【賢木 18】源氏、すねる。藤壺、春宮に拝謁し出家をほのめかす

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原文

大将の君は、さらぬことだに思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにことつけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは同じやうなれど、むげに思し屈《く》しにけると、心知るどちはいとほしがりきこゆ。

宮はいみじううつくしう大人びたまひて、めづらしううれしと思して睦《むつ》れきこえたまふを、かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいと難《かた》けれど、内裏《うち》わたりを見たまふにつけても、世のありさまあはれにはかなく、移り変ることのみ多かり。大后《おほきさき》の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにもはしたなく、事にふれて苦しければ、宮の御ためにもあやふく、ゆゆしうよろづにつけて思ほし乱れて、「御覧ぜで久しからむほどに、かたちの異《こと》ざまにてうたてげに変りてはべらば、いかが思さるべき」と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、「式部がやふにや。いかでかさはなりたまはん」と、笑みてのたまふ。言ふかひなくあはれにて、「それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、髪はそれよりも短くて、黒き衣《きぬ》などを着て、夜居《よゐ》の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむこともいとど久しかるべきぞ」とて泣きたまへば、まめだちて、「久しうおはせぬは恋しきものを」とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪《みぐし》はゆらゆらときよらにて、まみのなつかしげににほひたまへるさま、大人びたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべたまへり。御歯のすこし朽ちて、口の中黒みて、笑みたまへる、かをりうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり。いとかうしもおぼえたまへるこそ心うけれと、玉の瑕《きず》に思さるるも、世のわづらはしさのそら恐ろしうおぼえたまふなりけり。

現代語訳

大将の君(源氏の君)は、それほどの用事でなくても御気がおつきにならないことはないというほど、東宮にお仕え申し上げなさっていたが、今ではご気分がすぐれないことを口実にして、中宮行啓の御送りにも参上なさらない。

型通りの御挨拶はふだんと同じようになさるが、すっかりふさぎこんでしまわれたものよと、事情を知る女房たちは、気の毒に思い申し上げる。

東宮はたいそう可愛らしく成長なさって、母宮(藤壺中宮)とのご対面を、めずらしく、うれしいとお思いになって、まつわりついていらっしゃるのを、母宮は、しみじみ愛しいと拝見するにつけても、出家のご決心は難しい筋ではあるが、宮中一帯のありさまをご覧になるにつけても、世間のようすは胸をうつほどはかなく、移り変わることばかり多い。

大后の御心もひどくわずらわしいので、このように宮中に出入りなさるのも気詰まりで、なにかにつけて苦しいので、東宮の御ためにもこの先が危ぶまれ、万事、不吉に感じられ、思い乱されて、

(藤壺)「ご覧にならないで久しくしている間に、私の姿が今と違うさまに、いやなふうに変わってしまいましたら、どう思われるでしょうか」と仰せになると、東宮は母宮の御顔をじっとご覧になられて、(東宮)「式部のようにか。どうしてそのようにおなりだろうか」と、笑って仰せになる。母宮(藤壺中宮)は、言っても仕方のないことで、しみじみ哀れ深くお思いになって、(藤壺中宮)「それは、年取ってございますから醜いのですよ。そうではなくて、髪はあれよりも短くて、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましたとすれば、拝見できないこともひどく久しくなりましょうよ」といってお泣きになると、東宮は真剣になって、(東宮)「久しくいらっしゃらないのは恋しくございますのに」と、涙が落ちると、恥ずかしいとお思いになって、さすがに顔をお背けになる、その御髪はゆらゆらと清らかで、目元がなつかしげで美しく色づいていらっしゃるさまは、ご成長なさるにつれて、まったくあの方の御顔をそっくり移し変えたようでいらっしゃる。

御歯がすこし虫歯になって、口の中が黒みがかって、お笑いになる、その美しく色づいたさまは、女として拝見したいと思うほどのうるわしさである。

まったく、あの方に瓜二つに思えるのが辛いことだと、それを玉の瑕とお思いにならずにいられないのも、世間の面倒な取り沙汰をそら恐ろしくお思いになるからである。

語句

■さらぬこと それほど大事でもないこと。中宮行啓にくらべて重要度の低い通常の用事。 ■御送りにも参りたまはず 源氏は、藤壺中宮に、自分がどれほど不憫かわからせてやろうと、挨拶・お迎えなどをボイコットしている。 ■心知るどち 事情を知る女房たち。命婦・弁。 ■宮 東宮。この時六歳。 ■思し立つ筋はいと難けれど 出家すれば今以上に参内する機会が減る。この愛しいわが子、東宮にますます逢う機会が減るのである。 ■内裏わたり 桐壺院が崩御後、右大臣家の勢力がまし、藤壺や源氏、左大臣家はおしやられる形となってしまった。 ■宮の御ためにもあやふく 右大臣によって東宮が廃されるかもしれないことを藤壺は危惧する。 ■御顔うちまもり 「まもる」はじっと見つめること。 ■式部 東宮つきの女房。醜い老婆であることがことが直後の藤壺の台詞からわかる。 ■笑みてのたまふ 東宮は母宮が冗談で言ったと思い、微笑む。 ■言ふかひなく 東宮はまだ幼く、出家のことや現在の宮中の複雑な状況など理解できようはずもないため。 ■夜居の僧 一晩中、宮中に詰めて加持祈祷にあたる僧。藤壺は、東宮も見たことのある仏教者の例としてこれを出した。 ■脱ぎすべたまへり 脱いで移し替えるの意。そっくりそのままであること。 ■御歯のすこし朽ちて 乳歯が虫歯になっている。こうしたミクロな描写は、読者がまさにこの場に立って藤壺と視点を共にしているかのような臨場感がある。 ■かをりうつくしき 色艶の美しさ。 ■玉の瑕 唯一の欠点。

朗読・解説:左大臣光永

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