【賢木 34】右大臣、弘徽殿に報告 弘徽殿、源氏の追放を画策
大臣は、思ひのままに、籠《こ》めたるところおはせぬ本性《ほんじやう》に、いとど老の御ひがみさヘ添ひたまひにたれば、何ごとにかはとどこほりたまはん、ゆくゆくと宮にも愁へきこえたまふ。「かうかうの事なむはべる。この畳紙《たたむがみ》は右大将の御手《みて》なり。昔も心ゆるされでありそめにける事なれど、人柄によろづの罪をゆるして、さても見むと言ひはべりしをりは、心もとどめず、めざましげにもてなされにしかば、安からず思ひたまヘしかど、さるべきにこそはとて、世にけがれたりとも思し棄つまじきを頼みにて、かく本意《ほい》のごとく奉りながら、なほその憚《はばか》りありて、うけばりたる女御なども言はせはべらぬをだに、飽かず口惜しう思ひたまふるに、またかかる事さへはベりければ、さらにいと心うくなむ思ひなりはべりぬる。男の例とはいひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通はしなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、わがためもよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざし出でられじとなむ、時の有職《いふそく》と天《あめ》の下《した》をなびかしたまへるさまことなめれば、大将の御心を疑ひはべらざりつる」などのたまふに、宮はいとどしき御心なれば、いとものしき御気色にて、「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひおとしきこえて、致仕《ちじ》の大臣も、またなくかしづく一つ女《むすめ》を、兄《このかみ》の坊にておはするには奉らで、弟の源氏にていときなきが元服の添臥《そひぶし》にとりわき、またこの君をも宮仕にと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰も誰もあやしとやは思したりし。みなかの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違《ほいたが》ふさまにてこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさまにもてなしきこえん、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべりつれど、忍びてわが心の入《い》る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院の御事はましてさもあらん。何ごとにつけても、朝廷《おほやけ》の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世心寄せことなる人なればことわりになむあめる」と、すくすくしうのたまひつづくるに、さすがにいとほしう、など聞こえつることぞと思さるれば、「さはれ、しばしこの事漏らしはべらじ。内裏《うち》にも奏せさせたまふな。かくのごと罪はべりとも、思し棄つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。内々に制しのたまはむに、聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当りはべらむ」など、聞こえなほしたまへど、ことに御気色もなほらず。「かく一所におはして隙《ひま》もなきに、つつむところなく、さて入りものせらるらむは、ことさらに軽《かろ》め弄《ろう》ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、このついでに、さるべき事ども構へ出でむに、よき便りなり、と思しめぐらすべし。
現代語訳
右大臣は、思ったままを口に出して、秘めておくことがおできにならない生来のご性質に加えて、ひどく年老いての頑固さまでも加わっていらっしゃるので、何につけてためらってなどおられよう。
ずけずけと后の宮(弘徽殿大后)にも訴え申し上げなさる。
(右大臣)「これこれの事がございました。この懐紙は右大将(源氏の大将)のご手跡です。昔も私の許しもなく始まった事でしたが、源氏の君の人柄にすべての罪をゆるして、そのまま婿にしようと申しました時は、大将は心にもとどめず、驚くまでけしからぬ態度であしらったので、私は気に食わないと思っていましたが、これも運命であったのだろうとあきらめて、今上帝ならば、娘が汚れ者にされてしまったといっても、まさかお見捨てあそばすこともなかろうと、それを頼みにして、こうして当方のかねてからの希望どおりに出仕させましたが、やはりそこには遠慮があって、他にはばかることのない女御・后とも呼ばせられない、そのことさえ、どこまでも口惜しく思っていましたが、そこにまたこのような不祥事までございましたので、なおさら不愉快に思ってまいりました。男の常とはいいながら、大将もたいそうけしからぬ御気性でありますよ。
斎院にまでも今だに憚りなく言い寄っては、お忍びで御文を通わしなどして、色めいたようすがあることなど、人の語っておりますことも、今上帝の御治世のためのにならないだけでなく、大将ご本人のためにも良いはずのないことなので、まさかそのような思いやりのないことはしでかすまいと、時の識者として天下を動かしていらっしゃるようすも格別のようですので、私は大将の御心を疑っていなかったのですよ」などおっしゃると、后の宮(弘徽殿大后)は、右大臣にもまして激しいご気性なので、たいそう不愉快なご様子で、(弘徽殿大后)「帝と申し上げる御方も、昔より皆人は軽んじ申して、辞職した左大臣も、比類なく大切にしていた一人娘を、当時東宮でいらした兄には差し上げないで、その弟の、源氏で、まだ幼い方の元服の添臥のためにとっておいたり、またこの姫君(朧月夜)を宮仕えに出そうと考えてございましたところ、世間の物笑いぐさになるような呆れたことがございましたのを、いったい誰がけしからぬとお思いになりましたか。右大臣家の人々は皆、源氏を支持していたようでしたが、源氏にかの姫君(朧月夜)を嫁がせたいという期待がはずれた有様で、姫君はこうして尚侍として宮仕えなさっているようですが、それが気の毒なので、どうにかして宮仕えの方面でも、人に劣らぬさまにしてさしあげよう、それが、あんなに忌々しかった人(源氏)への面当てにもなる、などと思っておりましたが、姫君(朧月夜)本人は、こっそりと自分の気に入った男の方に、おなびきになっていたのでございましょう。斎院との一件も、なおさらありそうなことです。何ごとにつけても、朝廷の御ために警戒せねばならぬように見えるのは、東宮の御世がはやく来るようにと特に心寄せしている人なのだから、当然の道理でしょう」と、ずけづけとおっしゃりつづけるにつけ、右大臣はさすがに大将が気の毒になり、なぜ打ち明けてしまったのだとお思いになるので、(右大臣)「まあ、しばらくこの事は他言しないようにいたしましょう。帝にも奏上なさるな。姫君(朧月夜)はこのくらいの過ちでは帝はお見捨てあそばされないだろうことを頼みにして、甘えているのでございましょう。貴女から内々にご注意なさって、聞きませんのでしたら、その罪に、ただみずから当たることでしょう」など、申しなおされるが、后の宮(弘徽殿大后)は、べつだん御機嫌がなおるでもない。
「姫君(朧月夜)がこうして我々と一つの邸にいらして隙もないのに、遠慮なく、こうして入ってこられるのは、自分たちをことさらに軽んじ、ばかにしているのです」とお思いになってみると、たいそうひどく目障りで、こういう時に、源氏の君を追放する手立てを構え出すのは、よい機会である、と思い巡らしているようだ。
語句
■老の御ひがみ 年取ったことから来る頑固さ。偏屈さ。 ■とどこほりたまはん 「とどこほる」はためらう。源氏と朧月夜の密会について娘の弘徽殿大后に報告することをためらわないのである。 ■右大将 ここのみ「右大将」でほかは「大将」。密告相手をずばりその人だと正確に指摘したもの。 ■心ゆるされで 右大将の許可なく朧月夜が源氏と関係を持ったことをさす。 ■さても見む 源氏の正妻葵の上が亡くなった時、右大臣は朧月夜を源氏に嫁がせようという考えがあった(【葵 29】)。しかし源氏は無視した。 ■めざましげにもてなされにしかば 右大臣から見ると「めざましげ」目にあまるほどひどい態度で、源氏が朧月夜との結婚話を無視したこと。 ■世にけがれたりとも思し棄つまじき 「世~まじき」でまったく~なかろう。 ■本意のごとく 右大臣家のかねてからの希望通り。 ■うけばりたる 「うけばる」は他にはばかることなくふるまうこと。一般の女御・更衣でなく中宮の位まで狙っていたことが右大臣の台詞から読み取れる。 ■男の例 右大臣は源氏の好色についても「男の例」とある程度の理解をしめす。 ■斎院 朝顔の斎院。花園式部卿宮の娘。 ■世のためのみにあらず 「世」は朱雀帝の治世をさす。 ■有職 識者・物知り。 ■いとどしき御心 右大臣にもまして激しい御気性。 ■ものしき 不愉快そうな。 ■到仕の大臣 辞表を提出した左大臣。 ■添臥 身分の高い男子が元服の夜、添い寝をさせる相手。そのまま正妻になる場合が多い。 ■誰も誰もあやしとやは思したりし 右大臣家の誰もがけしからんとは思わなかった。あの時非難めいたことを言ったのは自分だけだったと。弘徽殿大后は右大臣家の人々の目のふしあなであったことを批判している。 ■みなかの御方 「みな」は右大臣家の人々。「かの」は源氏の。 ■その本意違ふさまにて 朧月夜を源氏に嫁がせようという願いが外れたこと。 ■かくてもさぶらひたまふめれど 朧月夜が、女御にもなれず尚侍として宮中に仕えていること。 ■さる方にても 出仕方面のことにおいても。 ■わが心の入る方に 朧月夜が源氏に心引かれていることをさす。 ■斎院の御事はましてさもあらん 朧月夜と密会するくらいだから、なおさら斎院とは密会するだろうの意。 ■朝廷 今上帝=朱雀天皇。 ■春宮の御世心寄せことなる人 東宮の即位後の御代に期待することが格別である人。源氏は東宮の後見人。 ■さはれ 「ははあれ」の略。そうなってもよい。右大臣は激昂して弘徽殿大后に事の次第を告げたが、右大臣の話をきいて大后はさらに激しく憤るので、さすがにこれはまずいと右大臣は冷静になり、大后をなだめるのである。 ■罪はべりとも 「罪」は源氏との密会をさす。 ■さるべき事ども 源氏を失脚させるための計画。『河海抄』に菅原道真、源高明の左遷に準拠するかとある。