【賢木 33】源氏と朧月夜、密会 右大臣、現場にふみこむ
そのころ尚侍《かむ》の君まかでたまへり。瘧病《わらはやみ》に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすくせんとてなりけり。修法《ずほふ》などはじめて、おこたりたまひぬれば、誰も誰もうれしう思すに、例のめづらしき隙《ひま》なるをと、聞こえかはしたまひて、わりなきさまにて夜な夜な対面《たいめ》したまふ。いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。后《きさい》の宮も一所《ひとところ》におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖なれば、いと忍びて度重なりゆけば、けしき見る人々もあるべかめれど、わづらはしうて、宮にはさなむと啓せず。大臣《おとど》はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、雷《かみ》いたう鳴りさわぐ暁に、殿の君達《きむだち》、宮司《みやづかさ》など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも、怖《お》ぢまどひて近う集ひまゐるに、いとわりなく出でたまはん方なくて、明けはてぬ。御帳のめぐりにも、人々しげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。心知りの人二人ばかり、心をまどはす。 雷《かみ》鳴りやみ、雨すこしをやみぬるほどに、大臣渡りたまひて、まづ宮の御方におはしけるを、村雨の紛れにて、え知りたまはぬに、軽《かろ》らかにふと這ひ入りたまひて、御簾《みす》引き上げたまふままに、「いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに思ひやりきこえながら、参り来《こ》でなむ。中将、宮の亮《すけ》などさぶらひつや」など、のたまふけはひの舌疾《したど》にあはつけきを、大将はものの紛れにも、左大臣《ひだりのおとど》の御ありさま、ふと思しくらべられて、たとしへなうぞほほ笑まれたまふ。げに入りはててものたまへかしな。
尚侍《かむ》の君いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面《おもて》のいたう赤みたるを、なほ悩ましう思さるるにやと見たまひて、「など御|気色《けしき》の例ならぬ。物の怪などのむつかしきを。修法《ずほふ》延べさすべかりけり」とのたまふに、薄二藍《うすふたあゐ》なる帯の、御|衣《ぞ》にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あやしと思すに、また畳紙《たたむがみ》の手習などしたる、御|几帳《きちやう》のもとに落ちたりけり。これはいかなる物どもぞ、と御心おどろかれて、「かれは誰《た》がぞ。けしき異《こと》なる物のさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」とのたまふにぞ、うち見返りて、我も見つけたまへる。紛らはすべき方もなければ、いかがは、いらへきこえたまはむ。我にもあらでおはするを、子ながらも恥づかしと思すらむかし、とさばかりの人は思し憚《はばか》るべきぞかし。されどいと急に、のどめたるところおはせぬ大臣《おとど》の、思しもまはさずなりて、畳紙《たたむがみ》を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよびて、つつましからず添ひ臥したる男もあり。今ぞやをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。あさましう、めざましう心やましけれど、直面《ひたおもて》にはいかでかあらはしたまはむ。目もくるる心地すれば、この畳紙《たたむがみ》を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。尚侍《かむ》の君は、我かの心地して死ぬべく思さる。大将殿も、いとほしう、つひに用なきふるまひのつもりて、人のもどきを負はむとすること、と思せど、女君の心苦しき御気色を、とかく慰めきこえたまふ。
現代語訳
そのころ尚侍《かむ》の君(朧月夜)が宮中をご退出なさった。瘧病を久しくお患いになつて、まじないなども気兼ねなくしようとしてのことであった。
修法などをはじめて、回復なさると、誰も彼もうれしくお思いになるが、例によってめったにない機会だからと、源氏の君とご連絡しあいなさって、無理なご算段をして夜な夜なお逢いになられる。
典侍の君はまさに女盛りで、華やかな感じの方であるが、それがすこし病を患って、ほっそりお痩せになったようすは、たいそう美しいのだった。
后の宮(弘徽殿大后)も同じ御邸にいらっしゃるころであるので、その気配はひどく恐ろしかったが、源氏の君は、このような際どい状況でこそやる気がお出になる御性分なので、こっそりと人目を忍んでの逢瀬も重なっていくので、それと気づく人々もあるようだが、気づいたとしてもわずらわしいので、弘徽殿大后にはこれこれだとも申し上げない。
右大臣もまた思いもかけずにいらっしゃったが、雨が急にひどく降って、雷がたいそう鳴りさわぐ明け方に、右大臣家のご子息たちや右大臣家にお仕えする役人たちなどが立ち騒いで、あちこちに人目が多く、女房たちも怖がり困惑して、近くに参り集まっているので、源氏の君は、すっかり困り果てて、ご退出なさる手段がないままに、夜が明けてしまった。
御帳のまわりにも、多くの人々が並んで座っているので、まったく胸がつぶれるようにお思いになる。事情を知る女房二人ほどが、はらはらしている。
雷が鳴りやみ、雨がすこし止んだ時に、右大臣がおいでになって、まず后の宮(弘徽殿大后)の御部屋にいらしたのを、尚侍の君(朧月夜)は、村雨の音に紛れて、お気づきにならなかったが、右大臣は、気軽にすっと這い入りなさって、御簾を引き上げなさるとすぐに、(右大臣)「どうしたことです。とても恐ろしかった昨夜のありさまに心配していましたが、貴女は参り来なかったではないですか。中将や宮の亮などはお側に控えていたのですか」など、おっしゃるようすが早口であわただしいのを、大将(源氏の君)はこうした取り込み中にも、左大臣の御ようすと、ふっと思い比べなさって、まるで比べものにならないと、ひとりでにほほえみなさる。まったく、部屋の内にすっかり入ってからおっしゃればよさそうなものを…
尚侍の君はたいそう困惑なさって、そっと御帳の外ににじり出ておいでになると、その御顔がたいそう赤らんでいるのを、右大臣は、まだご気分がお悪いのかと御覧になって、(右大臣)「どうして御顔色がいつもと違うのでしょう。物の怪などがしつこいのですね。修法を続けてさせていたほうがよかった」とおっしゃると、薄ニ藍の帯が、尚侍の君の御召し物にまとわりついて外に出ているのをお見つけになって、妙だとお思いになると、また懐紙に手習などしたのが、御几帳の下に落ちていた。 これはどうした物どもだと驚きなさって、(右大臣)「それは誰のものですか。見慣れない物のようすですね。よこしなさい。それを取って誰のものと調べてやりましょう」とおっしゃるので、尚侍の君は振り返って、ご自身もその帯と畳紙をお見つけになった。
ごまかす手立てもなかったので、なんとお答え申し上げよう。茫然自失としておられるのに、わが子ながらもどれほど恥ずかしく思っていらっしゃるだろうと、右大臣ほとのご身分の方であればご遠慮なさってしかるべきことである。
しかしひどく短期で、落ち着いたところのなくていらっしゃる右大臣が、ご分別もお失せになって、懐紙をお取りになったまま、几帳から内を御覧になると、たいそうゆったりして、臆面もないようすで物によりかかって横になっている男までもいる。
今になってそっと顔を隠して、あれこれ取り繕っている。右大臣は呆れて、目も見張るほど忌々しいが、源氏の君と面と向かってはどうしてその人だとずばり暴き立てることがおできになろうか。
右大臣は、目もくらむ心地がするので、この懐紙を取って、寝殿にお移りになった。尚侍の君は、我を失った心地で死ぬようなお気持ちである。大将殿も、「いたわしいことに、ついに無用のふるまいが積もって、世間の人の非難をあびることになるのかと、お思いになるが、姫君の気の毒なご様子を、あれこれお慰め申し上げなさる。
語句
■瘧病 周期的な発熱。おこり。 ■にぎははしきけはひ 華やかなかんじ。 ■后の宮 弘徽殿大后。朧月夜の姉。源氏を憎んでいる。 ■かかること 障害が多く、困難な逢瀬。 ■わづらはしうて 弘徽殿大后に言いつけることによって自分にも面倒事がおよぶことを恐れる。 ■さなむと 諸本に「さなむとは」「さなとは」「さとは」。 ■心知りの女房 中納言等、事情を知っている女房。 ■御簾引き上げたまふままに 御簾を引き上げて、そのままの状態で。まだ体全部は部屋の中に入っていない。 ■中将 朧月夜の兄弟らしい。 ■宮の亮 皇太后宮職の次官。弘徽殿大后の身の回りの事務を行う。 ■舌疾 早口であること。 ■左大臣の御ありさま 左大臣の落ち着いた余裕のある物腰とくらべ、右大臣のそれは慌ただしく優雅さに欠ける。源氏は左大臣と右大臣を心の中で比較して「比べ物にならない」と微笑むのである。 ■げに入りはてて 源氏は右大臣の余裕のない物腰に呆れている。作者はそれに「なるほどもっもとだ」と共感をしめす。 ■薄ニ藍なる帯 青みがかった紫色の帯。男物。 ■畳紙 懐紙。歌などを手すさびに書きつける。 ■誰がぞと 畳紙の筆跡から誰のものと判定する。 ■さばかりの人 右大臣ほどの身分の高い人。 ■思しもまはさずなりて 慌てて思慮分別を失うこと。 ■なよびて 「なよぶ」はゆったりする。ぐったりする。物腰がなよなよしている。 ■男もあり 帯と畳紙だけでなく男本体までもがいたというニュアンス。 ■今ぞ 事が発覚した今となっては。 ■あらはしたまはむ 「あらはす」は暴き立てる。 ■寝殿 弘徽殿大后のいる殿舎。