【賢木 25】朧月夜と源氏、歌の贈答

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原文

大将、頭弁《とうのべん》の誦《ず》じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍《かむ》の君にもおとづれきこえたまはで久しうなりにけり。初時雨いつしかとけしきだつに、いかが思しけん、かれより、

木枯の吹くにつけつつ待ちし間におぼつかなさのころもへにけり

と聞こえたまへり。をりもあはれに、あながちに忍び書きたまへらむ御心ばへも憎からねば、御使とどめさせて、唐《から》の紙ども入れさせたまへる御厨子《みずし》開けさせたまひて、なべてならぬを選《え》り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき艶《えん》なるを、御前なる人々、誰ばかりならむ、とつきしろふ。「聞こえさせてもかひなきもの懲《ごり》りにこそ、むげにくづほれにけれ。身のみものうきほどに、

あひ見ずてしのぶるころの涙をもなべての空の時雨とや見る。

心の通ふならば、いかにながめの空ももの忘れしはべらむ」など、こまやかになりにけり。

かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情なからずうち返りごちたまひて、御心には深うしまざるべし。

現代語訳

大将(源氏の君)は、頭弁《とうのべん》が口ずさんでいたことを思うと、御心がとがめて、世の中をわずらわしくお思いになって、尚侍の君にもご連絡なさることもなく久しく月日がすぎてしまった。

初時雨がそろそろ降るかという様子が見えてくる頃、どうお思いになったのだろうか、あちらから、

(尚侍)木枯の…

(木枯が吹くたびにお便りはないかと待ってる間に、もどかしい思いの日々が過ぎてしまいましたよ)

と言ってこられた。折にかなって情緒深く、ひたすら人目を忍んでお書きになったらしい御気持ちも意地らしいので、御使を引きとめなさって、唐のさまざまな紙どもをお入れになっている御厨子を開けさせなさって、並々でない紙を選び出しつつ、筆なども特別に心をこめて調えていらっしゃるようすが色めいているので、源氏の君の御前にいる女房たちは、「どの程度の御相手なのでしょう」と、互いにつつきあう。

(源氏)「御便りを申し上げてもかいがないのに懲りてしまいまして、ひどく気が滅入ってしまいました。わが身ひとつが物思いに沈んでいるうちに、かえって貴女に待たれるまでになっていまいました。

(源氏)あひ見ずて…

(逢うことができずに恋しさをこらえている、この時期だからこその私の涙ですのに、貴女は通り一遍の空の時雨と見るのですか)

もしお互いに心が通い合うなら、ぼんやりと物思いに沈んで眺めてるこの長雨の空も、どれほど心が晴れることでしょうか」

など、御文は心こまやかなものになった。

このように源氏の君の御心をゆり動かそうとする文は多いようだが、源氏の君は、そっけない程度に返事をなさって、御心に深くおとめになることはないようだ。

語句

■頭弁の誦じつること 右大臣家の頭弁が、「白虹日を貫けり」とあてこすったこと(【賢木 10-23】)。 ■御心の鬼 心にやましく思うこと。罪悪感を抱くこと。朧月夜=尚侍との密通をいう。 ■おとづけきこえたまはで 「おとづる」は連絡する。手紙を送る。 ■木枯らしの… 源氏の君からの連絡が途絶えていることへの恨み言の歌。 ■誰ばかり 「ばかり」はここでは程度。源氏の君があそこまでご執心とは、相手はどの程度の女性なのだろうと女房たちは憶測しあう。 ■つきしろふ 「しろふ」は互いに…しあう。 ■身のみものうきほどに 「数ならぬ身のみもの憂く思ほえて待たるるまでになりにけるかな」(後撰・雑四 女の母の歌に対するむこの返歌)。歌意は、相手にもされないわが身が物憂く思われて待っているうちに、かえって相手から待たれるようになってしまった。 ■ながめの空 「眺め」と「長雨」を縣ける。 ■おどろかしきこゆ 「おどろかす」は興味を引こうとする。関心をよびおこそうとする。 ■情なからず 相手に恥をかかせない程度に通り一篇の返事はするが、事務的で、心からの情愛に満ちた返事ではないということ。

朗読・解説:左大臣光永

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