども、生ひ出づる所なれば、なべてのさまには思ふまじきを」などのたまはす。御装《よそ》ひなどひきつくろひたまひて、いたう暮るるほどに、待たれてぞ渡りたまふ。桜の唐《から》の綺《き》の御直衣《なほし》、葡萄染《えびぞめ》の下襲《したがさね》、裾《しり》いと長く引きて、皆人は袍衣《うへのきぬ》なるに、あざれたるおほぎみ姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいとことなり。花のにほひもけおされて、なかなかことざましになむ。遊びなどいとおもしろうしたまひて、夜すこし更けゆくほどに、源氏の君、いたく酔《ゑ》ひなやめるさまにもてなしたまひて、まぎれ立ちたまひぬ。

寝殿《しんでん》に女一の宮、女三の宮のおはします、東の戸口におはして、寄りゐたまへり。藤はこなたのつまにあたりてあれば、御格子《みかうし》ども上げわたして、人々出でゐたり。袖口など、踏歌《たふか》のをりおぼえて、ことさらめきもて出でたるを、ふさはしからずと、まづ藤壺わたり思し出でらる。「なやましきに、いといたう強ひられて、わびにてはべり。かしこけれど、この御前《おまへ》にこそは、蔭にも隠させたまはめ」とて、妻戸の御簾《みす》を引き着たまへば、「あな、わづらはし。よからぬ人こそ、やむごとなきゆかりはかこちはべるなれ」といふ気色を見たまふに、重々しうはあらねど、おしなべての若人どもにはあらず、あてにをかしきけはひしるし。そらだきものいとけぶたうくゆりて、衣《きぬ》のおとなひいとはなやかにふるまひなして、心にくく奥まりたるけはひは立ちおくれ、今めかしきことを好みたるわたりにて、やむごとなき御方々物見たまふとて、この戸口は占めたまへるなるべし。さしもあるまじきことなれど、さすがにをかしう思ほされて、いづれならむ、と胸うちつぶれて、「扇を取られて、からきめを見る」と、うちおほどけたる声に言ひなして、寄りゐたまへり。「あやしくるさま変へける高麗人《こまうど》かな」と答ふるは、心知らぬにやあらん。答《いら》へはせで、ただ時々うち嘆くけはひする方《かた》に寄りかかりて、几帳《きちやう》ごしに手をとらへて、

「あづさ弓いるさの山にまどふかなほのみし月の影や見ゆると

何ゆゑか」と、おしあてにのたまふを、え忍ばぬなるべし、

心いる方ならませばゆみはりのつきなき空に迷はましやは

といふ声、ただそれなり。いとうれしきものから。

現代語訳

例の有明の女君は、はかなく終わった一夜限りの夢を思い出しなされて、たいそう嘆きがちにぼんやりと物思いにふけっていらした。

東宮には、四月ごろに入内と心を決めていらしたので、ひどくどうしようもなく思い乱れていたのだが、男(源氏の君)のほうも、女をお尋ねになるつてがないわけではなかったが、どの姫君ともわからないし、ことに自分を嫌っている右大臣家に関わりを持つのも、人聞きが悪く、思い悩んでいらっしゃるうちに、三月の二十余日、右大臣邸で行われた弓の競技に、上達部・皇子たちが多くお集まりになって、そのまま藤の宴をなさる。

桜の花ざかりは過ぎているが、「ほかの散りなむ」と歌にあるように教えられたのだろうか、遅れて咲くニ木の桜がとても風情がある。

新しく造営なさった邸を、姫宮たちの御裳着の日、磨き立ててお飾りになったのだ。華々しくなさっている右大臣家のようすで、何事においても今風にやっておられる。

右大臣は、源氏の君にも、先日宮中にてご対面したついでにお誘い申し上げなさったが、いらっしゃらないので、残念で、催しばえがしない、と思われて、御子の四位少将を遣わして、再度、源氏の君を、お誘い申し上げさせなさる。

(右大臣)わが宿の…

(わが邸の花がなみたいていの色であれば、どうしてことさら源氏の君をお待ちするでしょう)

その時、源氏の君は宮中にいらして、帝に奏上なさる。(帝)「右大臣はよほど得意とみえる」とお笑いあそばして、(帝)「わざわざ使いがあったそうであるので、早く行くがよい。右大臣邸は、そなたの兄弟である女御子たちなども生まれた所だから、そなたのことをまったくの他人のようには思うまいに」と仰せになる。

御装いなどをご準備なさって、すっかり日が暮れた頃、源氏の君は期待されて右大臣邸にいらした。

桜襲の唐の綺の御直衣に、葡萄染めの下襲の裾を長く引いて、ご家来衆は皆、袍衣であるのに、しゃれた王(おおぎみ)姿の優雅な装いで、周囲からかしずかれてお入りになる御ありさまは、実にまったく、他とは違っている。

花の色香も源氏の君の美しさに気圧されて、かえって興ざましである。管弦の遊びなどたいうおもしろくなさって、夜がすこし更けてゆくにつれて、源氏の君は、ひどく酔って気分が悪いふりをなさって、そっと席をお立ちになった。

寝殿に女一の宮、女三の宮がいらつしゃる、その東の戸口に源氏の君はいらして、寄り添ってお座りになる。

藤は寝殿のこちら側の端にあたる所にあるので、御格子どもを上げわたして、女房たちが出て座っている。

正月の踏歌の折が思い出されるほど、わざとらしく袖口などを御簾の下から出しているのを、源氏の君は今の折にふさわしくないと思われて、まっさきに藤壺のあたりの奥ゆかしさが思い出される。

(源氏)「気分が悪いのに、たいそうひどく酒をすすめられて、困ってしまいました。畏れ多いことですが、ここちらの御前で、私を物蔭にお隠しください」といって、妻戸のところ御簾に上半身をお入れになると、(女房たち)「ああうるさい。身分の低い人ほど、高貴な方の縁者であるとかたるといいますよ」という様子を御覧になるにつけ、この女房たちは重々しくはないが、並大抵の若女房たちではない、上品で情緒深いさまがはっきりわかる。

そらだきものが、ひどくけむたいほどたいてあり、衣ずれの音が、ことさら華やかにするようにふるまって、奥ゆかしく深みのある感じは引っ込んで、当世風のことを好んでいるあたりで、高貴な御方々が見物なさるということで、大臣の姫君たちが、この戸口を占めていらっしゃるようだ。

場所柄、色めいたふるまいなどは控えるべきなのだが、そうはいってもやはり源氏の君は興をおぼえられて、どの姫君だろう、と心が騒いで、(源氏)「扇を取られて、からきめを見る」と、わざとゆったりした声で言って、長押に身をよせて座っていらした。

(女房)「妙に様子の変わった高麗人ですこと」と答えるのは、この意味がわからない者であろう。答えはしないで、ただ時々ため息をつく気配がする方に源氏の君は寄りかかって、几帳ごしにその女の手をつかんで、

(源氏)「あづさ弓…

(私はいるさの山で迷い歩いています。あの時ほんの少し見た月の光(貴女)が、もう一度見えるのではないかと期待して)

なぜもう一度逢ってくれないのです」と源氏の君が当て推量におっしゃると、女はこらえきれないのだろう、

(女)心いる…

(もし貴方が私を気に入っておられるなら、月のない夜空でも、見当違いの所に行くことなく、まっすぐ私の部屋を訪ねてくることができるのではないですか)

という声は、まさにあの女のそれである。とてもうれしいことではあるが…

語句

■春宮には 朧月夜の君=右大臣の六の君は、春宮(後の朱雀帝)への入内が決まっている。清和天皇への入内が決まっていながら在原業平と通じた『伊勢物語』における藤原高子の姿が重なる(伊勢物語・四 西の対)。 ■かかづらはむ 「かかづらふ」は関わりを持つ。 ■弓の結 弓の競技。左方(さかた)、右方(うかた)に分かれて、一人ずつ弓を射て優劣を競う。「結」は番(つが)える。 ■やがて藤の宴しまたふ 弓の結が終わってすぐに藤の宴に入られた。 ■ほかの散りなむ 「見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし」(古今・春上 伊勢)。歌意は、見る人もない山里の桜花よ、ほかの花が散った後にこそ咲いてほしい。宮中で花の宴が終わった私邸で藤の宴を開く、右大臣の権勢意識。藤は藤原氏の象徴でもある。 ■宮たち 弘徽殿女房腹の内親王。「女御子たちニ所、この御腹におはしませど」(【桐壺 10】)。女一の宮、女三の宮のこと。 ■裳着 女子の成人式。十二~十四歳で行われ、はじめて裳(袴)を着る。 ■今めかしう 「今めかし」は当世風。今風。最新の流行の。右大臣家の基調となる言葉。 ■わが宿の… 右大臣のおのが権勢への自信があらわれた歌。万事控え目な左大臣とは対照的である。 ■上に奏したまふ 源氏は右大臣家が自分を嫌っていることを自覚している。だから右大臣家からのお誘いを受けたものかどうか、父帝に相談したのだろう。 ■女御子たち 右大臣の娘=弘徽殿女御の腹に生まれた皇女たちは、光源氏の腹違いの兄弟に当たる。だから、いくら右大臣家との関係が険悪であるといっても、やはり身内なのだから…の意をふくむ。 ■桜の唐の綺の御直衣 「桜」は桜襲。「桜の唐の綺」は表は白の唐織の綺、裏が蘇芳。綺は錦に似た薄物。 ■葡萄染の下襲 「葡萄染」は薄い赤紫色。「下襲」は正装の際の袴。裾(しり)を長く引く。 ■袍衣 正装たる束帯で上着にあたる。源氏以外は皆正装であるということ。 ■おほぎみ姿 源氏は下は下襲で正装だが、上は直衣を着ている。これは略装である。当時は身分が高いほど略装が許された。ご家来衆が皆正装であるのに源氏一人が略装をしていることで、源氏の特別さがいよいよきわだつ。 ■なまめきたる 「なまめく」は優雅である。 ■女一の宮、女三の宮 右大臣の孫娘。桐壺邸と弘徽殿女御の間に生まれた皇女ら。源氏にとっては腹違いの兄弟姉妹にあたる。 ■踏歌 宮中の正月行事。十四、十五日の男踏歌と、十六日の女踏歌がある(【末摘花 19】)。 ■まづ藤壺わたり思し出でらる 右大臣家の女房たちの今めかしさに対し、藤壺あたりは、建物のようすも、女房たちのふるまいも奥ゆかしかったと、比較されるのである。 ■蔭にも隠させたまはめ 藤原氏の権勢の蔭にこびへつらう人々を揶揄した『伊勢物語』の歌をふまえるか。「咲く花の下に隠るる人多みありしにまさる藤の蔭かも」(伊勢物語・百一段)。 ■妻戸の御簾を引き着たまへば 妻戸のところの御簾を衣を着るように引き上げて、上半身を御簾の中に入れる。 ■そらだきもの どこから漂ってくるかわからないように漂わせる香。「夜寒(よさむ)の風にさそはれくるそらだきものの匂ひも、身にしむ心地す」(徒然草・四十四段)。 ■扇を取られて 「石川の、高麗人に、帯をとられて、からき悔する、いかんなる、いかんなる帯ぞ、縹《はなだ》の帯の、中は絶えたるか、かやるか、あやるか、中は絶えたるか」(催馬楽「石川」)の「帯」を「扇」に置き換えたもの。(【紅葉賀 16】)。 ■おほどけたる 「おほどか」はゆったりしていること。 ■あづさ弓… 「あづさ弓」は「射る」の枕詞で「弓の結」の縁語。「あづさ弓いる」が「いるさの山」を導く序詞。「いるさの山」は但馬国(兵庫県)の地名。歌枕。「月」は女君のこと。 ■心いる… 「心いる」は気にいる。「射る」に掛けて「弓」の縁語。「ゆみはりの」は「月」の枕詞。またこの夜の月の姿。「つきなき」は「月無き」と「つきなき(不似合いだ)」を掛ける。もし本当に私のことが気になるなら、真っ暗な夜でも訪ねてこられるでしょう。訪ねてこられないなら、貴方のお気持ちはそれほどではないのですね、の意。 ■いとうれしきものから… たしかに源氏にとっては嬉しいことなのだが、これでまた物語がややこしい方向に流れていくといった作者のコメントか?つづきを期待させつつこの章段つについて「源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり」としるした。

朗読・解説:左大臣光永

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