【賢木 23】源氏、参内して帝と昔今の物語をする

まづ内裏《うち》の御方に参りたまへれば、のどやにおはしますほどにて、昔今《むかしいま》の御物語聞こえたまふ。御|容貌《かたち》も、院にいとよう似たてまつりたまひて、いますこしなまめかしき気《け》添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。尚侍《かむ》の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こしめし、けしき御覧ずるをりもあれど、「何かは、今はじめたる事ならばこそあらめ、ありそめにけることなれば、さも心かはさむに、似げなかるまじき人のあはひなりかし」とぞ思しなして、咎めさせたまはざりける。よろづの御物語、文の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせたまひて、またすきずきしき歌語《うたがたり》なども、かたみに聞こえかはさせたまふついでに、かの斎宮《さいぐう》の下りたまひし日のこと、容貌《かたち》のをかしくおはせしなど語らせたまふに、我もうちとけて、野宮《ののみや》のあはれなりし曙も、みな聞こえ出でたまひてけり。

二十日《はつか》の月やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、「遊びなどもせまほしきほどかな」とのたまはす。「中宮の今宵まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことはべりしかば、また後見仕うまつる人もはべらざめるに、春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたまヘられはベりて」と奏したまふ。「春宮をば今の皇子《みこ》になしてなど、のたまはせおきしかば、とりわきて心ざしものすれど、ことにさし分きたるさまにも何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざと賢うこそものしたまふべけれ。何ごとにもはかばかしからぬみづからの面《おもて》おこしになむ」とのたまはすれば、「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだいとかたなりに」など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御|兄《せうと》の藤大納言《とうだいなごん》の子の頭弁《とうのべん》といふが、世にあひはなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿《れいけいでん》の御方に行くに、大将の御|前駆《さき》を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、「白虹《はくこう》日を貫けり。太子|畏《お》ぢたり」と、いとゆるらかにうち誦《ず》じたるを、大将いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべき事かは。后の御気色はいと恐ろしうわづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人々もけしきだち言ふべかめる事どももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。

「御前にさぶらひて、今までふかしはべりにける」と、聞こえたまふ。

現代語訳

源氏の君は、まず帝(朱雀帝)の御方へお参りになると、帝は、くつろいであそばされる時で、昔今のお話をなさる。帝は御顔立ちも、故桐壺院にとてもよく似ていらっしゃって、そこにもうすこし優美な雰囲気が加わり、優しく柔和であらせられる。帝と源氏の君は、しみじみ情け深くお互いを拝見なさる。

尚侍《かむ》の君の御ことについても、今もやはり源氏との関係が絶えていないように帝はお聞きあそばし、尚侍の君のそのようなそぶりにお気づきになる折もあるのだが、(帝)「だがそれが何だというのだ。今にはじまった関係なら咎めもしようが、以前からの関係だったのだから、そのように心交わすのに、不似合いではなさそうな御二人の関係なのだ」とお考えになられて、お咎めにもならないのであった。

ありとあらゆる御物語、学問の道で疑問にお思いになっていらっしゃるさまざまな事柄などを帝は源氏の君にご質問なさって、また歌にまつわる色めいた話なども、お互いにお話し合いなさるついでに、例の斎宮が、伊勢に下向された日のこと、その顔だちの美しくあられたことなどお話しになられるに及び、源氏の君はご自身もくつろいで、野宮のしみじみ心にしみた曙のことも、すっかり打ち明けておしまいになるのだった。

二十日の月がしだいに出てきて、しみじみ風情の深い頃であるので、(帝)「管弦の遊びなどもしたくなる時分であるな」と仰せになる。(源氏)「中宮さま(藤壺中宮)が今宵宮中を退出されるといいますのを、お迎えに参ったのです。故院のご遺言がございますので、また私の他にお世話をするような人もいないようでございますので、東宮のご縁からも、中宮さまがお気の毒に思われまして」と奏上なさる。

(帝)「東宮を朕の皇子にせよなどと、故院がご遺言なさったので、東宮には格別に深い愛情を抱いているのですが、かといって皇子たちの中で一人だけを贔屓するのもどうかと思いまして。東宮は年のわりには御手跡などがとりわけ優れていらっしゃるようです。何事においてもぱっとしない私自身の面目も立ちますよ」と仰せになるので、(源氏)「だいたいにおいて、東宮は、なさいますことは、とても賢く大人びたようでいらっしゃいますが、まだとても幼いので」など、東宮のふだんのご様子も奏上なさって、退出なさる時、弘徽殿大后の御兄の藤大納言《とうだいなごん》の子の頭弁《とうのべん》という方が、この方は時勢にあってはぶりのよい若者で、思いどおりにならないこととてないのだろう、妹の麗景殿の御方に行くのに、大将(源氏の君)の御前駆《さき》がひそやかに先払いをしていくので、しばらく立ち止まって、「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」と、とてもゆったりと口ずさんでいくのを、大将はとても聞くに堪えぬ思いでお聞きになっているが、かといって咎めるわけにもいかない。

大后の御機嫌はとても恐ろしく、面倒そうなことばかり耳に入ってくるが、このように大后の身内の人々までも源氏に対する敵意をあらわにして、物を言うような事どももあるにつけ、源氏の君は、面倒にはお思いになったが、何でもないふうにやりすごされた。

(源氏)「帝の御前に侍ってございまして、今まで夜を更かしてございました」と、申し上げなさる。

語句

■のどやかに 帝が公務の合間につくろいでいらっしゃる状態。 ■尚侍の御こと 朧月夜。弘徽殿大后の妹。朱雀帝の後宮に入っているが、それ以前から源氏と関係がある。帝はそのことを薄々知っているが、許している。 ■けしき御覧ずるをりもあれど 尚侍の君のなにげない挙動にも、いまだ源氏に心惹かれていることが見て取れるのである。 ■思しなして 「なす」はしいて…する。朱雀帝としては尚侍を独占したい気持ちもあろうが、そこはあえて目をつぶって、典侍の源氏への思いを許そうとつとめている。 ■文の道 学問の道。 ■すきずきしき歌語 歌が関係してくる恋愛話。 ■かたみに 帝は斎宮に、源氏はその母御息所に恋慕したことを打ち明け合う。神をも畏れぬ恋心であり、ふつうには誰にも話せないことである。それを打ち明け合うところに二人の親密な関係がうかがえる。 ■野宮のあはれなりし曙 源氏は昨年の秋、野宮に六条御息所をたずね、翌朝、御息所と歌を詠み交わして別れた。そのしみじみした風情(【賢木 03】)。 ■二十日 九月二十日。晩秋。この頃の月はことに情緒深い。 ■遊びなどもせまほしき 晩秋の風情の中、管弦の遊びをしたいのは山々である。しかし今は故院の諒闇中であり、遊びはできない。 ■春宮の御ゆかり 東宮の血縁。実は東宮は藤壺と源氏の間の子なのだが、もちろん朱雀帝にはそれは隠している。 ■春宮をば今の皇子になして 故桐壺院の遺言として、東宮を朱雀帝の養子にせよという文言があったらしいが、他の部分にそれについての記述はない。 ■何ごとをかは 「かは」は反語。「せむ」などを後に補って解釈する。 ■面おこし 面目が立つこと。何事についてもぱっとしない自分だが、東宮がすぐれていることで面目が立つの意。朱雀帝の謙遜な人となりが出ている。 ■かたなりに 「かたなり」は未熟・不十分。源氏は東宮の後見人という立場から、あえて厳しめな物言いをした。 ■大宮 弘徽殿大后。源氏を敵視している。 ■世にあひ 右大臣は朱雀帝の後見人であり、右大臣家の若者もわが世の春とてやりたい放題である。 ■麗景殿 朱雀帝の女御。殿舎としての麗景殿は弘徽殿の東。宣耀殿の南。 ■白虹日を貫けり。太子畏ぢたり 『史記』より。燕の太子丹が始皇帝を討つため荊軻をつかわしたが、白い虹が太陽を貫くのを見て、計画の失敗を畏れたという故事。ここでは源氏を荊軻に、東宮を燕の太子丹にあてはめ、源氏が謀反をおこそうとしていると当てこすっている。 ■まばゆし とても聞いていられないと。 ■けしきだち 源氏に対する敵意をあらわにして。 ■聞こえたまふ 源氏は東宮殿に参って、中宮にこう申し上げたのである。

朗読・解説:左大臣光永

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