【葵 21】源氏と朝顔の姫君、歌の贈答

なほいみじうつれづれなれば朝顔の宮に、今日のあはれはさりとも見知りたまふらむと推《お》しはからるる御心ばへなれば、暗きほどなれど聞こえたまふ。絶え間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば咎なくて御覧ぜさす。空の色したる唐《から》の紙に、

「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまたへぬれど

いつも時雨は」とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「過ぐしがたきほどなり」と人々も聞こえ、みづからも思されければ、「大内山《おほうちやま》を思ひやりきこえながら、えやは」とて、

秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ

とのみ、ほのかなる墨つきにて思ひなし心にくし。何ごとにつけても、見まさりは難《かた》き世なめるを、つらき人しもこそと、あはれにおぼえたまふ人の御心ざまなる。つれなながら、さるべきをりをりのあはれを過ぐしたまはぬ、これこそかたみに情も見はつべきわざなれ、なほゆゑづきよし過ぎて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難《なん》も出で来けり。対の姫君をさは生《お》ほしたてじ、と思す。つれづれにて恋しと思ふらむかし、と忘るるをりなけれど、ただ女親《めおや》なき子を置きたらむ心地して、見ぬほど、うしろめたく、いかが思ふらむとおぼえぬぞ心やすきわざなりける。

現代語訳

源氏の君は、やはりたいそう所在ないので、朝顔の姫宮に、今日のしみじみした風情は、いくら平素は私に対して冷淡なだといっても、おわかりいただけるだろうと推し量られる。それほどの姫宮の御気立てであるから、源氏の君はもう暗い時間であるが姫宮にお御文を差し上げる。

源氏の君からの御文は長く途絶えがちであるが、そういうものとして定着しているので、朝顔の姫君はなにも気になさらず御覧になる。

空の色をした唐の紙に、

(源氏)「わきてこそ…

物思いにふける秋はこれまで多くありましたが、今日の夕暮れは格別です。袖が露にぬれたことですよ。

いつも時雨はふるものですが…」とある。御手跡などにも心くばりをしてお書きになっている、そのようすはいつもよりも見どころがあって、「無視はできかねる折でございます」と女房たちも姫君に申し上げ、姫君ご本人もそう思われたので、(朝顔)「お籠りでいらっしゃるおすまいを思いやり申し上げながらも、どうしてこちらからお尋ねすることができましょうか」といって、

(朝顔)秋霧に…

(秋霧が立つころ、貴方は奥方様に先立たれられました。それをお聞きしてからというもの、貴方がこの時雨ふりしきる空をどれほど悲しく御覧になっているかと思います)

とだけ、ほんのり淡い墨の色で書いたのは思いなしか奥ゆかしい。

何事につけても、実際に逢ったとき噂以上という人は世の中に滅多にいないようだが、ご自分に対して冷淡な女性にこそ心惹かれなさる源氏の君のご気性である。

つれないとはいっても、しかるべき折々の情緒をお見過ごしにならない、こういう人こそ互いに最後まで情を交わすことのできるものだろう、そうはいってもやはり気が利きすぎ風流が過ぎて、人目に見えるほどであるのは、余計な欠点も出てくるのだ。対の姫君(紫の上)をそのようには育て上げまいと源氏の君は思われる。

姫君(紫の上)は所在なく、人恋しいと思っているだろうなと、忘れる時はないけれど、ただ母のいないわが子を邸に残しているような気分で、逢っていない間も、心配に、どう思っているだろうとは思わないのが気楽なことであった。

語句

■さりとも 普段は自分に対して冷淡だといっても。 ■唐の紙 大陸渡来の高価な紙。 ■いつも時雨は 「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき」(源氏釈)。 ■過ぐしがたきほどなり 「ほど」は時とする説と程度とする説。時とすると、源氏の君が奥方を亡くして悲しみにくれている、今のような時期はとても文を無視できませんよの意。程度とすると、こんなすばらしい御文を無視できませんよの意になる。 ■大内山 「大内山」は一般には宮中、内裏のことだが、ここでは源氏が引きこもっている邸のことをいうか。 ■えやは 直後に「聞こゆべき」「問ふべき」などを補う。妻を失った源氏の立場に遠慮している。 ■秋霧に… 「秋霧」は葵の上。「立ち」は霧の縁語。 ■ほのかなる墨つき ほんのり薄い墨の色。朝顔の姫君の人との距離を近づけすぎない、かといって不人情ではない人柄が出ている。 ■思ひなし 「思ひなす」は思い込む。 思い決める。 ■見まさり 実際に見た時、それまで噂できいていた以上であるということ。

朗読・解説:左大臣光永

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