【絵合 10】源氏と帥宮、才芸を語る 後の遊宴
夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御|土器《かはらけ》などまゐるついでに、昔の御物語ども出で来て、「いはけなきほどより、学問に心を入れてはべりしに、すこしも才などつきぬべくや御覧じけむ、院ののたまはせしやう、才学《さいがく》といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命幸《いのちさいは》ひと並びぬるは、いと難きものになん。品高く生《む》まれ、さらでも人に劣るまじきほどにて、あながちにこの道な深く習ひそ、といさめさせたまひて、本才《ほんざい》のかたがたのもの教へさせたまひしに、拙《つた》なきこともなく、またとり立ててこの事と心得ることもはべらざりき。絵描くことのみなむ、あやしく、はかなきものから、いかにしてかは心ゆくばかり描きてみるべきと思ふをりをりはべりしを、おぼえぬ山がつになりて、四方《よも》の海の深き心を見しに、さらに思ひ寄らぬ隈《くま》なくいたられにしかど、筆のゆく限りありて、心よりは事ゆかずなむ思うたまへられしを、ついでなくて御覧ぜさすべきならねば、かうすきずきしきやうなる、後《のち》の聞こえやあらむ」と、親王《みこ》に申したまへば、「何の才《ざえ》も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、まねびどころあらむは事の深さ浅さは知らねど、おのづからうつさむに跡ありぬべし。筆とる道と碁打つこととぞ、あやしう魂《たましひ》のほど見ゆるを、深き労《らう》なく見ゆるおれ者も、さるべきにて描き打つたぐひも出で来れど、家の子の中には、なほ人に抜けぬる人、何ごとをも好み得けるとぞ見えたる。院の御前にて、親王《みこ》たち、内親王《ないしんわう》、いづれかはさまざまとりどりの才《ざえ》ならはさせたまはざりけむ。その中にも、とり立てたる御心に入れて、伝へうけとらせたまへるかひありて、文才《もんざい》をばさるものにていはず、さらぬことの中には、琴《きん》弾かせたまふことなん一の才にて、次には横笛、琵琶、箏《さう》の琴《こと》をなむ次々に習ひたまへると、上も思しのたまはせき。世の人しか思ひきこえさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだ事とこそ思ひたまへしか。いとかうまさなきまで、いにしへの墨書きの上手ども跡をくらうなしつべかめるは、かヘりてけしからぬわざなり」と、うち乱れて聞こえたまひて、酔《ゑひ》泣きにや、院の御事聞こえ出でて、みなうちしほたれたまひぬ。
二十日あまりの月さし出でて、こなたはまださやかならねど、おほかたの空をかしきほどなるに、書司《ふんのつかさ》の御|琴《こと》召し出でて、和琴《わごん》、権中納言たまはりたまふ。さは言へど、人にまさりて掻きたてたまへり。親王《みこ》、箏《さう》の御|琴《こと》、大臣、琴《きん》、琵琶は少将|命婦《みやうぶ》仕うまつる。上人《うへびと》の中にすぐれたるを召して、拍子《はうし》たまはす。いみじうおもしろし。明けはつるままに、花の色も人の御|容貌《かたち》どももほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり。禄《ろく》どもは、中宮の御方よりたまはす。親王《みこ》は御|衣《ぞ》、また重ねてたまはりたまふ。
現代語訳
夜明け方近くなる頃に、源氏の大臣はなんとなく胸にせまる思いになられて、御盃などお取りになるついでに、昔のさまざまな御思い出話が出て来て、(源氏)「私は幼い頃から、学問に身を入れてきましたが、いささかでも学才などが身につくだろうと御覧になられたのでしょうか、院が仰せになられましたのは、『学識というものは、世間で重く見るからであろうか、深く極めた人で、長寿と幸福とを両立させることは、とても難しいものなのだ。身分高く生まれ、そんなことはせずとも人に劣らぬだろう立場なのだから、むやみにこの道を深く習うものではない」とお諌めになられて、芸能のもろもろをお教えくださいましたが、拙いこともなく、かといってまた取り立ててこの事と心得ることもございませんでした。絵を描くことだけは、不思議と、たわいもないことではありますが、どうすれば心ゆくまで描いてみることができるかと思う折々がございましたが、思いもよらぬ山賤になって、四方の海の深い心を見ましたので、まったく至らぬ所がないほどまでに会得されましたが、筆の運びには限りがあって、心に思い描いているほどはうまく描けないと思っておりましたのを、なにかの機会がなくては御覧に入れるようなものでもないのでこうしてお見せしたのですが、このような物好きめいたことは、後からどう言われるでしょうか」と、帥宮にお話になられると、(帥宮)「どんな芸能も、心がこもっていなくては身につけることはできませんが、その道その道に師匠があって、学ぶべき筋があるようなのは、事の深さ浅さはともかくとして、自然と学んだ結果が残るに違いありません。しかし筆をとる道と碁を打つこととは、不思議と天分のほどがあらわれるもので、深い修練をつんでいないと見える凡人でも、しかるべき程度に描き打つ者も出てきますが、高貴な家の子弟の中には、やはり他に抜きん出た人がいて、何ごとをもたしなんで会得するものだと思われます。院(桐壺院)の御前で、親王たち、内親王、誰がさまざま色々の芸能をお習いにならなかった方がございましょう。その中にも、貴方さまは取り立てて熱心に修練されて、相伝なさったかいがあって、『文才はいうに及ばず、それ以外のことの中には、琴をお弾きになられることが第一の才芸であり、次には横笛、箏の琴を次々とお習いになった』と、故院もそうおぼしめし、また仰せあそばしておられました。世間の人もそのように存じ上げておりましたが、絵はやはり筆のついでに遊び半分でなさる余技と存じ上げておりましたのに。まったくこう不都合なまでに、昔の絵所の名人たちも跡をくらましてしまいそうにお上手なのは、かえってけしからぬことです」と、言葉も乱れて申し上げなさって、酔泣きであろうか、故院の御事を口にお出しして、みな涙にお暮れになるのだった。
二十日あまりの月がさしのぼって、こちらではまだ明るくはないが、いったいに空が風情ある時なので、書司《ふみづかさ》の御琴を召し出して、和琴は、権中納言が頂戴なさる。源氏の大臣には引けを取るとはいいながら、それでも人よりはまさってかき鳴らしなさる。帥宮が箏の御琴を、源氏の大臣が琴を、琵琶は少将命婦がおつとめ申し上げる。殿上人のなかにすぐれているのを召して、拍子をお命じになる。たいそう趣深い。夜がすっかり明けてしまうにつれて、花の色も人々のお顔もほのかに見えて、鳥がさえずる頃は、気分のよい、すばらしい夜明けである。禄の品々は、中宮の御方からお下しになる。帥宮は御衣をまた重ねていただきなさる。
語句
■まゐる 飲食するの尊敬語。 ■学問 漢学。 ■さらでも 学問をきわめたりなどしなくても。 ■本才 正式な学問以外の、芸能。音楽・歌・絵など。 ■おぼえぬ山がつになりて 須磨に下向したこと。 ■心より放ちて 心をこめず小手先の技巧だけでの意。 ■魂 持って生まれた天分。才能。 ■労なく見ゆる 修練をつんでいないと思われる。 ■家の子 高貴な家の子弟。しかるべき家の子弟。 ■上 故桐壺院。 ■まさなきまで 「正なし」はよくない。不都合である。源氏の絵が上手すぎて本職の絵描きが逃げ出すほどだ。それが「正なし」だと。 ■墨描き 宮中の絵所の画家。 ■こなたはまださやかならねど 清涼殿の西廂なので月の光がさしこまない。 ■書司 書籍や楽器や文房具を扱う役所。 ■御琴 弦楽器の総称。 ■中宮の御方より 年少の帝に代わって藤壺が禄を下す。 ■