【賢木 32】源氏・三位中将、文のすさびにふける

御子どもは、いづれともなく、人柄めやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、こよなうしづまりて、三位《さむゐの》中将なども、世を思ひ沈めるさまこよなし。四の君をも、なほかれがれにうち通ひつつ、めざましうもてなされたれば、心とけたる御婿《むこ》の中《うち》にも入れたまはず。思ひ知れとにや、このたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。大将殿かう静かにておはするに、世ははかなきものと見えぬるを、ましてことわりと思しなして、常に参り通ひたまひつつ、学問をも遊びをももろともにしたまふ。いにしへももの狂ほしきまで、いどみきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなき事につけつつ、さすがにいどみたまへり。春秋の御読経《みどきやう》をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、またいたずらに暇《いとま》ありげなる博士ども召し集めて、文作り韻塞《ゐんふたぎ》などやうのすさびわざどもをもしなど、心をやりて、宮仕《みやづかへ》をもをさをさしたまはず。御心にまかせてうち遊びておはするを、世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人々あるべし。

夏の雨のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集《しふ》どもあまた持たせて参りたまへり。殿にも、文殿《ふどの》開《あ》けさせたまひて、まだ開《ひら》かぬ御厨子《みづし》どもの、めづらしき古集《こしふ》のゆゑなからぬ、すこし選り出でさせたまひて、その道の人々、わざとはあらねどあまた召したり。殿上人も大学のも、いと多う集《つど》ひて、左右《ひだりみぎ》にこまどりに方分《かたわ》かせたまへり。賭け物どもなど、いと二なくて、いどみあへり。塞《ふた》ぎもてゆくままに、難《かた》き韻《いん》の文字《もじ》どもいと多くて、おぼえある博士《はかせ》どもなどのまどふ所どころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才《ざえ》のほどなり。「いかでかうしも足らひたまひけん。なほさるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」とめできこゆ。つひに右負けにけり。

二日ばかりありて、中将|負態《まけわざ》したまへり。ことごとしうはあらで、なまめきたる檜破子《ひわりご》ども、賭け物などさまざまにて、今日も例の人々多く召して文など作らせたまふ。階《はし》の底《もと》の薔薇《さうび》けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ。中将の御子の、今年はじめて殿上する、八つ九つばかりにて、声いとおもしろく、笙《さう》の笛吹きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ。四の君腹の二郎なりけり。世の人の思へる寄せ重くて、おぼえことにかしづけり。心ばへもかどかどしう、容貌《かたち》もをかしくて、御遊びのすこし乱れゆくほどに、高砂《たかさご》を出だしてうたふ、いとうつくし。大将の君、御|衣《ぞ》ぬぎてかづけたまふ。例よりはうち乱れたまへる御顔のにほひ、似るものなく見ゆ。羅《うすもの》の直衣《なほし》単衣《ひとへ》を着たまへるに、透《す》きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつりて涙落しつつゐたり。「あはましものをさゆりはの」とうたふとぢめに、中将御|土器《かはらけ》まゐりたまふ。

それもがとけさひらけたる初花におとらぬ君がにほひをぞ見る

ほほ笑みて取りたまふ。

「時ならでけさ咲く花は夏の雨にしをれにけらしにほふほどなく

おとろへにたるものを」と、うちさうどきて、らうがはしく聞こしめしなすを、咎《とが》め出でつつ強ひきこえたまふ。多かめりし言《こと》どもも、かうやうなるをりのまほならぬこと数々に書きつくる、心地なきわざとか、貫之が諫め、たうるる方にて、むつかしければとどめつ。みなこの御事をほめたるすぢにのみ、倭《やまと》のも唐《から》のも作りつづけたり。わが御心地にもいたう思しおごりて、「文王《ぶんわう》の子武王《ぶわう》の弟」とうち誦《ず》じたまへる、御名のりさへぞげにめでたき。成王《せいわう》の何とかのたまはむとすらむ。そればかりやまた心もとなからむ。

兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなどもをかしうおはする宮なれば、今めかしき御あそびどもなり。

現代語訳

左大臣家のご子息たちは、誰ともなく、人柄が好ましく、世に用いられて、気分がよさそうに過ごしていらしたのに、今はすっかり勢い衰えて、三位中将なども、世の中に失望なさっているようすはひととおりでない。

あの右大臣家の四の君のところも、やはり時々は通いつつ、右大臣家からみると心外なほど、そっけなくおあしらいになるので、右大臣は三位中将のことを、心ゆるした御婿の内にはお入れにならない。

思い知れということだろうか、今回の司召にも漏れてしまったが、三位中将はそれほど気にかけていない。大将殿(源氏の君)がこのように静かにしていらっしゃるにつけ、世ははかないものとお悟りになったので、まして自分が不遇なのは当然だと思うようになさって、常に大将殿のもとに参り通われつつ、学問をも遊びをもご一緒になさる。

昔も物狂おしいまでに、ご競争なさっていたのを思い出しなさって、お互いに今もちょっとした事につけては、やはりご競争なさる。春秋の御読経は当然として、臨時にも、さまざまの尊い法会をさせなさったりして、またやることがなく、暇そうな博士たちを召し集めて、作文《さくもん》、韻塞《いんふたぎ》などというような慰み事どもをしたりなど、気晴らしをして、ご出仕もほとんどなさらない。

御心にまかせて遊んでいらっしゃるのを、世間には、わずらわしいことを次第に言い出す人々もあるようだ。

夏の雨がのどかに降って、所在のない頃、中将は、しかるべき詩集どもを多く持たせて参られた。源氏の君の御邸でも、君は書庫を開けさせなさって、まだ開けたことのない多くの御厨子の中の、めずらしい古い詩集の由緒ありそうなのを、すこし選び出させなさって、その道の人々を、ことさらにというわけではないが、大勢お召しになった。

殿上人も大学寮の人々も、たいそう多く集まって、左方、右方に入れ違いに二組にお分けになる。

数々の賭け物なども、二つとない素晴らしく、お互いに競いあった。韻が次第に塞がっていくにつれて、難しい韻の文字がとても多く残って、学識におぼえある博士たちなどの困惑する所どころを、源氏の君が時々口をはさまれるありさまは、まったくすばらしい御才覚の深さである。

「どうしてこんなにまで何もかも備わっていらっしゃったのだろう。やはり前世からの果報で、万事、人にすぐれていらっしゃったのだ」と、皆がお褒め申し上げる。ついに右方が負けてしまうのだった。

二日ほどたって、中将が負態《まけわざ》をなさる。おおげさではなく、優美な数々の檜破子や、賭け物などさまざまに用意して、今日も例によって人々を多く召して詩など作らせなさる。

階段の下の薔薇がわずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしめやかに美しい折から、人々はくつろいで管弦の遊びをなさる。

中将のご子息で、今年はじめて殿上する、八つ九つばかりで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどするのを、可愛がり遊び相手になさっている。

四の君腹の次郎なのであった。世間の人々の寄せる期待が重く、特別大事に奉仕している。

気性も利発で、顔立ちも美しく、管弦の遊びがすこしくつろいできたころに、高砂を声を張り上げて歌うのが、とても可愛らしい。

大将の君(源氏の君)は、お召し物を脱いで、中将の子の肩に褒美としておかけになる。

ふだんよりくつろいでいらっしゃる源氏の君の御顔の美しさは、似るものとてないほど素晴らしく見える。

薄い絹の直衣、単衣をお召しになっているので、そこから透けていらっしゃる肌つやは、まして美しく見えるのを、年老いた博士たちなどは、遠くから拝見して涙を落としつつ控えている。

「あはましものをさゆりはの」と歌う歌の最後に、中将は源氏の君にお盃を差し上げなさる。

(中将)それもがと…

(それこそが見たいと待ち望まれていて今朝開いた百合の花にも劣らぬ、君の美しさを見ることですよ)

源氏の君は、微笑なさってお盃をお取りになる。

(源氏)「時ならで…

(時期外れに咲く百合の花は夏の雨にしおれてしまったようです。美しく色づく時もなく)

もう私など衰えてしまっておりますのに」と、はしゃいで、中将の歌をあえていい加減なものとお受け止めになるのを、中将はお咎めになりつつ無理にお酒をおすすめ申し上げる。

多くの歌が詠まれたらしいが、こうした折の不完全なことをあれこれと書きつくるのは、無粋なことだとか、貫之の諌めもあるので、それに従って、わずらわしいから省いた。

誰もが源氏の君の御事をほめた内容のだけ、和歌も漢詩も作り続けている。

源氏の君ご自身のお気持ちとしてもたいそう得意でいらっしゃって、(源氏)「文王の子武王の弟」とお唱えになる、その御名乗りまでもまったく見事である。

しかし成王の何とおっしゃるおつもりだろう。さすがにそれを口にすることだけは憚られたのだろうか。

兵部卿宮もいつも源氏の君のもとにお越しになっては、宮は管弦の御遊びなども得意でいらっしゃるので、華やかな御あそび相手となられたのである。

語句

■三位中将 もとの頭中将。左大臣家の長男。源氏の親友にしてライバル。 ■四の君 三位中将の正妻。右大臣家の四女。弘徽殿大后の妹。 ■めざましう 「めざまし」は心外である。右大臣家の天下となった今、右大臣家にこびへつらわない三位中将の態度は、右大臣家から見ると心外なのである。 ■ましてことわりと 源氏の君ほどの人物が不遇であるのに、まして自分が不遇なのは当然だと。三位中将は源氏をライバルとして競いあいながら、一方ではとても叶わない相手として認めているのである。 ■学問をも遊びをももろともにしたまふ 「学問をも遊びをももろともにして」(【帚木 02】)。 ■いたづらに暇ありげな博士ども 右大臣家の権勢盛んな中、世に余された博士たち。 ■文作り 漢詩を作ること。作文《さくもん》。 ■韻塞 いんふたぎ。漢詩の韻字を隠しておいて、それを当てる遊戯。 ■すさびわざ 慰み事。お遊び。 ■わづらはしきこと 右大臣方が源氏らの行いにあれこれ難癖をつけているのだろう。 ■夏の雨のどかに降りて 以下、「帚木巻」との類似が指摘される(【帚木 02】)。 ■さるべき集 しかるべき漢詩集。 ■殿にも 「殿」は源氏の邸。二条院。 ■文殿 書物を収める建物。書庫。 ■大学の 大学寮の学者たち。 ■こまどりに 入れ違いに。交互に。 ■塞ぎもてゆくままに 韻字が埋まっていくにつれて。 ■時々うちのたまふ 源氏自身は競技に参加しないが、ここぞという難しい局面で口を出すのだろう。 ■負態 競技に負けたほうが勝ったほうに饗応すること。 ■檜破子 檜の薄い板で作った食物入れ。 ■階の底の薔薇 「甕《もたひ》ノ頭《ほとり》ノ竹葉ハ春ヲ経テ熟シ 階ノ底ノ薔薇ハ夏に入リテ開ク」(白氏文集巻十七・薔薇正開春酒初熟因招劉十九張大夫隺二十四同飲)による。 ■はじめて殿上 いわゆる童殿上《わらわてんじょう》。童の時に殿上させて宮中に慣れさせるもの。 ■四の君腹の次郎 正妻の右大臣家の四の君が生んだ次男。 ■高砂 「高砂の、さいささごの、高砂の、尾上に立てる、白玉、玉椿、玉柳、それもがと、さむ、…百合花の、さ百合花の、今朝咲いたる、初花に、あはましものを、さゆり花の」(催馬楽・高砂)。 ■直衣 貴族の平服。 ■単衣 袿の下に着る、裏地のない衣。下着。 ■あはましものをさゆりはの 前の「高砂」の結びにある詞句。待っていれば今朝咲いた百合の花を見ることができたろうにの意。 ■それもがと ひきつづき「高砂」の詞句をふまえる。加えて「我は今朝初《うひ》にぞ見つる花の色をあだなる物といふべかりけり」(古今・物名・紀貫之)を引く。 ■時ならで 右大臣家の権勢さかんな今、時にあわず落ちぶれている自分を揶揄した歌。 ■うちさうどきて 「さうどく」ははしゃぐ。源氏は衰えた自分を揶揄しながらも、同時にそれを冗談事として笑い飛ばす余裕も見せている。 ■らうがはしく 「乱《らう》がはし」は無作法だ、だらしがないといった意味だが、ここでは中将の言葉を源氏があえていい加減なものとして受け取った、と取る。 ■まほならぬこと 不完全なこと。「まほ」は完全であること。「かたほ」は不完全であること。 ■貫之が諌め 出典不明。 ■たうるる方にて 不審。本文に欠損か。仮に「倒るる方にて」と取る。 ■文王の子武王の弟 周公旦(文王の子)が兄武王の子の成王にかわり政を行った時の言葉。「ワレハ文王ノ子武王ノ弟、成王ノ叔父ナリ。ワレ天下ニオイテマタ賤シカラズ」(史記・魯周公世家)。文王が桐壺院、周公旦が源氏、武王が朱雀帝。 ■成王の何とか 成王は東宮にあたるが、東宮は世間的には故桐壺院の子だが実は源氏の子である。それをどう言うつもりだろうと。 ■兵部卿宮 紫の上の父、藤壺の兄の兵部卿宮とするのが通説だが、源氏とはそれほど親しい間柄ではない。また音楽の堪能なさまもこれまで描写されていない。後の蛍兵部卿宮(源氏の弟)とする説のほうが妥当か。

朗読・解説:左大臣光永

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