【葵 17】葵の上の急逝

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原文

殿の内人少なにしめやかなるほどに、にはかに、例の御胸をせき上げていといたうまどひたまふ。内裏《うち》に御消息《せうそこ》聞こえたまふほどもなく絶え入りたまひぬ。足を空にて誰《たれ》も誰もまかでたまひぬれば、除目《ぢもく》の夜なりけれど、かくわりなき御さはりなれば、みな事破れたるやうなり。ののしり騒ぐほど、夜半《よなか》ばかりなれば、山の座主《ざす》、何くれの僧都《そうず》たちもえ請《さう》じあへたまはず。今はさりともと思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、物にぞ当る。所どころの御とぶらひの使など立ちこみたれどえ聞こえつがず、揺《ゆす》りみちて、いみじき御心まどひどもいと恐ろしきまで見えたまふ。御物の怪《け》のたびたび取り入れたてまつりしを思して、御枕などもさながら二三日《ふつかみか》見たてまつりたまへど、やうやう変りたまふことどものあれば、限りと思しはつるほど、誰《たれ》も誰もいといみじ。

大将殿は、悲しきことに事を添へて、世の中をいとうきものに思ししみぬれば、ただならぬ御あたりのとぶらひどもも心うしとのみぞなべて思さるる。院に思し嘆きとぶらひきこえさせたまふさま、かへりて面《おも》だたしげなるを、うれしき瀬《せ》もまじりて、大臣《おとど》は御涙のいとまなし。人の申すに従ひて、厳《いかめ》しきことどもを、生きや返りたまふと、さまざまに残ることなく、かつ損はれたまふことどものあるを見る見るも尽きせず思しまどへど、かひなくて日ごろになれば、いかがはせむとて鳥辺野《とりべの》に率《ゐ》てたてまつるほど、いみじげなること多かり。こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらにも申さず、后《きさい》の宮春宮《とうぐう》などの御使、さらぬ所どころのも参りちがひて、飽かずいみじき御とぶらひを聞こえたまふ。大臣《おとど》はえ立ち上りたまはず。「かかる齢《よはひ》の末に、若く盛りの子に後れたてまつりてもこよふこと」と恥ぢ泣きたまふを、ここらの人悲しう見たてまつる。夜もすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いともはかなき御骨《かばね》ばかりを御なごりにて、晩深く帰りたまふ。常のことなれど、人ひとりか、あまたしも見たまはぬことなればにや、たぐひなく思し焦がれたり。八月廿余日《にじふよにち》の有明なれば、空のけしきもあはれ少なからぬに、大臣《おとど》の闇にくれまどひたまへるさまを見たまふもことわりにいみじければ、空のみながめられたまひて、

のぼりぬる煙《けぶり》はそれと分かねどもなべて雲ゐのあはれなるかな

現代語訳

左大臣家の内には人が少なくひっそりしていた時、急に、姫君(葵の上)は、いつものように御胸をつまらせて、ひどくお苦しみになる。

宮中にいる方々ご連絡申し上げなさる暇もなくお亡くなりになった。足が地につかないように慌てふためいて、誰も彼も宮中を退出なさったので、除目の夜ではあったが、こういうやむをえない差し障りが起こったので、行事は皆、中止になったようである。

この大騒ぎが起こったのは夜半ごろなので、叡山の座主、何くれという僧都たちもお招きすることができない。

症状はたしかによくないが、今はそこまで心配しなくてもいいだろうと、油断していらしたところに、この事態である。

左大臣家の人たちは驚き慌てて、手足が物に当たるほどだ。あちらこちらの方々からの御弔いの使いなどが集まってくるが、お取次もかなわず、邸全体が揺れているような騒ぎで、人々のひどい御心惑いもひどく恐ろしいまでのご様子である。

御物の怪がたびたび姫君に取り入り申し上げたことを思われて、御枕などもそのままの状態でニ三日様子を御覧になられるが、しだいにご遺体のさまが変わってきたりなどしたので、もはやこれまでと断念なさるときは、誰も彼もひどくいたたまれないお気持ちである。

大将殿は悲しいこと(葵の上の死)の上にさらに事(六条御息所の生霊との対面)を加えて、世の中をたいそう悲しいものとしみじみ実感されたので、並々ならぬお方々からの弔問もただひたすら嫌なことに思われる。

院(桐壺院)におかれても、思い嘆きあそばして弔問を賜ることが、かえってこちらの面目が立つことであるから、悲しみに加えて嬉しい気持ちもまじって、左大臣は涙がかわくひまもない。

人の申すのに従って、大掛かりな多くの秘法を、もしや生き返りなさるかと、さまざまに残ることなく、一方ではご遺体が腐敗していかれることどものあるのを眼前に御覧になりながらも、尽きることなく取り乱しておられたが、どうしようもないまま何日もすぎると、もうどうにもならないと、鳥辺野にお送り申し上げる時、ひどく悲しみに満ちた、さまざまなことがあったのである。

あちこちからいらした御送りの人々、寺々の念仏僧などが、たいそう広い野に所もないほどひしめいている。桐壺院は申しあげるまでもなく、后の宮(藤壺宮)、東宮などの御使、しかるべき方々からの御使も入れ替わり立ち替わり参って、言っても言い尽くせない深い哀悼の御言葉を申し上げなさる。左大臣は立ち上がることがおできにならない。

(左大臣)「こんな年の末になって、若く健康の盛りにある子に先立たれて、這い回ることよ」と恥じてお泣きになるのを、多くの人々が悲しく拝見する。

一晩中たいそう大騒ぎした儀式であったが、とてもはかない御骨のほかは何も残らず、夜明けより早くにお帰りになる。

人の死は世の常のことではあるが、源氏の君は、人ひとりか、多くはまだご経験のないことだからだろうか、ひどく思い焦がれていらっしゃった。

八月二十日すぎの有明の月が出るころなので、空のけしきもしみじみとした情緒が深いところに、左大臣が、子を思う親の心の闇に取り乱しておられるさまを御覧になるにつけても、無理もないとしみじみ心に響くので、源氏の君は、空ばかりをおながめになって、

(源氏)のぼりぬる…

(のぼっていく煙が雲と溶け合って、もはやどれが貴女を焼いた煙か見分けがつきませんが、雲のある空全体が悲しく見えることですよ)

語句

■内裏に 出仕している源氏や左大臣や、その子ら。 ■足を空にて あわてふためいて足が宙に浮いているような状態。 ■かくわりなき御さはり 葵の上の急逝をさす。 ■事破れたる 葵の上の急逝という緊急事態のため、左大臣家の人々があわてて宮中を退出したので、予定されていた司召の行事が、完全に中止になってしまったのである。 ■物に当たる 慌てるあまりに建具や物に足などをぶつけること。 ■御枕なども 枕返し。仮死状態の人を北枕西向きに寝かせなおすともう蘇生できないとされていた(『大鏡』伊尹伝)。■変りたまふ 死体が腐っていくこと。 ■悲しきことに事を添へて 葵の上の死という悲しみに、六条御息所の生霊との対面というもうひとつの悲しみを加えて。 ■ただならぬ御あたり 並々ならぬ関係の人々。源氏が夜な夜な忍び通いしている女性たちのこと。 ■いかがはせむ どうしたらいいのだろう。もうどうしようもないの意。 ■いみじげなること 悲しみのあまり左大臣はじめ左大臣家の人々が取り乱して、ふだん絶対にやらないような取り乱した行いをしたのだろう。 ■御送り 遺体を埋葬地または火葬場まで運び送ること。 ■そこら 非常に。 ■飽かず どんなに言葉で言っても言い尽くせないほどの深い悲しみ。 ■もこよふ 「もこよふ」「もごよふ」は地面を這うこと。 ■暁深く 「暁」は夜明け前。 ■八月廿余日 夕顔、葵の上、紫の上はいずれも八月に死んでいる。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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