【明石 08】初夏の夕月夜 源氏、淡路島をのぞみ琴を弾く 入道、琵琶で伴奏する

四月になりぬ。更衣《ころもがへ》の御|装束《さうぞく》、御帳の帷子《かたびら》など、よしあるさまにしいづ。よろづに仕うまつり営むを、いとほしうすずろなりと思せど、人ざまのあくまで思ひあがりたるさまのあてなるに、思しゆるして見たまふ。

京よりも、うちしきりたる御とぶらひども、たゆみなく多かり。のどやかなる夕月夜《ゆふづくよ》に、海の上曇りなく見えわたれるも、住み馴れたまひし古里《ふるさと》の池水に、思ひまがへられたまふに、言はむ方《かた》なく恋しきこと、いづ方となく行く方なき心地したまひて、ただ目の前に見やらるるは、淡路島なりけり。「あはとはるかに」などのたまひて、

あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月

久しう手ふれたまはぬ琴《きん》を、袋より取り出でたまひて、はかなく掻き鳴らしたまへる御さまを、見たてまつる人もやすからずあはれに悲しう思ひあへり。

広陵《くわうりやう》といふ手をあるかぎり弾き澄ましたまへるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音にあひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり。何とも聞きわくまじきこのもかのものしはふる人どもも、ずずろはしくて浜風をひき歩く。入道もえたへで、供養法《くやうほう》たゆみて急ぎ参れり。

「さらに、背《そむ》きにし世の中もとり返し思ひ出でぬべくはべり。後《のち》の世に願ひはべる所のありさまも、思うたまへやらるる夜のさまかな」と、泣く泣くめできこゆ。わが御心にも、をりをりの御遊び、その人かの人の琴《こと》笛、もしは声の出でしさま、時々につけて、世にめでられたまひしありさま、帝よりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、人の上もわが御身のありさまも、思し出でられて、夢の心地したまふままに、掻き鳴らしたまへる声も、心すごく聞こゆ。ふる人は涙もとどめあへず、岡辺に琵琶《びわ》箏《しよう》の琴《こと》取りにやりて、入道、琵琶の法師になりて、いとをかしうめづらしき手一つ二つ弾き出でたり。箏《さう》の御琴参りたれば、すこし弾きたまふも、さまざまいみじうのみ思ひきこえたり。いとさしも聞こえぬ物の音《ね》だにをりからこそはまさるものなるを、はるばると物のとどこほりなき海づらなるに、なかなか、春秋の花紅葉の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる蔭どもなまめかしきに、水鶏《くひな》のうちたたきたるは、誰《た》が門《かど》さして、とあはれにおぼゆ。

音《ね》もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも、御心とまりて、「これは、女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそをかしけれ」と、おほかたにのたまふを、入道はあいなくうち笑みて、「遊ばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらん。なにがし、延喜の御手より弾き伝へたること三代になんなりはべりぬるを、かうつたなき身にて、この世のことは棄て忘れはべりぬるを、ものの切《せち》にいぶせきをりをりは、掻《か》き鳴らしはべりしを、あやしうまねぶ者のはべるこそ、自然《じねん》にかの前大王《ぜんだいわう》の御手に通ひてはベれ。山伏のひが耳に松風を聞きわたしはべるにやあらん。いかで、これ忍びて聞こしめさせてしがな」と聞こゆるままに、うちわななきて涙落すべかめり。

君、「琴《こと》を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに。ねたきわざかな」とて、押しやりたまふに、「あやしう昔より箏《しやう》は女なん弾きとる物なりける。嵯峨の御伝へにて、女五の宮さる世の中の上手にものしたまひけるを、その御筋にて、とり立てて伝ふる人なし。すべてただ今世に名を取れる人々、かきなでの心やりばかりにのみあるを、ここにかう弾きこめたまへりける、いと興ありけることかな。いかでかは聞くべき」とのたまふ。

「聞こしめさむには何の憚《はばか》りかはべらん。御前に召しても。商人《あきびと》の中にてだにこそ、古ごと聞きはやす人ははべりけれ。琵琶なむ、まことの音《ね》を弾きしづむる人いにしへも難《かた》うはべりしを、をさをさとどこほることなう、なつかしき手など筋ことになん。いかでたどるにかはべらん。荒き浪の声にまじるは、悲しくも思うたまへられながら、かき集むるもの嘆かしさ、紛るるをりをりもはべり」など、すきゐたれば、をかしと思して、箏《さう》の琴とりかへて賜はせたり。げにいとすぐして掻い弾きたり。

今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐《から》めき、揺《ゆ》の音《ね》深う澄ましたり。伊勢の海ならねど、清き渚に貝や拾はむなど、声よき人にうたはせて、我も時々拍子とりて、声うち添へたまふを、琴弾きさしつつめできこゆ。御くだものなどめづらしきさまにて参らせ、人人に酒強ひそしなどして、おのづからもの忘れしぬべき夜のさまなり。

現代語訳

四月になった。入道が、衣更えのお召し物や、御帳の垂れ衣などを、風情ある感じに調える。万事お世話申し上げるので、源氏の君は気の毒でそんなむやみやたらに世話しなくてもとお思いになるが、入道の人柄がどこまでも気位高いようすが気品に満ちていることに免じて、入道のなすがままに任せていらっしゃる。

京からも、それまでしきりに来ていたお見舞いの使者たちは、相変わらず絶えることがない。のんびりとした、月の出ている夜に、海の上が曇り無くずっとむこうまで見渡せて、住み慣れていらした故郷の池水と、見まちがうかとお思いになるにつけ、言いようもない恋しさ、その恋しさがどこへともなく行く先もわからないお気持になられて、ふと気がつくと、目の前に遠く望まれるのは、淡路島であったのだ。(源氏)「あはとはるかに」などお口ずさみになって、

(源氏)あはと見る…
(今、私に望郷の念を起こさせるだけでなく、昔、躬恒が「あは」といって眺めた淡路島の感慨までも残るところなく思い起こさせる、澄んだ夜の月であるよ)

久しく手をおふれでなかった琴を、袋から取り出しなさって、ほんの少し掻き鳴らしていらっしゃる御姿を、拝見する人も感に堪えず、しみじみと悲しく思いあった。

広陵という曲を、あるかぎりの手で弾き澄まされると、あの岡の麓の家でも、松の響き、波の音とまじりあって、心得のある若い女房たちは身にしみて胸打たれているようだ。何とも聞き分けることもできないようなあちこちの山賎どもも、なんとなく気分が高揚して浜風に吹かれて風邪をひく。入道も気分の高まりが抑えられず、供養法を中断して急いで源氏のもとに参った。

(入道)「あらためて、いったん捨て去った俗世間のことも昔に返って思い出されそうでございます。後の世に願ってございます極楽浄土のありさまも、思いやられます今宵の風情でございますな」と、泣く泣くおほめ申し上げる。

源氏の君ご自身のお気持にも、折々の管弦の御遊びや、あの人この人の琴、笛の音、もしくは声の出しよう、またその時々、世にめでられなさったようす、帝をはじめ、多くの人から大切にされ、あがめられていらしたことを、他人の身の上のことも、わが御身のありさまも、ついお思い出しなさって、夢のような心地がなさるままに、掻き鳴らされる琴の音も、恐ろしいほどに愁いが漂って聞こえるのだ。

老人は涙もとどめられず、岡の麓に琵琶・箏の琴を取りにやって、入道が琵琶法師の体になって、たいそう面白くめずらしい曲を一つ二つ弾き出した。

箏の御琴をお渡ししするので、源氏の君がすこしお弾きになるにつけても、入道はこの君はさまざまの事においてすぐれているとばかり思い申し上げる。

それほどでもない物の音さえも時によってはよく聞こえるものなのに、はるばると遮る物のない海の面であれば、かえって、春の花の盛り、秋の紅葉の盛りであるよりも、ただ何となく茂っているあちこちの木蔭が優美で、水鶏が叩いているのも、まさに「誰が門さして」と尋ねたいほど、しみじみ感慨深く思われる。

たいそう比類なく素晴らしい音が出るさまざまな楽器を、入道がとても見事に弾き鳴らしているのにも、源氏の君は御心ひかれて、(源氏)「これは、女が魅力的なようすで、くつろいだ感じで弾いているのが面白いのだが…」と、一般論としておっしゃると、入道はわけもなく笑みを浮かべて、(入道)「わが君がお弾きあそばすよりも魅力的であるというのは、どこにとてございましょう。それがし、延喜の帝の御手より弾き伝えること三代になりますが、こうしたつたない身で、俗世のことは棄て忘れてございますが、ひどく心塞がる折々は、琴を掻き鳴らしておりますが、不思議にもそれを真似する者がおりますのが、自然にあの前の帝の御手に似通っているのでございます。卑しき山賤のひが耳で、松風の音を聞き間違っているのでございましょうか。どうにかして、これを内々にお耳に入れ申し上げたいものでございます」と申し上げながらも、身をふるわせて涙を落しかねないようすである。

源氏の君は、「私の琴など琴ともお聞きになるはずもなかった方々のいらっしゃる所でつたない手を弾いたりして…。残念なことでしたよ」といって、箏の琴を押しやられて、(源氏)「不思議なことに、昔から箏は女性が奏法を習い取る物でした。嵯峨の帝の御伝授で、女五の宮は、しかるべき世の中の名手でいらっしゃいましたが、そのお血筋の中には、取り立ててその御手を伝える人もありません。すべて現在世に名人の評判を取る人々は、ただ表面だけの気晴らしだけですのに、ここに、こうして奏法を人知れず隠しこめていらっしゃることは、実に興味深いことですね。どうしたら聞けるでしょう」とおっしゃる。

(入道)「お聞きになられるのに何のご遠慮がございましょう。御前に召してでもよろしいのです。商人の中にさえ、古くから伝わる琴を聞かれて感心された人はございましたよ。琵琶は、ほんとうの音を落ち着いた感じに弾く人は昔もめったにございませんでしたが、かの者はほとんどとどこおることなく、優美な弾き方など手筋がことにすぐれてございます。どうやって覚えましたのでしょう。荒波の音にまじらせておくのは悲しく存じますが、さまざまに積もる嘆きが、紛れる折々もございます」などと、その言い方が数寄者めいているので、源氏の君はおもしろいとお思いになって、箏の琴を琵琶ととりかえてお与えになった。なるほどたいそう見事に弾き鳴らす。

入道は今の世に聞かない筋を弾きなれていて、手さばきが実にたいそう唐風で洒落ていて、揺の音を深く澄んだかんじに鳴らしている。

ここは伊勢の海ではないが、「清き渚に貝や拾はむ」などと、声のよい人に謡わせて、源氏の君ご自身も時々拍子を取って、声を添えられるのを、琴を時々弾きやめては、おほめ申し上げる。

お菓子など珍しいありさまに作って差し上げ、お供の人々に酒を無理強いなどして、自然と、浮世を忘れてしまいそうな、夜の風情である。

語句

■四月になりぬ 困難ばかりだった三月が過ぎ、万物が生まれ変わる四月、衣更の季節。源氏の人生もあらたな局面を迎える。 ■帷子 寝台の周囲の垂れ絹。四月から夏用のに取り替える。 ■すずろなり 「すずろ」「そぞろ」は、理由もなく、むやみやたらに。 ■夕月夜 夕方の月。また、月の出ている夕方。 ■恋しきこと 「こと」は感動詠嘆。ついで「恋しきこと」を主語として以下の文につながる。 ■あはとはるかに 「淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今・雑上・1515 躬恒)。「あは」は「あれは」の意。「阿波戸」をかける。歌意は、淡路島であれが月かと遥か遠くに見たその月が、今夜は近くに見えるのは、場所が場所だからだろうか。 ■あはと見る… 躬恒の歌を引く。「あは」を三度繰り返す。「澄める」に「為《す》」をかける。 ■琴 渡来の七弦の琴。 ■広陵 琴の秘曲。晋の嵆康《けいこう》が華陽亭で琴を弾いた時、夢の中に堯の時代の楽人伶倫《れいりん》があらわれて伝授したという。 ■かの岡辺の家 入道の娘のすまい。 ■しはふる人 諸説あり。木の葉の散りかかるのを打ち払う身分卑しき男女。あるいは「為侘ぶる人」で、侘しい暮らしをする貧民の意か。 ■浜風 「風」に「風邪」をかける。 ■供養法 供養のために行う行法。供養する対象は父母、亡者などさまざま。 ■さらに 改めて。 ■後の世に願いはべる所 極楽浄土。源氏の弾く琴の音に極楽浄土を思った。 ■心すごし 気味が悪い。 ■ふる人 老人。明石の入道のこと。 ■箏の琴 十三絃の琴。 ■琵琶の法師になりて 入道がにわか作りの琵琶法師の体になって。 ■いとさしも 下に「よくは」などが省略。 ■なかなか 春の花の盛り、秋の紅葉の盛より、この時期(四月)は何の盛でもないがゆえに、かえって何となくの風情があると。 ■水鶏 水辺にすむ鳥。鳴き声が戸を叩くのに似ているので、水鶏が鳴くことを水鶏が叩くという。「ホト、ホト、ホト…」といったかんじ。「此宿は水鶏も知らぬ扉かな」(芭蕉)。 ■誰が門さして 「まだ宵にうち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ」(源氏釈)。歌意は、まだ宵のうちに来て叩く(鳴く)水鶏だなあ、誰が門を閉ざして入れまいとしているのだろうか。 ■しどけなう 「しどけなし」はくつろいでいるさま。 ■おほかたにのたまふ 一般論としておっしゃる。とくに入道の娘のこととしてではなく。 ■あいなく 「あいなし」は関連性がない。源氏は一般論として言ったのに、入道はわが娘のこととして受け取り、笑った。それが「あいなし」であると。 ■いづこのか 「の」は「なり」の連用形。「にして」の意。 ■なにがし 謙譲の意をこめた自称。 ■延喜の帝 醍醐天皇(在位897-930)。音楽に優れていたという。 ■いぶせき 「いぶせし」は心が晴れない。気が滅入る。 ■まねぶ者 娘のことをいう「まねぶ」はそっくりそのまま習う。 ■前大王 延喜帝、もしくは入道に音楽を伝授した親王。 ■山伏 山中にすむ身分卑しき者。入道の謙遜。 ■松風を聞きわたしはべるにや 松風の妙なる音を琴の音と聞き違えているのでしょうか。 ■うちわななきて 入道はこれまでも娘のことを源氏にお話申し上げたいと思いつつ、遠慮してなかなかそれができなかった。今回、思わぬことに娘のことを言い出すことができて興奮しているのである。 ■琴を琴とも… 「松風に耳なれにける山伏は琴を琴とも思はざりけり」(花鳥余情 寿玄法師)を引く。 ■女五の宮 嵯峨天皇の第五皇女繁子。 ■かきなでの心やり ただ表面をなでただけの、気晴らし。 ■弾きこめたまへりける 奏法を人知れず隠し持っていらっしゃる。 ■商人の中にも 「元和(げんな)十年、予(よ)九江郡(きゅうこうぐんの)司馬(しば)に左遷せらる。明年(みょうねん)秋、客(かく)を湓浦(ぼんぼ)の口(ほとり)に送り、舟中(しゅうちゅう)に夜琵琶を弾く者を聞く。其の音を聴けば錚錚然(そうそうぜん)として京都(けいと)の聲(こえ)有り、其の人を問えば、本(もと)長安の倡(うた)い女(め)、嘗(かつ)て琵琶を穆(ぼく)・曹(そう)のニ善才(にぜんし)に学ぶと。年長じて色衰え身を委(ゆだ)ねて賈人(こじん)の婦(つま)と為(な)ると…」(白氏文集巻十二・琵琶行幷序) ■古ごと 「事」と「琴」をかける。 ■聞きはやす 聞いてほめるにたる人。 ■たどる 習得すること。 ■すきゐたれば 「すく」は物事に没頭し、強い関心をいだくさま。 ■弾きつけて 「つく」は馴れる、習慣づく。 ■唐めき 「唐めく」は唐風で洒落ていること。 ■揺の音 左手で絃を押さえて揺すって出す音。 ■清き渚に貝や拾はむ 「伊勢の海の、清き渚に、潮がひに、なのりそや摘まむ、貝や拾はむや、玉や拾はむや」(催馬楽・伊勢の海)。 ■強ひそしなどして 「強ひそす」の「過《そ》す」は度を越している。…しすぎる。

朗読・解説:左大臣光永

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