【葵 06】人々、源氏のまばゆい姿に驚嘆する

ほどほどにつけて、装束《さうぞく》、人のありさまいみじくととのへたりと見ゆる中にも、上達部はいとことなるを、一所の御光にはおし消《け》たれためり。大将の御かりの随身《ずいじん》に殿上の将監《ぞう》などのすることは常のことにもあらず、めづらしき行幸《ぎやうがう》などのをりのわざなるを、今日は右近の蔵人《くらうど》の将監《ぞう》仕うまつれり。さらぬ御随身どもも、容貌《かたち》、姿まばゆくととのへて、世にもてかしづかれたまへるさま、木草もなびかぬはあるまじげなり。壺装束《つぼさうぞく》などいふ姿にて、女房のいやしからぬや、また尼などの世を背きけるなども、倒《たふ》れまろびつつ物見に出でたるも、例は、あながちなりや、あな憎《にく》、と見ゆるに、今日はことわりに、口うちすげみて、髪着こめたるあやしの者どもの、手をつくりて額《ひたひ》にあてつつ見たてまつり上げたるもをこがましげなる。賤《しづ》の男《を》まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑《ゑ》みさかえたり。何とも見入れたまふまじきえせ受領《ずりやう》のむすめなどさへ、心の限り尽くしたる車どもに乗り、さまことさらび、心化粧《こころげさう》したるなむ、をかしきやうやうの見物なりける。まして、ここかしこにうち忍びて通ひたまふ所どころは、人知れずのみ数ならぬ嘆きまさるも多かり。

式部卿宮《しきぶきやうのみや》、桟敷《さじき》にてぞ見たまひける。「いとまばゆきまでねびゆく人の容貌《かたち》かな。神などは目もこそとめたまへ」とゆゆしく思したり。姫君は、年ごろ聞こえわたりたまふ御心ばへの世の人に似ぬを、なのめならむにてだにあり、ましてかうしもいかで、と御心とまりけり。いとど近くて見えむまでは思し寄らず。若き人々は、聞きにくきまでめできこえあへり。

現代語訳

それぞれの身分に応じて、装束やお供の人のようすもたいそう整えていると見える中にも、上達部は格別であるが、源氏の君の輝くばかりの美しさにきみな圧倒されているようだ。

大将の仮の御随身として殿上人で近衛府の判官(三等官)などがあたることは常のことではない、特別な行幸などの折のことであるのに、今日は蔵人で右近衛府の判官(三等官)がおつとめしている。

そのほかの御随身たちも、容貌、姿をまばゆいまでに整えて、このように世から大切にかしづかれていらっしゃる源氏の大将のご様子は、木や草もなびかぬものはあるまいと思われるほどである。

壺装束などという姿で、身分の低くはない女房や、また尼などで出家した者なども、倒れ転がるようにして物見に出ているのも、いつもは、あんまりであるよ。なんと憎らたしいと見えるのに、今日はそのように皆が取り乱すのももっともなことで、歯が抜けて口がすぼんでいて、
髪の毛を上着の中にたくしこんでいる身分の低い女たちが、合掌して額に当てつつ源氏の君を拝見しているのもお笑い草である。

身分の低い男まで、自分の顔がどのようになっているか、そのさまを知らずに思いきり笑っている。

源氏の君が少しも目におとめになるはずのない、どうしようもない受領のむすめなどまでも、思いつく限りの趣向を尽くした数々の車に乗り、わざとらしい態度をして、胸おどらせているのが、それぞれの面白い見物であったのだ。

まして、源氏の君があちこちにお忍びでお通いになっている所々の女性たちは、ただ人知れず、物の数にも入らないわが身を嘆いてその思いがつのることも多いのである。

式部卿宮は、桟敷で御覧になった。「ひどくまばゆいまでに、見事に成長していく源氏の君のお姿よ。神などが目をお留めになるのではないか」と不吉に思われている。

朝顔の姫君は、源氏の君が長年にわたり御文をくださるお気持ちが世間の人とは違っているのを、平凡な男であったとしてもここまでされたら心も動くだろうに、ましてこのように、どうしてと、御心をひきつけられた。

しかし今まで以上に源氏の君を近く見ようとまでは思い寄られない。若い女房たちは、聞き苦しいまでに源氏の君をお褒め申し上げあっている。

語句

■一所 「一人」の敬称。源氏のこと。 ■御かりの随身 「仮の随身」は特別な場合の臨時の随身。 ■殿上の将監  殿上は殿上人。将監は近衛府の第三等官(判官)。 ■蔵人 蔵人所(くろうどどころ)の職員。令外の官。定員八名。 ■口うちすげみて 歯が抜けて口がすぼんでいる状態。 ■髪着こめたる 髪の毛を上着の中にたくしこんだ状態。 ■手をつくりて 合掌して。 ■えせ受領 「えせ」はニセの。転じて、つまらない、卑しい。 ■ことさらび 「ことさらぶ」はわざとらしい様子をする。 ■心化粧したる 期待に胸をおどらせる。 ■式部卿宮 桃園式部卿宮。朝顔の姫君の父宮。

朗読・解説:左大臣光永

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