【須磨 22】上巳の祓の日、暴風雨に襲われる

弥生《やよひ》の朔日《ついたち》に出で来たる巳《み》の日、「今日なむ、かく思すことある人は、禊《みそぎ》したまふべき」と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障《ぜじやう》ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師《おむみやうじ》召して、祓《はらへ》せさせたまふ。舟にことごとしき人形《ひとがた》のせて流すを見たまふに、よそへられて、

知らざりし大海《おほうみ》の原に流れきてひとかたにやはものは悲しき

とて、ゐたまへる御さま、さる晴《はれ》に出でて、言ふよしなく見えたまふ。海の面《おもて》うらうらとなぎわたりて、行《ゆ》く方《へ》もしらぬに、来《こ》し方《かた》行く先思しつづけられて、

八百《やほ》よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ

とのたまふに、にはかに風吹き出でて、空もかきくれぬ。御|祓《はらへ》もしはてず、立ち騒ぎたり。肘笠《ひぢかさ》雨とか降りきて、いとあわたたしければ、みな帰りたまはむとするに、笠も取りあへず。さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。浪いといかめしう立ちきて、人々の足をそらなり。海の面は、衾《ふすま》を張りたらむやうに光り満ちて、雷《かみ》鳴りひらめく。落ちかかる心地して、からうじてたどりきて、「かかる目は、見ずもあるかな」「風などは、吹くも、気色《けしき》づきてこそあれ。あさましうめづらかなり」とまどふに、なほやまず鳴りみちて、雨の脚《あし》、あたる所|徹《とほ》りぬべく、はらめき落つ。かくて世は尽きぬるにやと、心細く思ひまどふに、君はのどやかに経うち誦《ず》じておはす。暮れぬれば、雷《かみ》すこし鳴りやみて、風ぞ夜《よる》も吹く。「多く立てつる願《ぐわん》の力なるべし」「いましばしかくあらば、浪に引かれて入りぬべかりけり」「高潮《たかしほ》といふものになむ、とりあへず人損はるるとは聞けど、いとかかることは、まだ知らず」と言ひあへり。暁方みなうち休みたり。君もいささか寝入りたまへれば、そのさまとも見えぬ人来て、「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」とて、たどり歩《あり》くと見るに、おどろきて、さは海の中の龍王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけりと思すに、いとものむつかしう、この住まひたへがたく思しなりぬ。

現代語訳

三月の初旬にまわってきた巳の日に、「今日は、このように悩み事がある人は禊をなさるべきです」と、半端に物知りな人が申し上げたので、源氏の君は、海辺もご覧になりたくてご出発なさる。

たいそう略式に、軟障だけを引きめぐらして、この国に通っている陰陽師をメシて、祓をさせなさる。舟に仰々しい人形《ひとがた》をのせて流すのをご覧になると、源氏の君はわが身になぞらえられて、

(源氏)知らざりし…

(まだ知らぬ大海原に人形のように流れてきて、ひとかたならず悲しい思いをすることになろうとは)

といって、座っていらっしゃるご様子は、しかるべき晴の場にお出になっていらっしゃるようで、言いようもなく美しくお見えになる。

海の面がうららかに一面に凪いでいて、果てしもなく見える中、源氏の君は過去のこと未来のことを思いつづけられて、

(源氏)八百よろづ…

(八百よろづの神々も私のことをあわれみ給うだろう。これといって罪を犯していないのだから)

とおっしゃると、にわかに風が吹いてきて、空も真っ暗になった。御祓も最後まで終えることなく、立ち騒いでいる。

肘笠雨とかいうものが降ってきて、たいそうあわただしいので、みなお帰りになろうとするが、笠を取り出す余裕もない。

暴風雨が吹くなどとは思っていなかったので、あらゆるものを吹き散らしてしまい、またとないひどい風である。

浪がとても恐ろしく立ってきて、人々の足を宙に投げ出させるほどだ。海の面は、衾をひっぱったように一面光って、雷が鳴り響く。

雷が落ちるように思えたので、かろうじて邸にたどりついて、(供人)「こんな目には、遭ったことがないな」「風などは、吹くとしても、まず前兆があってから吹くものだ。呆れるほど珍しいことよ」と困惑している中、依然としてやまずそこらじゅうで雷が鳴り、雨脚が、当たるところは突き通す勢いで、ばらばらと降り落ちる。

こうして世は終わりになってしまうのかと、心細く困惑している中、源氏の君は落ち着いて経を唱えていらっしゃる。

日が暮れてしまうと、雷がすこし鳴りやんだが、風は夜も吹く。

(供人)「多く立てた願の力であろう」「もうう少しこうしていたら、浪に引かれて海に入っていたに違いない」「高潮というものに、あっという間に人がやられてしまうと聞くが、このようなひどいことは、いまだ知らない」と言い合った。

暁方にみな休んだ。源氏の君もすこし寝入られたところ、何者とも見えない人が来て、「どうして、宮からお呼びなのに参られぬのか」といって、うろうろと君を探して歩きまわっていると見るやいなや、目がさめて、さては海の中の龍王が、とてもたいそう物愛でするもので、自分のことを見込んだのだとお思いになるにつけ、ひどく気味が悪く、この住まいが我慢できないものに思えてこられた。

語句

■弥生の朔日 三月朔日(上旬)に巳の日がくると穢を祓うために禊をする。 ■なまさかしき 中途半端に賢い人。 ■軟障 幔幕。 ■陰陽師 陰陽寮の職員。天文・占い・方位・祓などをつかさどる。 ■祓 神に祈って穢を祓う儀式。 ■人形のせて 等身大の人形か。 ■知らざりし… 源氏は人形が流されるのを見て自分の境遇をかさねる。「ひとかた」に「人形」をかける。 ■八百よろづ… 「八百万の神たちを神《かむ》集へ集へたまひ」(六月晦大祓)。 ■肘笠雨 急に降ってきたので笠がなく肘で雨を防がなくてはならないほどの雨。「妹が門、夫《せな》が門、行き過ぎかねて、や、わが行かば、肱笠《ひぢかさ》の、肱笠の、雨もや降らなむ、しでたをさ、雨やどり、笠やどり、宿りてまからむ、しでたをさ」(催馬楽・妹が門)。 ■足をそらなり 大慌てしていることのたとえ。 ■衾 四角形の掛け布団。 ■高潮 津波。 ■とりあへず 何を取る余裕もなく。取るものも取りあえず。 ■そのさまとも見えぬ 人とも、神とも、鬼ともわからない異形の者。具体的な風貌の描写がないだけに不気味である。 ■ものめでする 美しい事物を愛すること。

朗読・解説:左大臣光永

■【古典・歴史】メールマガジン
【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル