【澪標 04】太政大臣家のにぎわい 夕霧の童殿上 二条院の人々への気遣い

原文

世の中すさまじきにより、かつは籠《こも》りゐたまひしを、とり返しはなやぎたまへば、御子どもなど、沈むやうにものしたまへるを、みな浮かびたまふ。とりわきて宰相中将、権中納言になりたまふ。かの四の君の御腹の姫君十二になりたまふを、内裏《うち》に参らせむとかしづきたまふ。かの高砂《たかさご》うたひし君も、からぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹々に御子どもいとあまた次々に生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣《おとど》はうらやみたまふ。

大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、内裏《うち》春宮《とうぐう》の殿上したまふ。故姫君の亡せたまひにし嘆きを宮大臣またさらにあらためて思し嘆く。されどおはせぬなごりも、ただこの大臣の御光に、よろづもてなされたまひて、年ごろ思し沈みつるなごりなきまで栄えたまふ。なほ昔に御心ばへ変らず、をりふしごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御|乳母《めのと》たち、さらぬ人々も、年ごろのほどまかで散らざりけるは、みなさるべき事にふれつつ、よすがつけむことを思しおきつるに、幸ひ人多くなりぬべし。

二条院にも同じごと待ちきこえける人を、あはれなるものに思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、中将|中務《なかつかさ》やうの人々には、ほどほどにつけつつ情を見えたまふに、御|暇《いとま》なくて、外歩《ほかあり》きもしたまはず。二条院の東《ひむがし》なる宮、院の御|処分《しようぶん》なりしを、二なく改め造らせたまふ。花散里などやうの心苦しき人々住ませむなど、思しあててつくろはせたまふ。

現代語訳

太政大臣は世の中がおもしろくなかったため、実はそれが一つの原因で引きこもっていらしたのだが、今はうって変わってはなやいでいらっしゃるので、御子たちなども、以前は沈むようにしていらしたが、みな浮かびあがっていらっしゃる。

中でも宰相中将は権中納言におなりである。あの四の君の御腹の姫君が十二歳におなりなのを、入内させようと大切にお育てしていらっしゃる。

あの高砂を謡った君も、元服させて、たいそう思うままに事が運んでいらっしゃる。方々の御婦人の御腹に御子たちがとても多く次々に生まれ生まれて、にぎやかそうなのを、源氏の大臣はうらやましく思われる。

大殿の姫君腹の若君(夕霧)は、人より格別に可愛らしくて、宮中・東宮の童殿上をなさる。故姫君(葵)がお亡くなりになった悲しみを大宮も太政大臣もいまさらに改めて思いお嘆きになる。

しかし姫君がお亡くなりになった後も、ひとえにこの源氏の内大臣の御威光によって、万事引き立てられて、長年失意に沈んでいらした名残もないほどまでにご栄達になる。

源氏の内大臣は、やはり今も昔のままに御気性が変わらず、折節ごとに太政大臣邸においでなどしつつ、若君の御乳母たちや、その他の人々も、長年にわたって里に下がることなくお仕えしてきた人たちに対しては、みなしかるべき事にふれつつ、便宜をはかることを気にかけていらっしゃったので、幸い人が多くなってゆくにちがいない。

二条院でも同じように源氏の君のご帰京をお待ち申し上げていた人を、君はいじらしくお思いになって、年来の悲しい思いが晴れるようにしてやりたいとお思いになるにつけ、中将や中務といった女房たちには、その身分に応じてはお情けをおかけになるので、御暇がなくて、外歩きもなさらない。

二条院の東にある御殿が、故桐壺院の御遺産であったのを、ほかにないほど立派にご改築なさる。花散里などといったいじらしい人々を住まわせようなどと、お心づもりをされてご造営なさるのだ。

語句

■宰相中将 もとの頭中将。太政大臣(もとの左大臣)の長男。 ■四の君 前太政大臣の四の君。弘徽殿女御の妹。 ■かの高砂うたひし君 中将の次男。四の君腹。「中将の御子の、今年はじめて殿上する、八つ九つばかりにて、声いとおもしろく、笙《さう》の笛吹きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ」(【賢木 32】)。 ■大殿腹の若君 葵の上が生んだ男子。夕霧。この時八歳。 ■殿上 童殿上。宮中の作法見習いのため、貴族の子弟が昇殿を許さて宮中で奉仕すること。 ■宮大臣 「宮」は葵の上の母君、「大宮」は太政大臣。もとの左大臣。 ■よすがにつけむ 「よすが」は頼りとなる方法。それを見つけてやること=便宜をはかるの意か。 ■胸あく 胸の思いが晴れる。「明く」は夜が明ける、明るくなる。 ■院の御処分 故桐壺院の遺産として分配されたもの。 ■花散里などやうの心苦しき人々を住まわせむなど 源氏は内大臣という重職ゆえ、以前のような気軽な外歩きができない。ならば自分が出向くのでなく方々のお通い所から人々を集めて住まわせようという発想。後の六条院につながっていく。

朗読・解説:左大臣光永