【葵 25】源氏、桐壷院および藤壺宮に参る

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原文

院へ参りたまへれば、「いといたう面痩《おもや》せにけり。精進《さうじ》にて日を経《ふ》るけにや」と心苦しげに思しめして、御前にて物などまゐらせたまひて、とやかくやと思しあつかひきこえさせたまへるさま、あはれにかたじけなし。中宮の御方に参りたまへれば、人々めづらしがり見たてまつる。命婦《みやうぶ》の君して、「思ひ尽きせぬことどもを。ほど経るにつけてもいかに」と御消息聞こえたまへり。「常なき世はおほかたにも思うたまへ知りにしを、目に近く見はべりつるに、厭《いと》はしきこと多く、思ひたまへ乱れしも、たびたびの御消息に慰めはべりてなむ今日までも」とて、さらぬをりだにある御気色《けしき》とり添へて、いと心苦しげなり。無紋《むもん》の表《うへ》の御衣《ぞ》に鈍色《にびいろ》の御下襲《したがさね》、纓《えい》巻きたまへるやつれ姿、華やかなる御装《よそ》ひよりもなまめかしさまさりたまへり。春宮《とうぐう》にも久しう参らぬおぼつかなさなど聞こえたまひて、夜更けてぞまかでたまふ。

現代語訳

源氏の君が院に参上なさると、(桐壺院)「とてもひどく顔痩せしたな。精進して日数が経っているからだろうか」といじらしくおぼしめして、院の御前にて食事などお取らせになって、あれこれと気を遣われるようすは、しみじみともったいないことである。

源氏の君が中宮(藤壺院)の御方に参られると、中宮つきの女房たちがめずらしく拝見する。

中宮(藤壺宮)が、命婦の君を介して、(藤壺)「私も思いが尽きないさまざのことがございます。時が経つにつけて、どんなにか寂しさがつのることでしょうね」とご挨拶を申しあげなさった。

(源氏)「世の無常であることについては一通りは存じしておりましたが、目に近くそれを見ましたことにつけて、嫌になることが多く、思い乱れておりましたが、たびたびのお便りに慰められまして、今日まで生きながらえております」といって、そういう場合でなくてさえ漂っている情感にさらなる情感を加えて、たいそう辛そうである。

無紋の上着に鈍色の下襲、纓《えい》をお巻きになっている服喪中の御姿は、華やかな御装いよりもいっそう優美さがまさっていらっしゃる。

源氏の君は、東宮にも久しく参っておらず気がかりであることなどを申し上げなさって、夜が更けて退出なさった。

語句

■精進 身を清めて行いを謹むこと。 ■物などまゐらせて 「物まゐる」は食事を取らせること。 ■命婦の君 藤壺宮つきの女房。かつて源氏の手引をした。王命婦(【若紫 13】)。 ■思ひ尽きせぬことどもを… 藤壺宮から、亡くなった葵の上について、源氏に対するいたわりの言葉。 ■さらぬをりだにある御気色 葵の上が亡くなったという時でなくても、源氏が漂わせている情感。藤壺宮への恋慕によるもの。 ■無紋 文様のない袍。喪服。 ■纓 冠の後ろに垂らす装飾具。服喪中は内側に巻き込む。

朗読・解説:左大臣光永

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