【賢木 24】源氏と藤壺、歌の贈答
月のはなやかなるに、昔かうやうなるをりは、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさせたまひしなど、思し出づるに、同じ御垣《みかき》の内ながら、変れること多く悲し。
ここのへに霧やへだつる雲の上の月をはるかに思ひやるかな
と命婦して聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひもほのかなれど、なつかしう聞こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
「月かげは見し世の秋にかはらぬをへだつる霧のつらくもあるかな。
霞も人のとか、昔もはべりけることにや」など聞こえたまふ。
宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例はいととく大殿籠《おほとのごも》るを、出でたまふまでは起きたらむ、と思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがにえ慕ひきこえたまはぬを、いとあはれと見たてまつりたまふ。
現代語訳
月の見事な夜に、昔このような折は、故院が管弦の遊びを催しあそばされて、はなやかにお過ごしになったことなど、思い出すにつけて、同じ御垣の内であるのに、変わってしまったことが多く、悲しく思われる。
(藤壺)ここのへに…
(九重に霧が立ち込めて隔ててしまっているのでしょうか。雲の上の月をはるかに思いやるだけで直接見ることができません…誰かが邪魔をするのでしょうか。私は帝にお逢いすることができません)
と命婦を介して申し伝えなさる。藤壺中宮の御座所はほど近くなので、その御ようすもほのかではあるが、なつかしく聞こえるので、源氏の君は、自然と辛さも忘れて、まず涙が流れ落ちる。
(源氏)「月かげは…
(月の光は昔見た世の秋かわりませんのに、霧が冷淡にも隔てております)
『霞も人の』とか、昔もございましたことでしょうか』など申し上げなさる。
中宮(藤壺)は、東宮との別れをいつまでも名残惜しくおぼしめして、あらゆる事をお話申し上げなさるが、東宮は深くもご理解なさらないのが、とても不安にお思い申し上げなさる。
東宮は、いつもはとても早くお休みになられるのだが、今夜は、母中宮がご退出なさるまでは起きていよう、とお考えあそばすのだろう。
母中宮のご退出を恨めしそうにお思いになるが、そうはいっても、さすがに後を慕ってついて行くことまではおできにならないのを、中宮はとても情け深く御覧になる。
語句
■月のはなやかなるに 晩秋の風情の中、故桐壺院がご健在のころが思い出され、その頃の華やかさに比べて現在の沈んだ状況がいよいよ心にせまるのである。 ■ここのへに 「九重に」に、幾重にも重なっていることと、宮中を縣ける。右大臣家の策謀により藤壺中宮が朱雀帝に拝謁する機会をはばまれていることを暗示する。 ■ほどなければ 「ほど」は源氏と藤壺の距離。御簾の外のごく近いところで源氏は拝謁しているのだろう。 ■月かげは… 源氏に対して冷淡な藤壺を責めた歌。 ■霞も人の 「山桜見に行く人を隔つれば霞も人の心なりけり」(出典未詳)が『紫明抄』などに挙げられている。歌意は、山桜を見に行く人を隔てるので霞の人のような心を持っている。本文中ではこれを秋に置き換えて、霞ならぬ霧も月を隔てるので、人と同じ心だとする。 ■深うも思し入れたらぬを 東宮は六歳。母中宮(藤壺)の深い思いをまだ理解できない。藤壺にはそれが不安である。 ■さすがに そうはいってもさすがに。いくら母が恋しいからといって、東宮という立場上、後を追いかけていくわけにはいかないと東宮は自分を抑えている。そのことが母中宮にはとても心にしみて愛しい。