> 【源氏物語】【須磨 05】旅の準備 紫の上に後事をたくす 所領地を整理【原文・現代語訳・朗読】

【須磨 05】旅の準備 紫の上に後事をたくす 所領地を整理

よろづの事どもしたためさせたまふ。親しう仕うまつり、世になびかぬかぎりの人々、殿の事とり行ふべき上下《かみしも》定めおかせたまふ。御供に慕ひきこゆるかぎりは、また選《え》り出でたまへり。

かの山里の御住み処《か》の具《ぐ》は、え避《さ》らずとり使ひたまふべきものども、ことさらよそひもなくことそぎて、さるべき書《ふみ》ども、文集など入りたる箱、さては琴《きん》一つぞ持たせたまふ。ところせき御|調度《てうど》、華やかなる御よそひなどさらに具したまはず、あやしの山がつめきてもてなしたまふ。さぶらふ人々よりはじめ、よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ。領《りやう》じたまふ御庄《みさう》、御牧《みまき》よりはじめて、さるべき所どころの券《けん》など、みな奉りおきたまふ。それよりほかの御倉町《みくらまち》、納殿《をさめどの》などいふことまで、少納言をはかばかしきものに見おきたまヘれば、親しき家司《けいし》ども具して、知ろしめすべきさまどものたまひ預《あづ》く。

わが御方の中務《なかつかさ》、中将などやうの人々、つれなき御もてなしながら、見たてまつるほどこそ慰めつれ、何ごとにつけてかと思へども、「命ありてこの世にまた帰るやうもあらむを、待ちつけむと思はむ人は、こなたにさぶらへ」とのたまひて、上下《かみしも》みな参《ま》う上《のぼ》らせたまふ。

若君の御乳母《めのと》たち、花散里などにも、をかしきさまのはさるものにて、まめまめしき筋に思し寄らぬことなし。

現代語訳

源氏の君は、あらゆる事について始末をなさる。親しくお仕えして、こうした時勢にもなびかない人々だけに、御邸の仕事をとり行うべき上下の役の者をお決めになる。

源氏の君に御供としてついていく者たちは、またお選び出しなさる。

かの地の山里のお住まいに持っていく道具類は、どうしても必要でお使いになるだろう物どもを、ことさら立派でもなく質素にして、しかるべき書物類や文集などが入っている箱、そのほかは琴一張をお持ちになる。

持て余すようなお道具類、華やかなお召ものなどはまったくお持ちにならず、身分の低い山賤ふうにしていらっしゃる。

お仕えしている人々のことからはじめて、万事、みな西の対(紫の上)にご委任ててになる。

ご領有なさっている荘園、牧場からはじめて、しかるべきあちこちの土地の地券など、みな預けおきなさる。

そのほかの御倉町、納殿などいうことまで、少納言を頼りになる者と見こんでいらっしゃるので、この人に親しい家司どもをつけて、取り仕切っていく心得など、さまざまにお言いつけなさって、預けおかれる。

ご自分にお仕えする中務、中将などといった人々は、「つれない御扱いながら、源氏の君を拝見する時は慰められたのに、今後は何事につけて…」と思うが、(源氏)「命ながらえこの世にまた帰ってくるようなこともあろうから、待っていようと思う人は、こちらにお仕えせよ」とおっしゃって、上下身分の区別なく、西の対に召し寄せになる。

若君(夕霧)の御乳母たち、花散里などにも、源氏の君は、風情ある贈り物はもちろん、実際的なことにおいても、ご思慮が足らないということがない。

語句

■殿の事 「殿」は二条院。 ■かの山里の住み処 須磨での詫び住まい。 ■さるべき書ども 「漆琴一張 儒道仏書各三両巻 楽天既ニ来リテ主為リ」(白氏文集巻二十六・草堂記)。 ■琴 七弦の琴。 ■さぶらう人々 源氏つきの女房たち。 ■西の対 紫の上のこと。居室名はそこに住む人物をさすことが多い。弘徽殿、桐壷など。 ■聞こえわたしたまふ 「聞こえわたす」は「言いわたす」の謙譲語。ご委任になる。 ■券 土地の権利を所有することを証明する書類。 ■御倉町 倉の立ち並んだところ。 ■納殿 財産を入れる倉庫。 ■少納言 紫の上の乳母。 ■家司 親王家・摂関家・三位以上の家に仕えて家政をとりしきる者。 ■知ろしめす 取り仕切る。 ■わが御方 源氏つきの女房。 ■何ごとにつけて 下に「慰まむ」を省略。 ■こなたに 西の対=紫の上方に。 ■をかしきさま 形見としてふさわしい風情のある贈り物。 ■まめまめしき筋 「をかしきさま」との対象で、生活の糧となるような実際的なもの。衣料など。

朗読・解説:左大臣光永

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