【葵 14】源氏、物の怪の正体を見る
まださるべきほどにもあらず、と皆人もたゆみたまへるに、にはかに御気色《けしき》ありて悩みたまへば、いとどしき御祈禱《いのり》数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念《しふね》き御物の怪ひとつさらに動かず。やむごとなき験者《げんざ》ども、めづらかなりともてなやむ。さすがにいみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、「すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり」とのたまふ。「さればよ。あるやうあらん」とて、近き御几帳《きちやう》のもとに入れたてまつりたり。むげに限りのさまにものしたまふを、聞こえおかまほしきこともおはするにやとて、大臣《おとど》も宮もすこし退《しりぞ》きたまへり。加持の僧ども声静めて法華経《ほけきやう》を読みたる、いみじう尊し。御几帳の帷子《かたびら》ひき上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、よそ人だに見たてまつらむに心乱れぬべし。まして惜しう悲しう思す、ことわりなり。白き御衣《ぞ》に、色あひいと華やかにて、御髪《みぐし》のいと長うこちたきをひき結ひてうち添へたるも、かうてこそらうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれと見ゆ。御手をとらへて、「あないみじ。心うきめを見せたまふかな」とて、ものも聞こえたまはず泣きたまへば、例はいとわづらはしう恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げてうちまもりきこえたまふに、涙のこぼるるさまを見たまふは、いかがあはれの浅からむ。
あまりいたう泣きたまへば、心苦しき親たちの御ことを思し、またかく見たまふにつけて口惜しうおぼえたまふにやと思して、「何ごともいとかうな思し入れそ。さりともけしうはおはせじ。いかなりとも必ず逢ふ瀬あなれば、対面《たいめん》はありなむ。大臣《おとど》、宮なども、深き契りある仲は、めぐりても絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」と慰めたまふに、「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂《たましひ》はげにあくがるるものになむありける」となつかしげに言ひて、
なげきわび空に乱るるわが魂《たま》を結びとどめよしたがひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変りたまへり。いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと聞きにくく思してのたまひ消つを、目に見す見す、世にはかかることこそはありけれと、うとましうなりぬ。「あな心憂《う》」と思されて、「かくのたまへど誰《たれ》とこそ知らね。たしかにのたまへ」とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。人々近う参るもかたはらいたう思さる。
現代語訳
まだご出産の時期ではないだろうと、皆人も油断なさっていた時に、急に産気づいた兆候が見えて、姫君(葵の上)がお苦しみになるので、より強力なご祈祷を数を尽くして行わせなさるが、例の執念深い御物の怪ひとつがまったく動かない。
霊験あらたかな験者たちも、普通のことではないと、持て余す。そうはいってもさすがに祈り調ぜられて、心苦しそうに泣き悲しんで、(葵の上)「少し加持祈祷をゆるめてください。大将(源氏の君)に申し上げねばならないことがあります」とおっしゃる。
「やはりな。何かわけがあるのだろう」といって、姫君が寝ている近くの御几帳のところに、源氏の君を、お入れ申し上げる。
まるで今を限りといった様子でおっしゃるので、遺言することもおありなのかと思って、左大臣も宮もすこし後ろにおさがりになる。
加持祈祷にあたる僧たちが声をひそめて法華経を読んでいるのが、たいそう尊く思える。
御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、姫君は、たいそう美しげで、御腹はたいそう高くなって横になられているさまは、他人ですら、拝見するにつけて心乱れるに違いない。
まして姫君のことを惜しい、愛しいと思われる源氏の君が心乱されるのは、もっともな道理である。
白い御衣に、色の取り合わせもたいそう華やかに、御髪のたいそう長くふさふさしているのをひき結んで添えているのも、「こういう姿だからこそ可愛らしく、あでやかな所が加わって、美しい人だったのだ」と御覧になる。
源氏の君は姫君の御手をお取りになって、(源氏)「ああひどい。私に辛い目をお見せになられるものですよ」といって、ものも申し上げなさらずお泣きになると、いつもはひどく気詰まりにも、恥ずかしくも思える姫君の御まなざしだが、今日はたいそう物憂げに見上げて源氏の君をじっと見ていらして、涙が自然にこぼれるようすを御覧になれば、どうして深く哀れに思はずにおれようか。
姫君があまりひどくお泣きになるので、源氏の君は、きっと気の毒なご両親のことを思われて、またこうして自分と顔をあわせてなさるのにつけて、名残惜しいとお思いになるのだろうとお思いになって、(源氏)「何ごともそう深く思いつめなさるな。たしかに症状は軽くはございませんが、最悪とまでは行きますまい。万一のことになったとしても必ず逢う瀬はありますから、また逢えるでしょう。大臣、大宮なども、前世からの深い契りのある仲は、生まれ変わっても絶えないものですから、ふたたび逢う時はあると思われよ」とお慰めになると、「さあ、そうではないのですよ。わが身の上がひどく苦しいので、しばらく加持調伏を休めてくださいと申し上げようとして言うのです。このように参り来るともまったく思わなかったのに、物思いに沈む人の魂は、ほんとうに、体からさまよい出すものでありますこと」となつかしそうに言って、
(物の怪)なげきわび…
(嘆き悲しんで空に乱れ飛んでいる私の魂を、下前の褄を結んでつなぎとめてください)
とおっしゃる声、気配は、葵の上とは思えないほど変わってしまわれた。
源氏の君はひどく不思議に思い、あれこれ思い巡らすと、まさにあの御息所であったのだ。
あきれたことに、世間の人があれこれ言うのを、源氏の君は、ろくでもない連中が言い出したことと聞き苦しくお思いになって否定していらしたが、目の前に見ているうちに、この世にはこんなこともあるのだと、嫌なお気持ちになった。(源氏)「ああ嫌なこと」とお思いになって、(源氏)「そのようにおっしゃるが、誰ともわからない。はっきりおっしゃられよ」とおっしゃると、まさに御息所その人であるお姿に、呆れ果てるどころの話ではない。
女房たちが近く参るにつけても、源氏の君はいたたまれないお気持ちになる。
語句
■いとどしき さらに強力な。出産が近づくにつれてそれを邪魔する物の怪の働きも強くなるので、より強力な加持祈祷が必要となる。 ■大臣も宮も 葵の上の父である左大臣と、母である大宮。大宮は桐壺院の妹。 ■声静めて法華経を読みたる 「すこしゆるべたまへや」と言われたのを受けて、陀羅尼をやめて法華経を低く読誦している。 ■帷子 几帳の横木に垂らしてある布。 ■白き御衣に… お産が近づくと本人も周りの女房たちも白い衣を着て、産室の調度も白くする。 ■色あひいと華やか 白い衣の上に黒髪が垂れて、その色彩の対照が映えるのである。 ■かうてこそらうたげに… これまで葵の上は冷淡でとりすました感じだったが、今御産の苦しみにやつれていることで、かえって美しく艶やかなかんじが出ていると源氏は見た。 ■いとたゆげに… 以下、源氏は葵の上のまなざしと思っているが、実は葵の上に取り憑いた六条御息所のまなざしである。 ■さりとも 症状は悪いといっても。 ■けしうはおはせじ 死ぬまでは至らないだろう、きっと回復するだろうの意。 ■いかなりとも どうなろうとも。万一死んでも。 ■逢ふ瀬 「瀬」は「場所」の意に「三つ瀬川(三途の川)」を掛ける。 ■いで、あらずや… 源氏は葵の上と思って話しかけているが、ここから六条御息所の生霊がいよいよその正体をあらわし自分の言葉で話しはじめる。 ■もの思ふ人の魂は… 物思いをするとその魂が肉体を離れてさまよい出るという。「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(後拾遺六 和泉式部)。 ■したがひのつま 「したがひ」は着物の前をあわせた内側のほう。「褄」は下の角。「したがひの褄」を結ぶとさまよい出た魂をよびもどすという信仰があったらしい。夫(つま)を掛けるか。「思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ」(伊勢物語百十段)。 ■人のとかく言ふを 世間の人が「六条御息所の生霊が葵の上に祟っているらしい」と噂していること。 ■あさましとは世の常なり 「世の常なり」は「世間では一般にそのように表現するが、そんな軽い言葉でとても言い尽くせるものではない」の意。ここではつまり「あさまし」の度合いが非常に大きいことを言っている。 ■かたはらいたう思さる 物の怪の正体が六条御息所だとばれると、源氏にとっても御息所にとってもまずいことになるから。