【蓬生 10】惟光、末摘花の邸内をさぐる

原文

惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方《かた》やと見るに、いささかの人げもせず。さればこそ、往《ゆ》き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを、と思ひて、帰り参るほどに、月明かくさし出でたるに見れば、格子二間ばかりあげて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて声づくれば、いともの古《ふ》りたる声にて、まづ咳《しはぶき》を先にたてて、「かれは誰《たれ》ぞ。何人《なにびと》ぞ」と問ふ。名のりして、「侍従の君と聞こえし人に対面《たいめん》たまはらむ」と言ふ。「それは外《ほか》になんものしたまふ。されど思しわくまじき女なむはべる」と言ふ。声いたうねび過ぎたれど、聞きし老人《おいびと》と聞き知りたり。

内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかに、もてなしなごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、もし狐などの変化《へんげ》にやとおぼゆれど、近う寄りて、「たしかになむ承らまほしき。変らぬ御ありさまならば、たづねきこえさせたまふべき御心ざしも絶えずなむおはしますめるかし。今宵《こよひ》も行き過ぎがてにとまらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」と言へば、女どもうち笑ひて、「変らせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅《あさぢ》が原をうつろひたまはでははべりなんや。ただ推《お》しはかりて聞こえさせたまへかし。年|経《へ》たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごしはべる」と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきがむつかしければ、「よしよし。まづかくなむ聞こえさせん」とて参りぬ。

現代語訳

惟光が邸の中に入って、あちこち巡って人の音する所はないかと見るが、少しの人の気配もしない。「それ見たことか、これまでも往き来の道から中を見た時は、人が住んでいる様子もなかったのに」と思って、帰り参ろうとした時、月が明るくさし出たので見ると、格子を二間ほど上げて、簾が動くようすである。

ようやく人の気配を見つけた思いは、恐ろしくさえ思われるのだが、近くに寄って咳払いをすると、たいそう年寄りじみた声で、まず咳をしてから、「そこにいるのは誰か。何人か」と問う。

惟光は名乗って、(惟光)「侍従の君と申す人に対面させていただきたい」と言う。「その者はよそに行ってしまいました。しかしその者と同じように考えてもらってよい女房がございます」と言う。声はひどく年をとりすぎているが、聞き覚えのある老女とわかった。

邸内には、思いもよらず、狩衣姿の男が、ひっそりとして、物腰も和やかであるので、女たちはこういう者を見慣れなくなっていた目に、もしかして狐などが化けたのだろうかと思ったが、惟光が近寄って、(惟光)「はっきりと承りたいのです。姫君が昔と変わらぬ御ようすならば、源氏の君はお訪ね申し上げなさるべき御気持も変わらず持っておられるようです。今宵もこのまま通り過ぎにくくてお車をお停めになりましたのですが、何と申し上げましょう。ご心配なさらずおっしゃってください」と言えば、女房たちも笑って、「お変わりになられた御ようすならば、こんな浅茅が原からお移りになられもせずにございましょうか。ただご推察なさって、よろしく申し上げくださいまし。私ども年取った者の心にも、他にまず類はあるまいというほどに、珍しいお暮らしをしてお過ごしになってございます」と、少しずつぽつぽつと話し出して、聞いてないことまで話し出しそうなのが厄介なので、(惟光)「よいよい。まずはこう申し上げよう」といって惟光は源氏の君のもとに参った。

語句

■めぐるめぐる 建物の周囲をあちこち見てまわる。 ■さればこそ 「さ」は「いささかの人げもせず」をさす。 ■声づくれば 「声づくる」は咳払いをして自分の存在をしらせること。 ■思しわくまじき女 侍従と同じように見なしてよい女房。この老女房のこと。 ■狩衣姿なる男 惟光。女房たちの視点からの描写。 ■狐などの変化にや こんな荒れた宿に狩衣姿の男の来訪など考えられず、狐などの変化としか思えない。 ■うしろやすくを 怪しい者ではないから安心なさいの意。「を」は感嘆。 ■うち笑ひて 狐の変化などではなく、待ちわびていた源氏の君のご来訪とわかり喜ぶ。 ■はべる 係り結びの法則からいえば「はべれ」となるべきところ。 ■くづし出でて 「くづす」は少しずつ話し出すこと。 ■むつかしければ 老女房の話につきあっていると源氏を待たせることになるから。

朗読・解説:左大臣光永