【賢木 31】中宮方の人々、昇進の沙汰なし 藤壺、春宮のため祈る 左大臣、辞任する

原文

司召《つかさめし》のころ、この宮の人は賜はるべき官《つかさ》も得ず、おほかたの道理《だうり》にても、宮の御たまはりにても、必ずあるべき加階《かかい》などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつしかと、御位を去り御封《みふ》などのとまるべきにもあらぬを、ことつけて変ること多かり。みなかねて思し棄ててし世なれど、宮人どもも拠《よ》りどころなげに悲しと思へる気色どもにつけてぞ、御心動くをりをりあれど、わが身をなきになしても春宮の御世をたひらかにおはしまさばとのみ思しつつ、御行ひたゆみなく勤めさせたまふ。人知れずあやふくゆゆしう思ひ聞こえさせたまふことしあれば、我にその罪を軽《かろ》めてゆるしたまへと、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。この殿の人どもも、また同じさまにからき事のみあれば、世の中はしたなく思されて籠りおはす。

左大臣《ひだりのおとど》も、公私《おほやけわたくし》ひきかへたる世のありさまに、ものうく思して、致仕《ちじ》の表《へう》たてまつりたまふを、帝は、故院のやむごとなく重き御|後見《うしろみ》と思して、長き世の固めと聞こえおきたまひし御|遺言《ゆいごん》を思しめすに、棄てがたきものに思ひきこえたまへるに、かひなきことと、たびたび用ゐさせたまはねど、せめてかへさひ申したまひて、籠りゐたまひぬ。今はいとど一族《ひとぞう》のみ、かへすがへす栄えたまふこと限りなし。世のおもしとものしたまへる大臣の、かく世をのがれたまへば、おほやけも心細う思され、世の人も心あるかぎりは嘆きけり。

現代語訳

正月の司召のころ、藤壺中宮方の人は当然たまわるべき官職も得ず、一般的な道理からいっても、中宮の年爵としても、必ずあるべき昇進などさえもせずなどして、嘆く人々が多かった。

中宮がこのようにご出家された場合でも、すぐさま中宮の御位を去り、所得などが停止されるものではないのだが、中宮のご出家を言い訳にして、変わることが多かった。

中宮としては、すべてもともと諦めてしまっている世の中ではあるが、中宮方の役人たちも拠り所がなさそうに悲しく思っているようすを御覧になるにつけて、御心が動揺する折もあるが、たとえわが身をなき者になしても、東宮がやがて平安無事に御位におつきあそばすならばと、そればかり思いつつ、お勤めをたゆみなくなさっている。

人知れず不安で恐ろしくお思いになられることがあるので、「私に免じてその罪を軽くしてお許しください」と、仏に祈り申し上げなさっていると、万事心が慰められなさる。

大将(源氏の君)も、中宮はそのようであろうと存じ上げて、なるほどもっともだとお思いになる。源氏の邸の人々も、また同じようにつらい事ばかりがあるので、源氏の君は、世の中を住みづらくお思いになって引きこもっていらっしゃる。

左大臣も、公私ともにすっかり変わってしまった世のありさまを、どうにも不快にお思いになって、辞職の表を上奏なさったのを、帝は、故院が左大臣のことをかけがえなく重要な御後見人とおぼしめされて、末永く世の重鎮とせよと仰せおきあそばされた御遺言をおぼしめされると、その御遺言を無にすることはできないとお思いになるので、辞表は受けがたいことであると、たびたびお取り上げあそばされなかったが、左大臣は強いて押し返しお願い申し上げなさって、引きこもってしまわれた。

今やまったく右大臣家の一族だけが、返す返すお栄えになることは限りもない。

世の重鎮でいらっしゃった左大臣が、このように辞職なさったので、帝も心細くお思いあそばし、世間の人も心ある者は嘆きあうのであった。

語句

■司召 ここでは地方官が任命される、正月中旬の除目・県召《あがためし》のこと。 ■宮の御たまはり 年爵。院・東宮・皇后などが除目のとき名目上の地方官を任じて位田を支給し、そこからの収入を実質的にわがものとするもの。 ■いつしかと 一日も早く、今すぐにでも。右大臣方の、藤壺中宮をさっさと退位させたいという気持ち。 ■御封 「封」は「封戸」の略。官位に応じて給わる民戸(人民の家)。その民戸から上がってくる租税のうち、地租の半分、庸と調のぜんぶが収入となる。 ■ことつけて …を言い訳として、口実として。 ■人知れずあやふくゆゆしう思ひ聞こえさせたまふこと 源氏との密通。その結果として東宮が生まれたこと。 ■到仕の表 辞表。一度辞表を上奏されても形式上、何度か拒否するのが通例。 ■棄てがたき 故院の遺言を、と取ったが、左大臣を、とも取れるか。 ■かひなきことと 辞表は納受できないと。 ■かへさひ 「かへさふ」は「返す」に反復継続の設備語「ふ」がついたもの。押し返す。

朗読・解説:左大臣光永