【葵 24】源氏去って左大臣家、寂しさまさる

うち見まはしたまふに、御几帳《きちやう》の背後《うしろ》、障子《さうじ》のあなたなどの開《あ》き通りたるなどに、女房三十人ばかりしこりて、濃き薄き鈍色《にびいろ》どもを着つつ、みないみじう心細げにてうちしほたれつつゐ集まりたるを、いとあはれと見たまふ。「思し棄つまじき人もとまりたまへれば、さりとももののついでには立ち寄らせたまはじやなど慰めはべるを、ひとへに思ひやりなき女房などは、今日を限りに思し棄てつる古里《ふるさと》と思ひ屈《くむ》じて、永く別れぬる悲しびよりも、ただ時々馴れ仕うまつる年月のなごりなかるべきを嘆きはべるめるなむことわりなる。うちとけおはしますことははべらざりつれど、さりともつひにはと、あいな頼めしはべりつるを。げにこそ心細き夕《ゆふべ》にはベれ」とても、泣きたまひぬ。「いと浅はかなる人々の嘆きにもはべるなるかな。まことに、いかなりとも、とのどかに思ひたまへつるほどは、おのづから御目離《か》るるをりもはべりつらむを、なかなか今は何を頼みにてかは怠りはべらん。いま御覧じてむ」とて出でたまふを、大臣《おとど》見送りきこえたまひて、入りたまへるに、御しつらひよりはじめ、ありしに変ることもなけれど、空蝉のむなしき心地ぞしたまふ。

御帳の前に御硯《すずり》などうら散らして手習ひ棄てたまへるを取りて、目をおししぼりつつ見たまふを、若き人々は、悲しき中にもほほ笑むあるべし。あはれなる古言《ふるごと》ども、唐《から》のも倭《やまと》のも書きけがしつつ、草《さう》にも真字《まな》にも、さまざまめづらしきさまに書きまぜたまへり。「かしこの御手や」と、空を仰ぎてながめたまふ。他人《よそびと》に見たてまつりなさむが惜しきなるべし。「旧《ふる》き枕故《ふる》き衾《ふすま》、誰《たれ》と共にか」とある所に、

亡き魂《たま》ぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたき心ならひに

また、「霜華《しものはな》白し」とある所に、

君なくて塵積りぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ

一日《ひとひ》の花なるべし、枯れてまじれり。

宮の御覧ぜさせたまひて、「言ふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しきたぐひ世になくやは、と思ひなしつつ、契り長からでかく心をまどはすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく前《さき》の世を思ひやりつつなむ覚ましはベるを、ただ日ごろに添へて恋しさのたへがたきと、この大将の君の、今はと他人《よそ》になりたまはむなん、飽かずいみじく思ひたまへらるる。一日二日《ひとひふつか》も見えたまはず、離《か》れ離《が》れにおはせしをだに飽かず胸いたく思ひはべりしを、朝夕の光失ひては、いかでか永らふべからん」と、御声もえ忍びあへたまはず泣いたまふに、御前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、そぞろ寒き夕《ゆふべ》のけしきなり。

若き人々は、所どころに群れゐつつ、おのがどちあはれなることどもうち語らひて、「殿の思しのたまはするやうに、若君を見たてまつりてこそは慰むべかめれ、と思ふも、いとはかなきほどの御形見にこそ」とて、おのおの、「あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむほど、おのがじしあはれなることども多かり。

現代語訳

源氏の君は周囲を見渡されるにつけ、御几帳の後ろ、襖のむこうなどが開いけて見通しになっている通っているところに、女房が三十人ほど集まって、濃い鈍色の衣や薄いそれを着つつ、みなたいそう心細そうに涙にくれて集まっているのを、たいそう不憫に御覧になる。

(左大臣)「お見捨てになれぬはずの人(源氏の子=夕霧)もこの邸(左大臣邸)にお留まりになりますので、貴方さまも、いくらなんでも何かのついでには立ち寄りなさるだろうなど自ら慰めてございますが、ひどく思慮の足りない女房などは、今日を最後に源氏の君がお捨てになる古里と思い沈んで、娘(葵の上)との永遠の死別による悲しみよりも、ただ貴方さまに時々親しくお仕え申し上げた年月がまったくなくなってしまうだろうことを嘆いておりますようです。それは無理もないと存じます。貴方が娘(葵の上)に打ち解けてくださることはございませんでしたが、そうはいっても、最後にはと、頼みにならないことを頼みにしておりましたのに。なるほど心細い夕べでございますよ」といって、お泣きになる。

(源氏)「ひどく浅はかな人々の嘆きでございますよ。ほんとうに、たとえ今はどうあろうと、いつかはとのんびりと思っておりました頃は、自然とご無沙汰になる時もございましたが、かえって今は何を頼みにして左大臣邸への訪れを怠りましょう。いまにおわかりいただけましょう」といって源氏の君がご退出なさるのを、左大臣は見送り申し上げなさってから、源氏の君のお部屋にお入りになると、調度品や設備からはじめて、以前と変わることもなかったが、空蝉のようなむなしいお気持ちになられる。

御帳の前に御硯などを散らかして手習いを書き捨てていらっしゃるのを取って、左大臣が涙をしぼりつつ御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい中にもほほ笑む者もあるようだ。

しみじみした古い言葉の数々を、唐のも、日本のも、好きに書きちらしては、草書にも楷書にも、さまざまに珍しいようすに書きまぜていらっしゃる。

(左大臣)「すばらしいご手跡だなあ」と、空を仰いでお眺めになる。今後は源氏の君をよその人と拝見しなくてはならないことが惜しいのにちがいない。

「旧き枕故き襖、誰と共にか」と書いてある所に、

(源氏)亡き魂ぞ…

(故人の魂がどうなったか考えるとひどく悲しい。二人で寝たこの床を、故人はいつも離れがたいと思っていたのに)

また「霜華《しものはな》白し」と書いてある所に、

(源氏)君なくて…

(貴女がいなくなって塵が積もった床に、常夏の花の露をはらうように涙をはらって、私は幾夜寝たことでしょうか)

先日の花にちがいない、枯れてまじっている。左大臣は大宮にこのご筆跡をお見せになって、(左大臣)「言ってもかいのないこと(葵の上が死んだこと)はさておき、このような悲しい例が世にないわけではない、と無理にそう思うようにして、もともと親子の縁が薄く、このように心を悲しませるべく定められていたのだろうかと、かえって恨めしいものに前世を思いやりつつ諦めておりましたが、ただ日がたつにつれて恋しさがつのって耐え難いのと、この大将の君(源氏の君)が、これきりよその人になってしまわれるだろうことが、どこまでも、ひどくたまらなく思われます。これまでも一日二日お見えにならず、足が遠のいていらしたのさえ、どこまでも胸がいたく思いましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生きながらえることができましょう」と御声も抑えることがおできにならずお泣きになるにつけ、御前にいる年長の女房など、ひどく悲しくて、皆いっせいに泣いている、なんとなく寒々した夕べの風情である。

若い女房たちは、所どころに集まっていて、めいめいにしみじみしたことなどを語らって、「殿のおぼしめしおっしゃるように、若君(夕霧)を拝見すれば慰められるだろうと思いますが、ひどく張り合いがないというほどの御形見ですから」といって、おのおの、「ちょっと里に下がって、また参りましょう」と言う者もあるので、互いに別れを惜しむ時は、それぞれあはれ深いことがいろいろと多かった。

語句

■女房三十人ばかり 当時、高貴な女性にはニ・三十人の女房が仕えた。 ■おしこりて 「おしこる」は身を寄せ合って集まる。 ■濃き薄き鈍色 鈍色は喪服の色。葵の上との関係によって色が濃かったり薄かったりするのである。 ■しほたれつつ 「しほたれる」は海水に濡れたように涙にくれていること。 ■思し棄つまじき人 源氏の若君=夕霧。 ■さりとももののついでには いくら葵の上が亡くなって左大臣家との縁が切れてしまったとしても、若君の夕霧が左大臣邸にいるので、これからも左大臣邸に訪ねてきてくださるだろうという期待。 ■永く別れぬる悲しび 永遠の別れによる悲しみ。葵の上との死別をいう。 ■うちとけおはしますこと 源氏が、葵の上に打ち解けて心からの夫婦となって、左大臣邸をわが家のような気持ちで通ってくること。それはついに実現しなかった。 ■あいな頼め 頼みにならないことを頼ませること。 ■げにこそ心細き夕にはべれ なるほど、女房たちが「心細げにてうつしほれつつ」いるのはもっともだと思えるほど、心細い夕べだというのである。 ■いかなりとも… 葵の上が今は打ち解けてくれなくとも、夫婦を続けていればいつか打ち解けてくれるだろうと源氏は期待していた。 ■御目離るるをり お目にかからない時期。左大臣邸から足が遠のいていたことをいう。「目」は葵の上や左大臣個人の目ともとれるし、左大臣家全体の目ともとれる。 ■今は何を頼みにてかは怠りはべらん 葵の上という左大臣家とのつながりが切れてしまった今こそ、いっそう熱心に左大臣家に顔を出す必要があるのだと。 ■手習い ここではいたずら書き。自由に書き散らしたもの。 ■草 草書体。 ■真字 漢字。ここでは楷書体。 ■かしこの 「かしこし」の語幹に「の」を付した形。 ■他人に見たてまつりなさむ 今後は源氏の君が娘婿という関係ではなくなり、縁が切れてしまう。そのことを左大臣は嘆くのである。 ■旧き枕故き襖、誰と共にか 「鴛鴦ノ瓦ハ冷タクシテ霜華重シ旧《ふる》キ枕故《ふる》キ衾誰ト共ニセン」(長恨歌 白楽天)。ただし『白氏文集』流布本における『長恨歌』は詩句がちがう。「鴛鴦ノ瓦ハ冷タクシテ霜華重シ翡翠ノ衾ハ寒クシテ誰ト共ニセン」。玄宗皇帝が楊貴妃を失って嘆いている場面。 ■霜花白し 『長恨歌』の「霜華重シ」の文句を一部変えて用いたもの。 ■君なくて… 「床」と「常夏」の「とこ」を掛ける。常夏は撫子。「塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこなつの花」をふまえる。 ■一日の花 先日、源氏が大宮に贈った撫子(常夏)の花。 ■契り長からで 親子となるべく前世から定められていたのだが、その定めが浅いものであり、子が先立つよう定められていということ。 ■かへりてはつらく 親子となるべく前世から定められていたことは本来喜びであるのだが、こうして子に先立たれてはかえってその前世からの定めが恨めしく思えるということ。 ■いとはかまきほどの御形見にこそ 前述の「おとなおとなしき人(年配の女房)」の情の深さと、年若い女房たちの軽薄さを対照的に描く。

朗読・解説:左大臣光永

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