【葵 23】源氏、久しぶりの参院 源氏と左大臣、悲しみ合う

原文

君は、かくてのみもいかでかはつくづくと過ぐしたまはむとて、院へ参りたまふ。御車さし出でて、御前《ごぜん》など参り集まるほど、をり知り顔なる時雨うちそそきて、木の葉さそふ風あわたたしう吹きはらひたるに、御前にさぶらふ人々、ものいと心細くて、すこし隙《そま》ありつる袖ども湿ひわたりぬ。夜さりは、やがて二条院に止まりたまふべしとて、侍《さびら》ひの人々も、かしこにて待ちきこえんとなるべし、おのおの立ち出づるに、今日にしも閉ぢむまじきことなれど、またなくもの悲し。大臣《おとど》も宮も、今日のけしきにまた悲しさあらためて思さる。宮の御前に御消息《せうそこ》聞こえたまへり。

院におぼつかながりのたまはするにより、今日なむ参りはべる。あからさまに立ち出ではべるにつけても、今日までながらへはべりにけるよ、と乱り心地のみ動きてなむ、聞こえさせむもなかなかにはべるべければ、そなたにも参りはべらぬ。

とあれば、いとどしく宮は目も見えたまはず沈み入りて、御返りも聞こえたまはず。大臣《おとど》ぞやがて渡りたまへる。いとたへがたげに思して、御袖もひき放ちたまはず。見たてまつる人々もいと悲し。

大将の君は、世を思しつづくることいとさまざまにて、泣きたまふさまあはれに心深きものから、いとさまよくなまめきたまへり。大臣久しうためらひたまひて、「齢《よはひ》のつもりには、さしもあるまじきことにつけてだに涙もろなるわざにはべるを、まして干《ひ》る世なう思ひたまへまどはれはべる心をえのどめはべらねば、人目もいと乱りがはしう心弱きさまにはべるベければ、院などにもえ参りはべらぬなり。事のついでには、さやうにおもむけ奏せさせたまへ。いくばくもはべるまじき老の末にうち棄てられたるがつらうもはべるかな」と、せめて思ひしづめてのたまふ気色《けしき》いとわりなし。君も、たびたび鼻うちかみて、「後れ先立つほどの定めなさは世の性《さが》と見たまへ知りながら、さし当りておぼえはべる心まどひはたぐひあるまじきわざになむ。院にも、ありさま奏しはべらむに、推しはからせたまひてむ」と聞こえたまふ。「さらば、時雨も隙《ひま》なくはべるめるを、暮れぬほどに」とそそのかしきこえたまふ。

現代語訳

源氏の君は、どうしてこのようにじっと過ごしてばかりいられようかと、院へ参られる。

御車を引き出して、源氏の御前などに供人たちが参り集まった頃、今の悲しい状況を知ってでもいるふうな時雨が降って、木の葉を散らす風があわただしく吹き払うので、御前にお仕えしている女房たちは、ひどく心細くて、ここしばらくは濡らすこともなかった袖を、皆で濡らした。

夜になると、院御所からもどってそのまま二条院にお泊りなさるということで、お付きすの人々も、あちら(二条院)でお待ち申し上げようというのであろう、それぞれご出発されるにつけ、今日が最後というわけではないが、格別にもの悲しい。

大臣も宮も、今日のようすを御覧になり、あらためて悲しく思われる。源氏の君は宮の御前に挨拶の御文を差し上げなさる。

(源氏)院(桐壺院)がご心配されていると仰せになりますので、今日は参院します。かりそめに外出しますにつけても、今日までよくも長らえてきたものよと、気持ちが乱れて動揺ばかりしますので、直接お目にかかって申し上げるのもかえってつろうございましょうから、左大臣邸へも参りません。

とあるので、たいそう宮は御覧になることもできず沈み入って、御返事も申し上げなさらない。

左大臣がすぐさま二条院にいらした。たいそう耐えられないというふうな面持ちで、御袖を御目からお離しにもなられない。それを拝見する人々もたいそう悲しい。

大将の君(源氏の君)は、それはさまざまに世の中を思いつづけなさって、お泣きになるさまはしみじみと心深いものであるが、たいそう取り乱しもせず、実に優美でいらっしゃる。

左大臣は長い間かかって気をお静めになって、「年を取ると、それほどでもないことにつけてさえも涙もろくなるものですが、まして涙が乾く時もないほど思い惑っております心を落ち着かせることもできませんので、人目にもひどく取り乱して、心の弱いようすでありましょうから、院などにも参ることができないのでございます。だから貴方から事のついでに、そのようにお取りなし奏上なさってください。残りの寿命もどれほどもございませんでしょう老いの末に、子に先立たれましたことが辛くもございますよ」と、無理に心をおし静めておっしゃる様子は、ひどく切なく思われる。

源氏の君も、たびたび鼻をかんで、「いつ残されるか、先立つかという決まりがないのが世の常とは存じながら、実際に直面して感じます心惑いは類のないことでございますな。院にも、このようすを奏上しましたなら、ご推察あそばされるでしょう」と申し上げなさる。

(左大臣)「では、時雨もやみそうにございませんので、日が暮れる前に」と左大臣は源氏の君を促し申し上げなさる。

語句

■かくのみて 喪に服して左大臣家に引きこもっている状態。 ■つくづくと じっと同じ状態を続けていること。 ■御車さし出でて 牛車を車宿から引き出して。 ■御前にさぶらふ人々 源氏の君にお仕えしている女房たち。 ■すこし隙ありつる袖ども 葵の上が亡くなってから女房たちは涙がたえなかった。しかし日数もたち、ややその涙も途絶えてきた頃に、今日のこの別離である。 ■やがて二条院に 桐壺院の御所からそのまま二条院にもどって。 ■侍ひの人々 源氏の君にお付きの人々。葵の上の喪にともない、源氏について左大臣邸に移っていた。それが今夜は二条院にとどまるため、源氏とともにぞろぞろと出かけていくのである。 ■かしこにて 左大臣邸から見た「あちら」。二条院のこと。 ■おのおの立ち出づるに… 源氏にお付きの人々がぞろぞろと出かけていくのを見るにつけ、左大臣家の人々はいよいよ源氏が遠い存在となっていくことを実感するのである。 ■老の末 晩年。 ■せめて 狭めて。無理を押し切って。

朗読・解説:左大臣光永