【賢木 30】寂寥たる新年 源氏、藤壺の御座所に参る

年もかはりぬれば、内裏《うち》わたりはなやかに、内宴《ないえん》踏歌《たふか》など聞きたまふも、もののみあはれにて、御行ひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかりしこと離れて思ほさる。常の御|念誦堂《ねんずだう》をばさるものにて、ことに建てられたる御堂の西の対の南にあたりて、少し離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行ひせさせたまふ。

大将参りたまへり。あらたまるしるしもなく、宮の内のどかに人目まれにて、宮司《みやづかさ》どもの親しきばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈《く》しいたげに思へり。白馬《あをむま》ばかりぞ、なほひきかへぬものにて、女房などの見ける。ところせう参り集ひたまひし上達部など、道を避《よ》きつつひき過ぎて、むかひの大殿《おほひどの》に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに思さるるに、千人にもかへつべき御さまにて、深う尋ね参りたまへるを見るに、あいなく涙ぐまる。

客人《まらうと》も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみにものものたまはず。さま変れる御住まひに、御簾《みす》の端、御几帳も青鈍《あをにび》にて、隙《ひま》々よりほの見えたる薄鈍《うすにび》、梔子《くちなし》の袖口など、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。解けわたる池の薄氷《うすごほり》、岸の柳のけしきばかりは時を忘れぬなど、さまざまながめられたまひて、「むべも心ある」と忍びやかにうち誦《ず》じたまへる、またなうなまめかし。

ながめかるあまのすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島

と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所《おましどころ》なれば、すこしけ近き心地して、

ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る浪のめづらしきかな

とのたまふもほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひすましたる尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。「さもたぐひなくねびまさりたまふかな。心もとなきところなく世に栄え、時に逢ひたまひし時は、さる一つものにて、何につけてか世を思し知らむ、と推しはかられたまひしを、今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなる気色さへ添はせたまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」など、老いしらへる人々、うち泣きつつめできこゆ。宮も思し出づること多かり。

現代語訳

年が改まると、宮中あたりは華やかに、内宴・踏歌などの賑やかさをお耳にするにつけても、中宮(藤壺)は、何かと感慨がこみあげるばかりで、お勤めをしめやかになさりつつ、後の世のことだけをお思いになっていると、末頼もしかったこと、難儀だったことも、今のご自分には縁遠いことのようにお思いになる。いつもお使いだった御念誦堂はそのままで、特別に建てられた御堂、西の対の南にあたって、少し離れているその御堂にお移りになって、格別のお勤めをなさる。

そこへ大将(源氏の君)が参った。年が改まったしるしもなく、御邸の内はひっそりして人影もまれで、ただ中宮職の役人たちの親しくお仕えしている者ばかりが、首をうなだれて、気のせいであろうか、心が滅入っているように思える。

白馬節会《あおうまのせちえ》だけは、やはり昔とかわらず巡ってくるので、女房たちが見物するのであった。以前は所狭しと参り集まっていた上達部なども、道を避けつつ通り過ぎて、むこうの右大臣邸にお集まりになるのを、中宮は、このようなことは世の常であるが、やはり寂しくお思いになっていたところ、源氏の君が千人にも匹敵しそうな頼もしいお姿で、心深く尋ね参ってこられたのを見るにつけ、女房たちはわけもなく自然涙ぐんでしまうのだ。

客人(源氏の君)も、ひどくしみじみ心にしみる悲しいようすに、あたりを見回されて、すぐには何とも仰せになれない。

さま変わりした御住まいに、御簾の端、御几帳も青鈍色で、隅々からほのかに見える薄鈍色、梔子色の袖口などは、かえって優美に、奥ゆかしくお見受けされる。

一面に解けてきた池の薄氷、岸の柳が芽吹くようすだけは季節を忘れぬことだなど、自然とあれこれ眺められて、(源氏)「むべも心ある」と忍びやかに口ずさみなさるのが、比べようもないほど優美である。

(源氏)ながめかる…

(海藻を刈る海人のすみか…物思いに沈む尼のすみかと拝見いたしますと、まっ先に涙がこぼれる松が浦島でございます)

と申し上げなさると、中宮は、奥深いところでもなく、すべて仏にお譲り申し上げた御座所なので、、やや近い所にいらっしゃる感じがして、

(藤壺)ありし世の…

(昔の名残さえない松が浦島に立ち寄る波のめずらしいことです)

と仰せになるのもほのかに聞こえるので、忍んでも、涙がほろほろとおこぼれになる。

世の中を悟りすました尼君たちが見ているであろうことを思うとばつが悪いので、源氏の君は、言葉少なにご退出なさった。

(女房)「あれほどに、類なくご成長なさったことですよ。何不自由なく世に栄え、時めいていらした時は、あのように一人舞台で、何につけて人生をお悟りになるだろうかと皆から思われていらしたのに、今はとてもよく落ち着きなさって、ちょっとしたことにつけても、しみじみと心深い様子までも加わっていらっしゃるのは、どうにもこうにも、おいたわしく思われることですよ」など、老いぼれた人々は、泣く泣く源氏の君をおほめ申し上げる。中宮も思い出しなさることが多いのだ。

語句

■年もかはりぬれば 帝が故院の喪に服す諒闇の年が終わり、例年どおり管弦の遊びなども行えるようになった。 ■内宴 宮中の正月行事のひとつ。正月二十一日ころ子の日に天皇が仁寿殿に出御し、公卿や文人に漢詩文を作らせたりする。 ■踏歌 新年の祝詞を歌わせ舞わせる行事。踏歌節会。天皇の長久とその年の豊作を祈る。正月十四日の男踏歌と十六日の女踏歌があった。 ■もののみあはれにて 周囲がにぎやかに華やかにしているからこそ、その落差で、藤壺は現在の心細い境遇を実感する。 ■むつかしかりしこと 源氏の藤壺に対する恋慕。 ■宮司ども 中宮職の役人たち。 ■屈しいたげに ひどく思いしずんでいるように。 ■白馬 白馬節会《あおうまのせちえ》。古くは青馬(黒馬)を用いていたが後に白馬に変えたが「あおうま」の読みだけが残った。新年七日の宮中行事。左右の馬寮から白馬二十一頭を紫宸殿前庭に引き出し、まず天皇に御覧にいれ、中宮・東宮に引き回し、宴となる。邪気払いが目的。 ■むかひの大殿 中宮御所は三条に、右大臣邸は二条にある。 ■千人にもかへつべき 「疲兵再戦シ、一以テ千ニ当ル」(文選巻二十一・答蘇武書 李陵)。また『涅槃経』純陀品に「一人当千」の語がみえる。 ■青鈍 縹色に青みがかかった色。以下三色は出家者の衣の色。 ■薄鈍 薄いねずみ色。 ■梔子 梔子の実で染めた、濃い黄色に赤みがかった色。 ■解けわたる池の薄氷 解けきってはいないものの、一面に解け始めている。 ■むべも心ある 「音にきく松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり」(後撰・雑一 素性)。素性法師が出家の后を見舞った時、池の中島の松を削って記した歌で、陸奥国の歌枕「松が浦島」を景色に重ねる。名高い松が浦島を今日目の前に見ている思いです。なるほど心ある海人=尼が住んでいたものですよの意。ここでは尼=藤壺。松が浦島は宮城県宮城郡七ヶ浜町松ヶ浜。松島の西南。 ■ながめかる 「ながめ」は「長布(海藻)」と「眺め(物思い)」を、「あま」は「海人」と「尼」をかける。「しほたるる」をは潮に濡れると涙に濡れるの両意。「松が浦島」は前の引歌にある歌枕。この場を素性法師の歌にある松が浦島に見立てている。 ■ありし世の… 源氏の歌から「浦島」をついだ。「浦島」「なごり(余波)」「立ち寄る浪」が縁語。「なごりだになき」は浦島説話をふまえるとする説も。 ■一つもの 一人舞台。一人天下。わが身のことが中心で他者への思いやりがないこと。若い頃の源氏を評していう。 ■世を思し知らむ 人生、世間というものをどうやって知るのだろうか。何不自由なく成長し、世間知らずであった源氏も、妻葵の上の死、父桐壺院の崩御、それにともなう源氏・藤壺方の凋落、藤壺の出家といった世の荒波を経験し、成長しつつある。 ■あいなう わけもなく。 ■老いしらへる 「老い痴らふ」は老いぼれる。

朗読・解説:左大臣光永

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